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「ね、ねえキミどうしたの? こんなところでうつむいて……」
ミオリがおどろいて顔を上げれば、すぐ近くにラーセと同年代くらいに見える男性が立っていた。きっちりとしたスーツ姿の男性は――ミオリが家から出てしまってそう時間が経っていないのであれば――通勤途中のサラリーマンだろうか。
……けれどもその顔はなんだか紅潮して、脂ぎっているようにミオリには見えた。表情もなんとなく、こちらを心配しているといった感じには見えず、ミオリの胸中ににわかに不安の雲が立ち込める。シュヴァーやラーセには感じなかった、正体の知れない恐怖感が湧いてくる。
「だ、だいじょうぶです」
ミオリはサラリーマン風の男性から距離を取りたくなって、あわてて彼の横を通り過ぎようとした。しかし、すれ違いざまにミオリの肩が急に重くなって、次にはうしろに引っ張られた。
「た、体調悪いんじゃないの? おじさん、心配だなあ」
「あの……本当にだいじょうぶなので……」
見ず知らずの成人男性に、肩だけとは言えども無遠慮に体を触られるのは、なんだか嫌だった。けれどもミオリの顔が引きつっていることなどわからないのか、あるいはわかっていてあえて無視を決め込んでいるのか、男性は妙に鼻息荒くミオリに話しかけてくる。比例し、ミオリの中で段々と恐怖心が大きくなっていく。
「可愛いねえ、キミ。ここらへんじゃ見ない顔だよね?」
「あの……」
「ちょっとおじさんと――」
ミオリが軽く身をよじっても、男性はミオリの肩から手を離そうとはしない。それどころか、ぐっと強めに握り込まれるようにしてつかまれて、ミオリは少しだけ痛みを覚えた。「やめてください」――そんな言葉がミオリの口から反射的に出る前に、ミオリのうしろから伸びてきた手が、男性の手首を捉えて、ミオリの肩からあっという間に引き剥がした。
「――なにをしているんですか」
ミオリを助けてくれたのは、シュヴァーだった。肩で大きく呼吸をして、息を切らせながらも、ミオリの目の前にいるサラリーマン風の男性に対し、鋭い視線を向けている。
シュヴァーは、ミオリの腕を引いて自身の背中へ隠すように移動を促す。ミオリは、シュヴァーの手に引かれるまま、彼のうしろへと下がった。
「な、なんだねアンタ――」
「この子の保護者です。この子になにか用ですか? さきほど声をかけていたみたいですが」
「い、いや、その子が具合悪そうにしていたから声をかけただけで――」
「そうですか。ご心配ありがとうございます」
にわかに顔色が悪くなった男性に対し、シュヴァーはまったく、心から感謝しているとは感じられない堅い声で言葉を返す。男性はそれで気分を害されたのか、はたまた別の理由があるのか、一転してシュヴァーに忌々しげな視線を送る。ミオリは、そういった男性の変わり身の早さを見て、自分が男性に対し抱いた恐怖心は正しかったのだろうとぼんやり考える。
「それじゃあ、帰ろうか」
サラリーマン風の男性に、もはや用はないとばかりにシュヴァーが背を向けて、ミオリと相対する。ミオリはそれになんと答えればいいのかわからず、曖昧にうなずくにとどめた。そんなミオリの右手を、シュヴァーの左手が捉える。まるで壊れ物でも扱うかのような、やんわりとした握り方だった。先ほど男性に肩をつかまれたときのような恐怖心を、ミオリは抱かなかった。
シュヴァーにゆるく手を引かれて、恐らく家までの帰路をたどっているのだろうとミオリは判じる。ミオリは男とも女とも見分けがつかぬ謎の人物の不可思議な力によって外に連れ出された。少なくともミオリの目からはそういうことになる。なので、土地勘などないミオリには家に戻るまでの道筋がわからないから、「恐らく」という言葉がついた。
そしてその道中で、ミオリはじわじわと、サラリーマン風の男性に絡まれたときとは別の恐怖心がにわかに湧き立つのを感じていた。
――どう言ったらいいんだろう。
恐らく、ミオリをこの世界へと連れて行ったというか……叩き込んだ張本人らしき人物に、有無を言わさず外へと連れ出された。ミオリからするとそれが嘘偽りない真実だったのだが、文章として羅列してみると、うろんなことこの上ない。こんなことを正直に述べて、シュヴァーとラーセが納得するのかミオリにはわからず、不安の波が押し寄せる。
加えて、帰路でシュヴァーは珍しくなにもしゃべらなかった。どちらかと言えばシュヴァーはおしゃべりなタチだ。逆にラーセはあまり不必要なことをしゃべるのを好まない様子だ。そんなシュヴァーが、貝のように黙りこくっている。
怒っているのかもしれない、とミオリは思った。あるいは、なにも言う気がなくなるほどに、ミオリに呆れ果てたのかもしれない。
怒らせたか、呆れさせたか――いずれにせよ、幻滅させてしまったのだとすれば……ミオリは刑を言い渡される被告人のような気持ちになって、頭から血の気が引いていくような気になった。心なしか、くらくらとめまいすら覚えた。
素直に申し開きをすべきか、ただひたすらに謝罪すべきか。ミオリはそのどちらか、あるいは両方をしなければならないと思ったが、果たしてそれでシュヴァーとラーセに許してもらえるのかどうかは、白い霧の中にいるように、まったくわからなかった。
ミオリがおどろいて顔を上げれば、すぐ近くにラーセと同年代くらいに見える男性が立っていた。きっちりとしたスーツ姿の男性は――ミオリが家から出てしまってそう時間が経っていないのであれば――通勤途中のサラリーマンだろうか。
……けれどもその顔はなんだか紅潮して、脂ぎっているようにミオリには見えた。表情もなんとなく、こちらを心配しているといった感じには見えず、ミオリの胸中ににわかに不安の雲が立ち込める。シュヴァーやラーセには感じなかった、正体の知れない恐怖感が湧いてくる。
「だ、だいじょうぶです」
ミオリはサラリーマン風の男性から距離を取りたくなって、あわてて彼の横を通り過ぎようとした。しかし、すれ違いざまにミオリの肩が急に重くなって、次にはうしろに引っ張られた。
「た、体調悪いんじゃないの? おじさん、心配だなあ」
「あの……本当にだいじょうぶなので……」
見ず知らずの成人男性に、肩だけとは言えども無遠慮に体を触られるのは、なんだか嫌だった。けれどもミオリの顔が引きつっていることなどわからないのか、あるいはわかっていてあえて無視を決め込んでいるのか、男性は妙に鼻息荒くミオリに話しかけてくる。比例し、ミオリの中で段々と恐怖心が大きくなっていく。
「可愛いねえ、キミ。ここらへんじゃ見ない顔だよね?」
「あの……」
「ちょっとおじさんと――」
ミオリが軽く身をよじっても、男性はミオリの肩から手を離そうとはしない。それどころか、ぐっと強めに握り込まれるようにしてつかまれて、ミオリは少しだけ痛みを覚えた。「やめてください」――そんな言葉がミオリの口から反射的に出る前に、ミオリのうしろから伸びてきた手が、男性の手首を捉えて、ミオリの肩からあっという間に引き剥がした。
「――なにをしているんですか」
ミオリを助けてくれたのは、シュヴァーだった。肩で大きく呼吸をして、息を切らせながらも、ミオリの目の前にいるサラリーマン風の男性に対し、鋭い視線を向けている。
シュヴァーは、ミオリの腕を引いて自身の背中へ隠すように移動を促す。ミオリは、シュヴァーの手に引かれるまま、彼のうしろへと下がった。
「な、なんだねアンタ――」
「この子の保護者です。この子になにか用ですか? さきほど声をかけていたみたいですが」
「い、いや、その子が具合悪そうにしていたから声をかけただけで――」
「そうですか。ご心配ありがとうございます」
にわかに顔色が悪くなった男性に対し、シュヴァーはまったく、心から感謝しているとは感じられない堅い声で言葉を返す。男性はそれで気分を害されたのか、はたまた別の理由があるのか、一転してシュヴァーに忌々しげな視線を送る。ミオリは、そういった男性の変わり身の早さを見て、自分が男性に対し抱いた恐怖心は正しかったのだろうとぼんやり考える。
「それじゃあ、帰ろうか」
サラリーマン風の男性に、もはや用はないとばかりにシュヴァーが背を向けて、ミオリと相対する。ミオリはそれになんと答えればいいのかわからず、曖昧にうなずくにとどめた。そんなミオリの右手を、シュヴァーの左手が捉える。まるで壊れ物でも扱うかのような、やんわりとした握り方だった。先ほど男性に肩をつかまれたときのような恐怖心を、ミオリは抱かなかった。
シュヴァーにゆるく手を引かれて、恐らく家までの帰路をたどっているのだろうとミオリは判じる。ミオリは男とも女とも見分けがつかぬ謎の人物の不可思議な力によって外に連れ出された。少なくともミオリの目からはそういうことになる。なので、土地勘などないミオリには家に戻るまでの道筋がわからないから、「恐らく」という言葉がついた。
そしてその道中で、ミオリはじわじわと、サラリーマン風の男性に絡まれたときとは別の恐怖心がにわかに湧き立つのを感じていた。
――どう言ったらいいんだろう。
恐らく、ミオリをこの世界へと連れて行ったというか……叩き込んだ張本人らしき人物に、有無を言わさず外へと連れ出された。ミオリからするとそれが嘘偽りない真実だったのだが、文章として羅列してみると、うろんなことこの上ない。こんなことを正直に述べて、シュヴァーとラーセが納得するのかミオリにはわからず、不安の波が押し寄せる。
加えて、帰路でシュヴァーは珍しくなにもしゃべらなかった。どちらかと言えばシュヴァーはおしゃべりなタチだ。逆にラーセはあまり不必要なことをしゃべるのを好まない様子だ。そんなシュヴァーが、貝のように黙りこくっている。
怒っているのかもしれない、とミオリは思った。あるいは、なにも言う気がなくなるほどに、ミオリに呆れ果てたのかもしれない。
怒らせたか、呆れさせたか――いずれにせよ、幻滅させてしまったのだとすれば……ミオリは刑を言い渡される被告人のような気持ちになって、頭から血の気が引いていくような気になった。心なしか、くらくらとめまいすら覚えた。
素直に申し開きをすべきか、ただひたすらに謝罪すべきか。ミオリはそのどちらか、あるいは両方をしなければならないと思ったが、果たしてそれでシュヴァーとラーセに許してもらえるのかどうかは、白い霧の中にいるように、まったくわからなかった。
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