29 / 78
麦秋至(むぎのときいたる)
しおりを挟む
天井から降ってきて、床を埋め尽くしているムギの穂をホウキで掃く。なんで、とか、どうして、などと言う時間はムダだということを、みなよくわかっていた。
“城”では不可思議なことが多々起こる。それに明確な原因や理由があるかどうかは怪しかったし、仮にあったとしてもチカたちがそれらを知るすべはないのであった。
「外から見たらどう思われてるんだろう……」
チカのその、思わず漏れたつぶやきは、意外にも流されることはなかった。
「なに、急に」
この場にいるのはチカ、アオ、ユースケと珍しい組み合わせであった。それ以外の四人は袋に詰めたムギの穂をエントランスホールへと運びに行っている。妙な組み合わせなのは、単純にじゃんけんで分かれた結果であった。
アオが顔を上げて、チカを見る。どこか呆れた様子だ。きっと、「ヘンなこと言ってんな」くらいのことは考えているだろうとチカは思う。
それは決して被害妄想などではないはずだ。アオにとって大事なのはマシロとコーイチで、それ以外は有象無象の存在なのだろう。……ただ、“城”にいる人間たちのことは、多少気を遣っているフシはある。本当に、「多少」だが。
そういうわけでアオから返事があるとは思っていなかったチカは、若干しどろもどろになりつつ答える。
「いや、外ではムギが熟すころってものの本で読んだなってところから……」
「……外の人間にどう思われてるかって?」
「そう。それだけ!」
言葉を引き継いでくれたのはユースケだ。アオほどあからさまではなかったものの、「くだらないこと聞いてんな」くらいのことは考えていそうだなとチカは思った。
アオがマシロとコーイチを一番に据えているように、ユースケはササが一番なのだ。それは普段の態度からよくわかっている。ユースケがせっせと世話を焼いて甘やかす対象はササだけなのだ。そこにチカたちが入る余地はない。
今さらながらチカは、よりによって一筋縄でいかないこのふたりと取り残されたことに一抹の不安を覚える。陰でこそこそとこちらをイジメてくるような人物ではないことは知っているものの、やはり不安だ。このふたりにとって、明らかにチカはどうでもいい存在なのだから。
なので「それだけ!」と強く言って話を打ち切り、床に散乱するムギの穂を掃くことに集中する。
けれどもそうはなんとやら。
「外からどう見られてるかってー? そりゃ『肉交にふける邪教の城』だと思われてるよ」
アオの口調はからかうときと同じものだった。チカは「『肉交』だなんて官能小説くらいでしか聞かないんじゃないかな」などと思った。
ちらりとユースケを見れば、彼は涼しい顔をしている。その顔のまま「まあそうだろうな」などとアオの言葉に同意したので、チカはちょっとおどろいた。
「ってーことはさあ、外の人たちは知ってるの? ……その、『そういう関係』だってことをさ」
「言わなくてもわかるだろ。二次性徴迎えた男女がひとつところに押し込まれてるんだぜ?」
ユースケは「言わなくてもわかる」と言ったが、チカにはわからなかった。
実際、アマネに言われるまで同室者同士で恋人関係であるとか、そんなことは頭の端にものぼらせはしなかったのだ。……これは、己が子供すぎるからだからだろうか、それとも記憶喪失のせいだろうか。チカはちょっと悩んだ。
「じゃあ私もそういうことしてるって思われてるのか……」
「してないの?」
「してないよ」
アオがにやにやと下世話な笑みを浮かべて聞いてきたので、チカは努めて冷静に否定した。
実際に、していないのだ。嘘を言っているわけではない。それでもなんだか気まずい気持ちになってしまうのは、なぜだろう。
「じゃあベッドはどうしてんだ?」
「いっしょだけど」
「それでなんもないんだー。ふーん」
ユースケもアオも、一瞬不思議そうな顔をした。ユースケはいつものクールな表情のままだったが、アオはにやにやと笑っている。
「アマネはなんもしてこないの?」
「……あるわけないじゃん」
一瞬、間があいたのは先日の出来事を思い出したからだ。先日の出来事……すなわちアマネにキスされた出来事である。
けれどもあれは不可思議な“捨品”のせいだった。アマネが自らの意思でしたわけではないのである。だから、ノーカウント。チカの中ではそういうことになっていた。
「なに? 記憶を失う前はアマネと恋人同士だったとか言わないよね」
「そうだって言ったら、どうする?」
アオがにやにや笑いを浮かべたまま言う。その表情から嘘だということはすぐに見抜けた。
「どうもこうも……どうもできないよ。記憶が戻らないんだから」
それはチカの包み隠さぬ本音だった。
「むしろそこからなにか始まったりしない?」
「しないでしょ。そもそも、アマネにそういう気はなさそうだし」
アオとユースケがまた不思議そうな顔をした。
「ふーん。そう」
アオは今度はにやにや笑いを浮かべず、心底つまらなさそうな顔をする。どうやら、早々に興味が失せたようだ。チカにとっては僥倖である。
その後、ぶちぶちと掃除に対する文句をときおり漏らすアオをいなしつつ、チカはマシロたちが早く帰ってくることをひたすら祈るばかりであった。
“城”では不可思議なことが多々起こる。それに明確な原因や理由があるかどうかは怪しかったし、仮にあったとしてもチカたちがそれらを知るすべはないのであった。
「外から見たらどう思われてるんだろう……」
チカのその、思わず漏れたつぶやきは、意外にも流されることはなかった。
「なに、急に」
この場にいるのはチカ、アオ、ユースケと珍しい組み合わせであった。それ以外の四人は袋に詰めたムギの穂をエントランスホールへと運びに行っている。妙な組み合わせなのは、単純にじゃんけんで分かれた結果であった。
アオが顔を上げて、チカを見る。どこか呆れた様子だ。きっと、「ヘンなこと言ってんな」くらいのことは考えているだろうとチカは思う。
それは決して被害妄想などではないはずだ。アオにとって大事なのはマシロとコーイチで、それ以外は有象無象の存在なのだろう。……ただ、“城”にいる人間たちのことは、多少気を遣っているフシはある。本当に、「多少」だが。
そういうわけでアオから返事があるとは思っていなかったチカは、若干しどろもどろになりつつ答える。
「いや、外ではムギが熟すころってものの本で読んだなってところから……」
「……外の人間にどう思われてるかって?」
「そう。それだけ!」
言葉を引き継いでくれたのはユースケだ。アオほどあからさまではなかったものの、「くだらないこと聞いてんな」くらいのことは考えていそうだなとチカは思った。
アオがマシロとコーイチを一番に据えているように、ユースケはササが一番なのだ。それは普段の態度からよくわかっている。ユースケがせっせと世話を焼いて甘やかす対象はササだけなのだ。そこにチカたちが入る余地はない。
今さらながらチカは、よりによって一筋縄でいかないこのふたりと取り残されたことに一抹の不安を覚える。陰でこそこそとこちらをイジメてくるような人物ではないことは知っているものの、やはり不安だ。このふたりにとって、明らかにチカはどうでもいい存在なのだから。
なので「それだけ!」と強く言って話を打ち切り、床に散乱するムギの穂を掃くことに集中する。
けれどもそうはなんとやら。
「外からどう見られてるかってー? そりゃ『肉交にふける邪教の城』だと思われてるよ」
アオの口調はからかうときと同じものだった。チカは「『肉交』だなんて官能小説くらいでしか聞かないんじゃないかな」などと思った。
ちらりとユースケを見れば、彼は涼しい顔をしている。その顔のまま「まあそうだろうな」などとアオの言葉に同意したので、チカはちょっとおどろいた。
「ってーことはさあ、外の人たちは知ってるの? ……その、『そういう関係』だってことをさ」
「言わなくてもわかるだろ。二次性徴迎えた男女がひとつところに押し込まれてるんだぜ?」
ユースケは「言わなくてもわかる」と言ったが、チカにはわからなかった。
実際、アマネに言われるまで同室者同士で恋人関係であるとか、そんなことは頭の端にものぼらせはしなかったのだ。……これは、己が子供すぎるからだからだろうか、それとも記憶喪失のせいだろうか。チカはちょっと悩んだ。
「じゃあ私もそういうことしてるって思われてるのか……」
「してないの?」
「してないよ」
アオがにやにやと下世話な笑みを浮かべて聞いてきたので、チカは努めて冷静に否定した。
実際に、していないのだ。嘘を言っているわけではない。それでもなんだか気まずい気持ちになってしまうのは、なぜだろう。
「じゃあベッドはどうしてんだ?」
「いっしょだけど」
「それでなんもないんだー。ふーん」
ユースケもアオも、一瞬不思議そうな顔をした。ユースケはいつものクールな表情のままだったが、アオはにやにやと笑っている。
「アマネはなんもしてこないの?」
「……あるわけないじゃん」
一瞬、間があいたのは先日の出来事を思い出したからだ。先日の出来事……すなわちアマネにキスされた出来事である。
けれどもあれは不可思議な“捨品”のせいだった。アマネが自らの意思でしたわけではないのである。だから、ノーカウント。チカの中ではそういうことになっていた。
「なに? 記憶を失う前はアマネと恋人同士だったとか言わないよね」
「そうだって言ったら、どうする?」
アオがにやにや笑いを浮かべたまま言う。その表情から嘘だということはすぐに見抜けた。
「どうもこうも……どうもできないよ。記憶が戻らないんだから」
それはチカの包み隠さぬ本音だった。
「むしろそこからなにか始まったりしない?」
「しないでしょ。そもそも、アマネにそういう気はなさそうだし」
アオとユースケがまた不思議そうな顔をした。
「ふーん。そう」
アオは今度はにやにや笑いを浮かべず、心底つまらなさそうな顔をする。どうやら、早々に興味が失せたようだ。チカにとっては僥倖である。
その後、ぶちぶちと掃除に対する文句をときおり漏らすアオをいなしつつ、チカはマシロたちが早く帰ってくることをひたすら祈るばかりであった。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。

アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる