ドグマの城

やなぎ怜

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桜始開(さくらはじめてひらく)

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「サクラの塩漬けもらうと、春がきてるんだなーって思う」

 “捨品”の見分をしていると、不意にマシロがそんなことを言った。チカはと言えば前の春の記憶がないので、「そうなのか」と思うことしかできない。

 けれどもたしかに、マシロが手にしている透明な瓶の中に詰められたサクラの塩漬けを見ると、自然と植物園でもツボミがほころび始めたサクラを思い出す。

 サクラはやはり春の象徴だ。そういう感覚の記憶は、チカの中にも残っている。

 もうすぐ見られるだろう、淡い紅色の花弁がハラハラと舞うさまは美しいに違いない。……ただ、掃除をするときのことを考えるとちょっと億劫にもなってはしまうが。

「サクラと言えばさ、おとといの死体ってどうなったんだろうね」
「『サクラと言えば』?」
「『サクラの木の下には死体が埋まっている』ってー小説があるじゃん?」
「ああ……」

 チカはマシロが突飛なことを言い出したとまでは思わなかったものの、あまり思い返したくない事柄を蒸し返されたような気になって、なんとなくその気持ちを落ち込ませる。

 そう、おととい、“捨品”の中に死体が混じっていたのだ。もちろん五体満足ではなく、バラバラ死体という形であちこちにまぎれていたので、案の定信者である“黒子”たちも含めて大騒ぎになった。

 チカなどは始め、それをマネキンかと思った。“捨品”にはときおり、使い道がよくわからないものが混じっていることがある。それは文字通りの“捨品”である。そういったものはたいてい“城”の倉庫送りとなってずっと日の目を見ないものだ。

 今回のマネキンもそういうものかとチカは思った。血の気の失せた腕はどこまでも白く、マシロの肌の白さとはまた違った青白さを伴っていて、とても人間だとは思えなかった。

 けれども実際にそれは死んだ人間の腕だったので、大騒動に発展したわけである。

 被害者はその日のうちにわかった。無惨にも四肢を、胴を、バラバラにされたのは、東にある小さな村の年頃の娘であったらしい。夜中に出て行って、それきり。見つかったのは“捨品”の中、というわけであった。

 年頃の娘であるから夜中に出て行っても、家族には見咎められなかったようだ。日が出ているうちは仕事がある。恋人との逢引きは自然と夜になるので、それを理解している家族も野暮なことはしなかったようだ。

 そうなると逢引き相手が怪しいが、どこのだれかもわからないと言う。しかし夜中に出て行って、朝になるまでには帰れる距離で落ち合える相手であるから、容疑者は絞られて行くだろう。

「早く捕まるといいんだけど」

 チカは思わずボヤくように言ってしまう。“城”の内部に引きこもっている形である以上、そこらの道で殺人犯とすれ違うと言うことはまずありえないわけだが、それでも殺された娘の無念を思えば、犯人など早く捕まって欲しいと願ってしまう。

「そうだよね。“捨品”に混ぜられたってことは“黒子”としてここにきたことのある人間だよね? 顔見知りってことかー。やだな」

 “捨品”を選り分けながらマシロが答える。

「死体をバラバラにして混ぜたのは見つからないためかな? それとも持ち運びに不便だから? それなら力の弱い女性も容疑者?」
「安楽椅子探偵か」

 マシロがつらつらと考えられる可能性を述べれば、黙りきりだったササが口を挟む。

「そういうつもりじゃないけど。でも気にならない?」
「ならない」
「えー」

 “城”にいる人間の中でマシロはまず間違いなくもっとも他人に興味があるタイプだ。

 しかしチカを除く他の五人はあまり他人には興味がなさそうである。実際、死体が見つかったあともほとんどその話題にはならなかったし、見つけたときでさえ大なり小なり取り乱したのはチカとマシロくらいであった。

「チカは?」
「私は“黒子”がどこのだれだとか把握してないからわかんないよ」

 チカは無難な答えでマシロの問いをかわす。

 そのうちにマシロはバラバラ殺人事件から興味を失ったのか、より分けた箱の中にあるサクラの塩漬けが入ったビンを手に取った。

「今日はアンパンでも作ろうよ。上にサクラの塩漬けのっけてさ」
「いいね」

 マシロの興味の先がそれたので、チカは内心で安堵しつつ彼女の提案に乗る。

「ササも作るよね?」
「ああ。ユーは甘いものが好きだからな」
「じゃあ色々あんこを作ろっか。こしあん、つぶあん、甘さ控えめ、うんと甘いやつ……」

 ササによるとユースケは甘いものに目がないらしい。曰く、「甘いものならいくらでも食べられる」そうだ。

 わくわくとした様子で計画を立てるマシロを見ても、チカの脳裏にはあの青白い腕がよぎる。心の中でため息をつきつつ、このあと作るアンパンを思い描くことで、落ち込んでいく気分を持ち直そうとした。


 昼食を終えてチカとアマネが食器洗いを終えてしばらく、チカ、マシロ、ササの三人はアンパン作りに励んでいた。

 あんこをパン生地で包み、ひととおり発酵を終わらせて、最後にオーブンで焼き上げる段階になって、台所にユースケが顔を出した。チカたち――とは言うが、主にササだろう――の顔をぐるりと見たあと、なぜかホッと安堵した表情になる。

「どうしたんだ?」

 オーブンがアンパンを焼き上げる音がする中、ササがユースケに問う。ユースケは手短に“城”に侵入者があったことを告げた。

「泥棒?」
「多分違うと思うが、これから話を聞く」
「“黒子”?」
「俺は見たことのない顔だ」
「じゃあ流れ者かなあ。見に行ってもいい?」

 マシロの邪気のない言葉にチカはちょっとだけぎょっとした。

 ユースケはマシロのセリフに少々呆れた顔をしつつ、答える。

「まあ……いいが。一応気をつけろよ」

 ユースケがそう言ってくるりと背中を見せる。マシロとササがそのあとについていく様子だったので、チカもそこに混ざった。野次馬根性も少しはあったが、この場でひとりだけ台所に残るのも変だろうかと思っての行動だった。

 ユースケが向かった先は“城”の奥深くにある倉庫のひとつだった。

「ここでふんじばってる」

 ユースケによると最初に見つけたのがアオだったので、侵入者はそれなりにボコられたようだ。アオは「そういう」ところがある。つまり、他人に暴力をふるうことにかんして、あまりためらいがない。

 そんなアオに見つかった侵入者は運が悪い。他方、チカたちにとっては運がよかったのかどうかはよくわからない。

 倉庫の扉を開けて、ランタンの光を差し向ければ、ユースケの言葉通り適当なイスに「ふんじば」られた若い男がいた。いや、若い男であると判別するには少しだけ時間を要した。

 なにせその男の顔はボコボコに殴られたあとであることは明白で、左の頬など青紫色に腫れ上がっている。そのせいもあってか、男はひどくしゃべりづらそうにしていた。

 だが相対的にまだ常識があるほうのコーイチはともかく、それ以外の三人は容赦と言う言葉をあまり知らない。

 侵入者である男の前に立つアマネは、腕を組んで男を見下ろしていたし、アオなどはイスに縛りつけられた男の足を、つま先で蹴っている。

「……なんで連れてきた」

 チカたちの姿を確認してか、アマネが不機嫌そうな声で唸る。

「面通しする必要もあるだろ。だれかと顔見知りかもしれない」

 そう言い訳めいた言葉をユースケは口にしたものの、チカもマシロもササも、侵入者であるという男の顔には見覚えがなかった。

「“黒子”じゃないってことか」
「でもここにくるときに布で顔を隠している人も多いし……見覚えがなくてもおかしくはないかも?」
「関所にいる兵士とかじゃないのか」

 ユースケの言葉に、男が素早く瞬きをする。ゆらゆらと中空へ目を泳がせる姿を見れば、ユースケの推測は当たっているのかもしれないとチカは思った。

「なるほど。関所にいる兵士だったらこの“城”にきたことがなくてもおかしくはないよね」
「それか流れ者」
「流れ者にしちゃ身綺麗すぎる」
「じゃあ、やっぱり兵士?」
「明日、“黒子”に突き出せばわかるだろ」

 わいわいがやがやと意見を交わす。

 最終的にユースケが言ったように、明日“黒子”が“捨品”を届けにくるときに突き出すことで落ち着いた。身元も、その段になれば判明するだろう。わかったところでチカたちにはどうでもいいことなのだが。

「じゃー、それまでこの倉庫に縛って置いておくってことでいいか?」

 コーイチの言葉にだれも異議を唱えなかった。

「ま、待ってくれ」
「は? なに勝手にしゃべってんの?」

 アオが不機嫌そうな声ですごみ、つま先で男の脚を蹴った。むこずねに入ったのか、男が「ウッ」と声を出す。

「俺はただ話を聞こうと……そう、バラバラ遺体の捜査で……」
「それで不法侵入してもいい理由にはなんねえよなあ?」

 アオがまた男の脚を蹴った。ヤクザみたいなやつだな、とチカはアオを見ながら思った。思っただけで、口にはしなかったが。

はやった結果、不法侵入?」

 マシロが不思議そうに言う。チカもなんとなく腑に落ちず、気持ちの悪い思いをする。「若気の至り」と言ってしまえば、納得できるようなできないような。

「お前、犯人じゃないだろうな」

 ササの言葉に一瞬、場の空気が止まったような錯覚をする。

「あー……疑われないためのパフォーマンスってやつ?」

 コーイチが男を見ながら言う。

「ち、違う!」

 男はコーイチの言葉に対し、食い気味に首を振って否定した。しかしその狼狽ぶりを見ていると、ササの言ったこともあながち飛躍した推測とは言い難く聞こえてくる。

「……めんどくせえ。違うか違わないかはどうでもいい。どうせ明日になればわかるだろ」
「まあそうだけど」
「縛って置いておけばわかるよね? だって、夜には『出る』だろうし」

 いつもより三割増しで不機嫌そうなアマネに応えれば、マシロが無邪気な声で言う。

 七人の視線が男に集まった。

「な、なんだよ……」

 子供と言えども縛り上げられた上で、一度にじっと見つめられるのは大人であったとて不気味らしい。

 どこかおびえた様子の男に対し、アオがニヤーッとイヤな感じの笑みを浮かべる。

「そうだな、夜になればわかるか」

 チカも同意だったのでなにも言わなかった。

 ここのところ午前レイ時過ぎから朝方までの夜のあいだ、今回のバラバラ殺人の被害者である娘が、“城”の内部を徘徊しているのだ。

 普段の徘徊者とは違い、ただすすり泣いてさまようだけであるから、チカたちからするとずいぶん無害であった。

 けれどもそれなりに良心があるチカからすると、その娘のすすり泣きは心にくるものがあった。ゆえに早く事件が解決して欲しいと半ば本気で願っていたわけである。

「もうそろそろアンパン焼けるから出よ?」

 マシロの言葉に、途端お開きの空気が漂う。

「アンパン焼いてたんだ?」
「そう。てっぺんに“捨品”でもらったサクラの塩漬けを乗せてー。あとつぶあん、こしあん、甘さひかえめ、めいっぱい甘いやつ、と色々あるよ!」
「三時のおやつにちょうどいいな」

 ぞろぞろと倉庫を出て行く七人の背中に、イスに縛られたままの男の声がかかるが、だれもそれに応えようとはしなかった。

 みな超能力者ではないのだ。男が真実を話しているかなどわからないし、その胸中だって見透かせない。

 ならば判定は「彼女」に任せよう。七人がそういう結論に至るのは、ごく自然の流れだった。

 午前レイ時になるまであとおよそ九時間。

 侵入者である男の真実は、運命は、果たして――。
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