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紅花栄(べにばなさかう)
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「似合わないな……」
鏡の中に映る己を見て、チカはそうつぶやかざるを得なかった。
きっかけは“捨品”の中に口紅があったことだった。こういった化粧品が“捨品”の中にあるのは珍しいことらしい。まあ、“城”にいるのは全員子供であるから、化粧道具は必要なものと見なされていないのだろう。
しかし子供であってもそこは「女」であるからか、化粧品に対するあこがれめいた感情をチカたちは持っていた。
「持って行きなよ」とマシロとササが譲ってくれたのは、チカが思わず熱心な視線を寄せてしまっていたからかもしれない。
己を装うことに対してチカはどちらかと言えば消極的なほうだ。しかし、だとしても――いや、だからこそ?――化粧品に対してそれなりの興味があった。
チカは、己の容姿は平凡で地味だと思っている。見るに堪えないほどの容姿ではないとは思っているが、人の目を惹くほどのものではないと確信している。
そんな己が口紅をつけてみたらどうなるか。半ば予想はしていたが、なにかミラクルが起きやしないかとほんの少し期待したのも事実。
しかし現実は非情だ。鏡に現れたのは母親の口紅を拝借した子供のような、身の丈に合っていない装いを施した少女がぼんやりとこちらを見ている姿だった。
そして冒頭のボヤきへとつながるわけである。
口紅の色が濃い赤だというのもよくないように思う。色の印象が強すぎる。チカのように薄らぼんやりとした容姿に似合わせるのはなかなか難しい色だろう。こういう色が似合うのは、ササのような華やかな美人に違いない。
チカはそう結論付けて、口紅を落とそうとドレッサーのある寝室から出た。
「あ」
思わずそんな音が口を突いて出たのは、ちょうど部屋にアマネが戻ってきたからだった。
最悪だとチカは思った。似合わない口紅をつけているところを見られるのは、だれが相手であれ気まずく、ハッキリ言えばイヤであった。
「あ?」
チカの声に釣られてか、アマネもガラの悪い声で返す。そしてじっとチカの顔を凝視する。チカは今、見慣れない口紅をつけているのだから、その行動はまったく不自然なことではなかった。
チカは内心で怯えた。自らを「似合ってないな」と言うのと、他人から言われるのとでは明らかに受けるダメージの量が違う。
アマネが悪しざまにこき下ろすとは思えなかったものの、「似合ってねえ」とぶっきらぼうに言う姿は容易に想像できた。できてしまった。だからチカは内心でびくびくとしながら、アマネの次の言葉を待ったのであった。
「お前……」
チカは気まずさから、思わず視線をそらす。と、次の瞬間あごを捉えられぐいと前に戻されてしまう。
いつの間にか、アマネが目の前に立っていた。いや、それどころか鼻先がくっつきそうなほど近くにアマネの顔があって――
「――ん?!」
唇がなにか柔らかいものでふさがれた。否、それは唇だった。アマネの。
チカは、アマネとキスをしていた。
「え?」
触れ合うだけのキスではあったが、じっくりと唇同士を擦り合わせるような、はた目に見ても情熱的なキスだった。
そしてやおらアマネがチカの肩をつかんで、おどろいたように引きはがす。おどろいたのは己のほうなのに、と釈然としない思いから今度はチカからアマネを凝視してしまう。
アマネの薄い唇には、チカがつけていた口紅がうっすらと移っていた。
ぼんやりとアマネを見ていれば、彼は狼狽した様子で「違う」と言う。もちろんなにが「違う」のかなんてことは、チカにはわかりはしない。
チカがわけがわからないと言った顔をしていると、アマネは気まずそうに視線をそらしたまま続ける。
「お、お前の口元を見ていたらなんか……ヘンな気持ちになって……!」
そこまで聞いてチカはあるひとつの可能性に思い至った。
「“捨品”のせいかな……」
「は?!」
「いや、この口紅“捨品”だったんだけど……。そっかあ、捨てられるだけの理由があるタイプの“捨品”だったのか」
軽率につけてしまったのは失敗だった。チカは“捨品”になんらかの原因があり、それによってアマネが己にキスをしてしまったのだと推測する。
“捨品”にはたまにこういったものが混じっていることがあるので、チカはそう己の中で出した結論に、少しの違和も感じなかった。
「ごめん。もっと気をつければよかったね」
チカはそう言って洗面台へと向かう。洗面台には鏡がついていない。なので、その背中を見るアマネの顔が真っ赤に染まっていることなど、チカは知りもしないのであった。
鏡の中に映る己を見て、チカはそうつぶやかざるを得なかった。
きっかけは“捨品”の中に口紅があったことだった。こういった化粧品が“捨品”の中にあるのは珍しいことらしい。まあ、“城”にいるのは全員子供であるから、化粧道具は必要なものと見なされていないのだろう。
しかし子供であってもそこは「女」であるからか、化粧品に対するあこがれめいた感情をチカたちは持っていた。
「持って行きなよ」とマシロとササが譲ってくれたのは、チカが思わず熱心な視線を寄せてしまっていたからかもしれない。
己を装うことに対してチカはどちらかと言えば消極的なほうだ。しかし、だとしても――いや、だからこそ?――化粧品に対してそれなりの興味があった。
チカは、己の容姿は平凡で地味だと思っている。見るに堪えないほどの容姿ではないとは思っているが、人の目を惹くほどのものではないと確信している。
そんな己が口紅をつけてみたらどうなるか。半ば予想はしていたが、なにかミラクルが起きやしないかとほんの少し期待したのも事実。
しかし現実は非情だ。鏡に現れたのは母親の口紅を拝借した子供のような、身の丈に合っていない装いを施した少女がぼんやりとこちらを見ている姿だった。
そして冒頭のボヤきへとつながるわけである。
口紅の色が濃い赤だというのもよくないように思う。色の印象が強すぎる。チカのように薄らぼんやりとした容姿に似合わせるのはなかなか難しい色だろう。こういう色が似合うのは、ササのような華やかな美人に違いない。
チカはそう結論付けて、口紅を落とそうとドレッサーのある寝室から出た。
「あ」
思わずそんな音が口を突いて出たのは、ちょうど部屋にアマネが戻ってきたからだった。
最悪だとチカは思った。似合わない口紅をつけているところを見られるのは、だれが相手であれ気まずく、ハッキリ言えばイヤであった。
「あ?」
チカの声に釣られてか、アマネもガラの悪い声で返す。そしてじっとチカの顔を凝視する。チカは今、見慣れない口紅をつけているのだから、その行動はまったく不自然なことではなかった。
チカは内心で怯えた。自らを「似合ってないな」と言うのと、他人から言われるのとでは明らかに受けるダメージの量が違う。
アマネが悪しざまにこき下ろすとは思えなかったものの、「似合ってねえ」とぶっきらぼうに言う姿は容易に想像できた。できてしまった。だからチカは内心でびくびくとしながら、アマネの次の言葉を待ったのであった。
「お前……」
チカは気まずさから、思わず視線をそらす。と、次の瞬間あごを捉えられぐいと前に戻されてしまう。
いつの間にか、アマネが目の前に立っていた。いや、それどころか鼻先がくっつきそうなほど近くにアマネの顔があって――
「――ん?!」
唇がなにか柔らかいものでふさがれた。否、それは唇だった。アマネの。
チカは、アマネとキスをしていた。
「え?」
触れ合うだけのキスではあったが、じっくりと唇同士を擦り合わせるような、はた目に見ても情熱的なキスだった。
そしてやおらアマネがチカの肩をつかんで、おどろいたように引きはがす。おどろいたのは己のほうなのに、と釈然としない思いから今度はチカからアマネを凝視してしまう。
アマネの薄い唇には、チカがつけていた口紅がうっすらと移っていた。
ぼんやりとアマネを見ていれば、彼は狼狽した様子で「違う」と言う。もちろんなにが「違う」のかなんてことは、チカにはわかりはしない。
チカがわけがわからないと言った顔をしていると、アマネは気まずそうに視線をそらしたまま続ける。
「お、お前の口元を見ていたらなんか……ヘンな気持ちになって……!」
そこまで聞いてチカはあるひとつの可能性に思い至った。
「“捨品”のせいかな……」
「は?!」
「いや、この口紅“捨品”だったんだけど……。そっかあ、捨てられるだけの理由があるタイプの“捨品”だったのか」
軽率につけてしまったのは失敗だった。チカは“捨品”になんらかの原因があり、それによってアマネが己にキスをしてしまったのだと推測する。
“捨品”にはたまにこういったものが混じっていることがあるので、チカはそう己の中で出した結論に、少しの違和も感じなかった。
「ごめん。もっと気をつければよかったね」
チカはそう言って洗面台へと向かう。洗面台には鏡がついていない。なので、その背中を見るアマネの顔が真っ赤に染まっていることなど、チカは知りもしないのであった。
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