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蛙始鳴(かわずはじめてなく)
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マシロの様子がおかしいと言う。
「どうおかしいって? うーん……なんか元気がない感じなんだよなあ」
そんなことをチカに相談しにきたのはコーイチだった。要は、心当たりがないかと聞きたかったらしい。
しかし残念ながらチカにはさっぱり心当たりがない。それどころかマシロの異変にすら気づいていなかった。
「私に聞くってことはコーイチたちは心当たりがまったくないんだよね?」
「ああ」
「うーん……なにか元気がないと感じたタイミングとかは覚えてる?」
「あ? あー……そうだな。しいて言うなら朝か? “捨品”を受け取る前になんか暗い顔してるなって気づいた」
「じゃあ……“捨品”を受け取るときになにか問題? があるのかも?」
「問題ってなんだよ」
「いや、わからないけど……。ほら、私たち七人以外と接触する機会って“捨品”を受け取るときだけだし、なんかあるのかも……?」
コーイチもチカも考え込んでしまった。
マシロの同室者であり、恋人でもあるコーイチの言うことだ。勘違いではないとチカは思っている。
しかしあのだれよりも明るいマシロが元気がない理由は、エスパーではない以上、いくらここで議論を重ねてもわかりはしないだろう。
「本人には聞いたの?」
「聞いたら隠すだろ」
「うーん……そうか」
マシロの他人を思いやる気持ちは、恐らく七人の中で一番ある。となれば元気がないことで周囲に心配をかけないように、いらぬ慮りを発揮してしまうことは、チカにも容易に想像がついた。
「だから、お前にはマシロのことをそれとなく見てやって欲しいって頼みにきたワケ。“捨品”を受け取るときにずっとそばにいられたらいいけど……そういうわけにもいかねえし」
“捨品”の中でも重量のあるものを運ぶのは、力のある男性陣の仕事だ。子供とは言っても二次性徴を迎えているから、男と女とではそれなりに力の差がある。
チカたち女性陣は主に細々としたものを仕分ける役割をこなすことが多い。特に“捨品”として持ち込まれた物が多いときは、ひとところに集まらず、それぞれの場所で作業をする。
……その隙を、だれかに狙われたのだろうか?
外の人間――すなわち、信者である“黒子”たちがチカたちのことをどう思っているのかは、いまいち判然としない。
しかし以前の出来事から敵愾心を抱いている人間が混じっていたとしても不思議ではないと考える。そもそも、万人に好かれるものなど存在はしないのだから、その可能性は大いにありえる気がした。
「わかった。マシロのことは注意して見ておく。ササにも言っておくよ」
「すまん。助かる」
コーイチはそう言って少しは安堵したような顔になった。
“捨品”はほぼ毎日受け取るので、多大な荷物が持ち込まれる機会はそう多くはない。しかしその日にどれだけの量の“捨品”が持ち込まれるのか、当たり前だがチカたちが知り得る方法はない。
チカが仮定した“捨品”が多く持ち込まれる日に、マシロになんらかの危害を加える人間がいるのだとすれば、毎日の朝が憂鬱になるのも仕方がない気はした。
ササにもコーイチと話した内容を伝えたが、彼女もまた、マシロの元気がない理由を知らなかった。しかしササは、マシロが朝に元気がないということ自体は薄々気づいていたようだ。
それを指摘しなかったのは、単に体調がよくないだけだと思ったからだそうだ。つまり、コーイチとアオの夜の生活のせいだと思ったらしい。だから黙っていた、と。
ササも“捨品”を渡しにくる“黒子”の中に不届き者が混じっているとは考えもつかなかったようだ。
ということはササは被害に遭っていないということになる。チカもだ。不届き者がいると仮定して、今のところ狙われているのはマシロだけのようである。
そしてその答え合わせができる日は、早々に訪れた。
その日の“捨品”は、季節の変わり目とあって衣類が多かった。新しい布団も仕立ててもらった。それらを運ぶのは、先述した通り男性陣の仕事である。
エントランスホールには黒い衣服に身を包み、黒い布で顔を隠した“黒子”たちが出入りしている。今日はいつもより人数が多い。
男性陣が全員倉庫へと向かったのを見送ったあと、チカはマシロの姿を捜した。
色素が欠けたアルビノのマシロは、こうして“捨品”が運び込まれるときは影の中にいることが多かった。大きな玄関扉が開かれて、入ってくる日の光はマシロにはつらいものらしい。だから、いつも光の届かない場所で作業をしている。
きょろきょろと視線を巡らせれば、白髪が目に入る。マシロだ。エントランスホールの奥のほうにいるのが見えた。
そしてその隣には大きな影がある。目を凝らして、それが影ではなく、黒い衣服を身にまとった“黒子”のひとりだということがわかった。
マシロと“黒子”はなにかを話し込んでいるのだろうか。マシロはうつむきがちに、なぜかときおり体を左右に揺らしているように見えた。
チカはイヤな予感を覚え、できるだけ気配を消してふたりに近づいた。
「なにしてるんですか」
チカは己の口からすごむような声が出たことにおどろきつつ、しかしつかんだ手を離すどころか、いっそう力を込めた。
チカがつかんでいるのは、男の太い手首だった。その手指はつい先ほどまで、マシロを触っていた。
カエルのような特徴的な顔の男は、初めてチカの存在に気づいたらしく、うろたえた目を向ける。
「なにしてたんですか」
チカが再度問えば、男はしどろもどろに、ごにょごにょと言い訳を口にする。
「誤解だ」
「誤解って……なにがですか?」
「だから、触ってない」
「触ってたかどうかなんて一度も聞いてないですけど」
男はわかりやすく「しまった」という目をする。
チカは己の中でふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。
マシロを見れば、彼女は珍しく狼狽した様子でチカと男を見ている。どちらかと言えば楽天家なほうのマシロが、こんな風に不安げな様子でいることはあまり見たことがなかった。
「どうした」
そこにササがやってくる。ササは男を怪訝そうな目で見る。ひとが集まってきたことでしり込みしたのか、男はチカの手を無理やりに振り払った。
「なんだ、お前」
ササが一歩前へ出て、チカとマシロを背中へ隠すように男へ立ちはだかる。今いる三人の中で一番腕っぷしが強いのがササだ。そのことは本人もよく理解しているので、こういう行動に出たのだろう。
「このひと、マシロのこと触ってた」
「誤解だ!」
チカがササに耳打ちするように言うと、男が声を上げる。存外に大きな声だったので、“黒子”の何人かもこちらの異変に気付いたようだ。
「……誤解じゃないよ」
ずっと黙りこくっていたマシロが口を開く。振り返ればどこか泣きそうな顔をしたマシロが、戸惑った目を向けているのがわかる。
男はあからさまにうろたえた。
「マシロ……」
「なんか最初は気のせいかなって思ったけど……今日はなんか、いっぱい触ってきて……」
「だからっ、ごか――ぐふっ」
うつむいてしまったマシロに気を取られていたチカは、ササの右ストレートが男の顔面に打ち込まれた瞬間を見逃した。
さすが、腕っぷしの強さは折り紙つきであるササの一撃。男は鼻血を垂れ流しながら、床にへたり込んで身もだえている。
そこへ“黒子”たちをかき分けて、倉庫へ“捨品”を運んでいた四人が戻ってきた。
「どうした」
鋭い視線をやるのはアマネだ。
「サっちゃん……大丈夫か?」
いち早くササに駆け寄るユースケは、男の鼻よりササの手を心配している。
そしてコーイチとアオは、半泣きのマシロや、ササに殴られた男を見て、早々にすべてを察したようだった。
「違う、向こうから誘ってきたんだ!」
男の顔面にブーツの底がめり込んだ。先に手ではなく足が出たのはアオ……ではなく、コーイチだった。眉間にしわを寄せ、目を吊り上げて、男に険しい――いや、憎悪の視線を向けている。
「マシロがんなことすっかよ」
悲鳴を上げて倒れ込んだ男の体に、二度三度と蹴りを加えるコーイチを、だれも止めはしなかった。
“黒子”たちは完全に震え上がって、怯えた目でコーイチを見ていて、だれかが男を擁護したりするような空気は一切なかった。
「落ち着けよコーイチ」
やっとそんな言葉を発したのは、意外にもアオだった。
しかしその目はコーイチ以上に冷え切っている。汚物を見るような目で男を見下ろすアオの瞳は、吹雪が吹き荒れているようなものだった。
「殺すのはマズイって」
「あ?」
「さすがに死体の処理はめんどいだろ。半殺しな、半殺し。あと指も切り落とそーぜ」
いつもとは違う、冷え切った笑みを浮かべるアオに、男が小さく悲鳴を上げた。
だれかが止める間もなく、コーイチが男の襟ぐりをつかみ上げて、エントランスホールの奥へと引きずって行く。
男は「やめて」とか「ごめんなさい」などと言っていたが、耳を貸すものはひとりとしてこの場にはいなかった。
「マシロ、もう行こ」
いつまでもこの場で“黒子”たちの見世物にさせるのもかわいそうかと思い、チカはマシロに声をかける。
「あとの“捨品”はおれたちが仕分けておく」
マシロが心配げな目線をやったところで、アマネがそう言った。チカは内心で「ナイスアシスト!」と思いつつ、マシロの手を引いてエントランスホールを抜ける。背後ではなんの声もなかった。“黒子”たちがざわめくどころかひとことも発しないことに、なんだか不気味な気持ちになる。
「ごめん……」
「……なんで謝るの? マシロはなにも悪くないでしょ」
「ん」
「言いにくいだろうけど……今度からはなにかあったらちゃんと言って欲しい」
「うん……」
「コーイチだってアオだって、マシロの言うこと疑ったりしないよ」
「うん、それはわかってるけど……“捨品”とかなくなったら困るなって、思って」
「そっか……。まあ、でも、そのときはそのときだよ。みんなでどうするか考える。あと、そうなってもだれもマシロのこと責めないって」
「うん……」
マシロの最後の言葉は、今までより少し明るいものだった。
その後、男がどうなったのかチカは知らない。ただ、“黒子”の中にあの男らしき人物を見ることはなくなったし、“黒子”もだれもその話題を口にはしなかった。
それどころか、しばらくのあいだ“黒子”はチカたち“城”の住人を過度に恐れている様子だった。その様子は、チカからすると過剰に見えたが、理由はつまびらかにはならなかった。
“黒子”たちは“捨品”によって、チカたちの生殺与奪を握っているという印象だったが、実際にはそこに違和を覚える。
“黒子”たちはなぜこんなにも怯えているのか。そうする必要があるのか。
今のところを、その理由をチカが知るすべはない。
「どうおかしいって? うーん……なんか元気がない感じなんだよなあ」
そんなことをチカに相談しにきたのはコーイチだった。要は、心当たりがないかと聞きたかったらしい。
しかし残念ながらチカにはさっぱり心当たりがない。それどころかマシロの異変にすら気づいていなかった。
「私に聞くってことはコーイチたちは心当たりがまったくないんだよね?」
「ああ」
「うーん……なにか元気がないと感じたタイミングとかは覚えてる?」
「あ? あー……そうだな。しいて言うなら朝か? “捨品”を受け取る前になんか暗い顔してるなって気づいた」
「じゃあ……“捨品”を受け取るときになにか問題? があるのかも?」
「問題ってなんだよ」
「いや、わからないけど……。ほら、私たち七人以外と接触する機会って“捨品”を受け取るときだけだし、なんかあるのかも……?」
コーイチもチカも考え込んでしまった。
マシロの同室者であり、恋人でもあるコーイチの言うことだ。勘違いではないとチカは思っている。
しかしあのだれよりも明るいマシロが元気がない理由は、エスパーではない以上、いくらここで議論を重ねてもわかりはしないだろう。
「本人には聞いたの?」
「聞いたら隠すだろ」
「うーん……そうか」
マシロの他人を思いやる気持ちは、恐らく七人の中で一番ある。となれば元気がないことで周囲に心配をかけないように、いらぬ慮りを発揮してしまうことは、チカにも容易に想像がついた。
「だから、お前にはマシロのことをそれとなく見てやって欲しいって頼みにきたワケ。“捨品”を受け取るときにずっとそばにいられたらいいけど……そういうわけにもいかねえし」
“捨品”の中でも重量のあるものを運ぶのは、力のある男性陣の仕事だ。子供とは言っても二次性徴を迎えているから、男と女とではそれなりに力の差がある。
チカたち女性陣は主に細々としたものを仕分ける役割をこなすことが多い。特に“捨品”として持ち込まれた物が多いときは、ひとところに集まらず、それぞれの場所で作業をする。
……その隙を、だれかに狙われたのだろうか?
外の人間――すなわち、信者である“黒子”たちがチカたちのことをどう思っているのかは、いまいち判然としない。
しかし以前の出来事から敵愾心を抱いている人間が混じっていたとしても不思議ではないと考える。そもそも、万人に好かれるものなど存在はしないのだから、その可能性は大いにありえる気がした。
「わかった。マシロのことは注意して見ておく。ササにも言っておくよ」
「すまん。助かる」
コーイチはそう言って少しは安堵したような顔になった。
“捨品”はほぼ毎日受け取るので、多大な荷物が持ち込まれる機会はそう多くはない。しかしその日にどれだけの量の“捨品”が持ち込まれるのか、当たり前だがチカたちが知り得る方法はない。
チカが仮定した“捨品”が多く持ち込まれる日に、マシロになんらかの危害を加える人間がいるのだとすれば、毎日の朝が憂鬱になるのも仕方がない気はした。
ササにもコーイチと話した内容を伝えたが、彼女もまた、マシロの元気がない理由を知らなかった。しかしササは、マシロが朝に元気がないということ自体は薄々気づいていたようだ。
それを指摘しなかったのは、単に体調がよくないだけだと思ったからだそうだ。つまり、コーイチとアオの夜の生活のせいだと思ったらしい。だから黙っていた、と。
ササも“捨品”を渡しにくる“黒子”の中に不届き者が混じっているとは考えもつかなかったようだ。
ということはササは被害に遭っていないということになる。チカもだ。不届き者がいると仮定して、今のところ狙われているのはマシロだけのようである。
そしてその答え合わせができる日は、早々に訪れた。
その日の“捨品”は、季節の変わり目とあって衣類が多かった。新しい布団も仕立ててもらった。それらを運ぶのは、先述した通り男性陣の仕事である。
エントランスホールには黒い衣服に身を包み、黒い布で顔を隠した“黒子”たちが出入りしている。今日はいつもより人数が多い。
男性陣が全員倉庫へと向かったのを見送ったあと、チカはマシロの姿を捜した。
色素が欠けたアルビノのマシロは、こうして“捨品”が運び込まれるときは影の中にいることが多かった。大きな玄関扉が開かれて、入ってくる日の光はマシロにはつらいものらしい。だから、いつも光の届かない場所で作業をしている。
きょろきょろと視線を巡らせれば、白髪が目に入る。マシロだ。エントランスホールの奥のほうにいるのが見えた。
そしてその隣には大きな影がある。目を凝らして、それが影ではなく、黒い衣服を身にまとった“黒子”のひとりだということがわかった。
マシロと“黒子”はなにかを話し込んでいるのだろうか。マシロはうつむきがちに、なぜかときおり体を左右に揺らしているように見えた。
チカはイヤな予感を覚え、できるだけ気配を消してふたりに近づいた。
「なにしてるんですか」
チカは己の口からすごむような声が出たことにおどろきつつ、しかしつかんだ手を離すどころか、いっそう力を込めた。
チカがつかんでいるのは、男の太い手首だった。その手指はつい先ほどまで、マシロを触っていた。
カエルのような特徴的な顔の男は、初めてチカの存在に気づいたらしく、うろたえた目を向ける。
「なにしてたんですか」
チカが再度問えば、男はしどろもどろに、ごにょごにょと言い訳を口にする。
「誤解だ」
「誤解って……なにがですか?」
「だから、触ってない」
「触ってたかどうかなんて一度も聞いてないですけど」
男はわかりやすく「しまった」という目をする。
チカは己の中でふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。
マシロを見れば、彼女は珍しく狼狽した様子でチカと男を見ている。どちらかと言えば楽天家なほうのマシロが、こんな風に不安げな様子でいることはあまり見たことがなかった。
「どうした」
そこにササがやってくる。ササは男を怪訝そうな目で見る。ひとが集まってきたことでしり込みしたのか、男はチカの手を無理やりに振り払った。
「なんだ、お前」
ササが一歩前へ出て、チカとマシロを背中へ隠すように男へ立ちはだかる。今いる三人の中で一番腕っぷしが強いのがササだ。そのことは本人もよく理解しているので、こういう行動に出たのだろう。
「このひと、マシロのこと触ってた」
「誤解だ!」
チカがササに耳打ちするように言うと、男が声を上げる。存外に大きな声だったので、“黒子”の何人かもこちらの異変に気付いたようだ。
「……誤解じゃないよ」
ずっと黙りこくっていたマシロが口を開く。振り返ればどこか泣きそうな顔をしたマシロが、戸惑った目を向けているのがわかる。
男はあからさまにうろたえた。
「マシロ……」
「なんか最初は気のせいかなって思ったけど……今日はなんか、いっぱい触ってきて……」
「だからっ、ごか――ぐふっ」
うつむいてしまったマシロに気を取られていたチカは、ササの右ストレートが男の顔面に打ち込まれた瞬間を見逃した。
さすが、腕っぷしの強さは折り紙つきであるササの一撃。男は鼻血を垂れ流しながら、床にへたり込んで身もだえている。
そこへ“黒子”たちをかき分けて、倉庫へ“捨品”を運んでいた四人が戻ってきた。
「どうした」
鋭い視線をやるのはアマネだ。
「サっちゃん……大丈夫か?」
いち早くササに駆け寄るユースケは、男の鼻よりササの手を心配している。
そしてコーイチとアオは、半泣きのマシロや、ササに殴られた男を見て、早々にすべてを察したようだった。
「違う、向こうから誘ってきたんだ!」
男の顔面にブーツの底がめり込んだ。先に手ではなく足が出たのはアオ……ではなく、コーイチだった。眉間にしわを寄せ、目を吊り上げて、男に険しい――いや、憎悪の視線を向けている。
「マシロがんなことすっかよ」
悲鳴を上げて倒れ込んだ男の体に、二度三度と蹴りを加えるコーイチを、だれも止めはしなかった。
“黒子”たちは完全に震え上がって、怯えた目でコーイチを見ていて、だれかが男を擁護したりするような空気は一切なかった。
「落ち着けよコーイチ」
やっとそんな言葉を発したのは、意外にもアオだった。
しかしその目はコーイチ以上に冷え切っている。汚物を見るような目で男を見下ろすアオの瞳は、吹雪が吹き荒れているようなものだった。
「殺すのはマズイって」
「あ?」
「さすがに死体の処理はめんどいだろ。半殺しな、半殺し。あと指も切り落とそーぜ」
いつもとは違う、冷え切った笑みを浮かべるアオに、男が小さく悲鳴を上げた。
だれかが止める間もなく、コーイチが男の襟ぐりをつかみ上げて、エントランスホールの奥へと引きずって行く。
男は「やめて」とか「ごめんなさい」などと言っていたが、耳を貸すものはひとりとしてこの場にはいなかった。
「マシロ、もう行こ」
いつまでもこの場で“黒子”たちの見世物にさせるのもかわいそうかと思い、チカはマシロに声をかける。
「あとの“捨品”はおれたちが仕分けておく」
マシロが心配げな目線をやったところで、アマネがそう言った。チカは内心で「ナイスアシスト!」と思いつつ、マシロの手を引いてエントランスホールを抜ける。背後ではなんの声もなかった。“黒子”たちがざわめくどころかひとことも発しないことに、なんだか不気味な気持ちになる。
「ごめん……」
「……なんで謝るの? マシロはなにも悪くないでしょ」
「ん」
「言いにくいだろうけど……今度からはなにかあったらちゃんと言って欲しい」
「うん……」
「コーイチだってアオだって、マシロの言うこと疑ったりしないよ」
「うん、それはわかってるけど……“捨品”とかなくなったら困るなって、思って」
「そっか……。まあ、でも、そのときはそのときだよ。みんなでどうするか考える。あと、そうなってもだれもマシロのこと責めないって」
「うん……」
マシロの最後の言葉は、今までより少し明るいものだった。
その後、男がどうなったのかチカは知らない。ただ、“黒子”の中にあの男らしき人物を見ることはなくなったし、“黒子”もだれもその話題を口にはしなかった。
それどころか、しばらくのあいだ“黒子”はチカたち“城”の住人を過度に恐れている様子だった。その様子は、チカからすると過剰に見えたが、理由はつまびらかにはならなかった。
“黒子”たちは“捨品”によって、チカたちの生殺与奪を握っているという印象だったが、実際にはそこに違和を覚える。
“黒子”たちはなぜこんなにも怯えているのか。そうする必要があるのか。
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