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ミオリとラーセ、シュヴァーと共に移り住んだのは、閑静な住宅街にある一軒家だった。しかしミオリが想像していた「一軒家」よりはぐるりと家屋を取り囲む塀が高い。塀に合わせて門扉も高く、向こう側が見えないタイプの、がっしりとしたものだ。塀の上には有刺鉄線と、やたらに鋭利な銀色のトゲが上を向いている。そして監視カメラのような物体。
要人が住む家のようだという感想をミオリは抱いたものの、肝心の「要人が住む家」そのものを実際に見たことがないから、それは完全な空想の産物だとも思った。
ミオリは、自身がこの世界において異物で――言ってしまえば「珍獣」である自覚はあるていどは持っていた。だから、この一軒家はその「珍獣」を入れておくための檻に見えた。ミオリという珍獣の安全のためというのもあるだろうが、一方で逃がさないためという意思も感じられた。
しかしミオリには、それに対してどうこういう力はない。権利は……もしかしたらあるかもしれない。この世界での社会常識――道徳心や倫理観に、ミオリの世界との違いは今のところ感じられないからだ。
けれども、衣食住を保証してもらっている身で、たいそうなことは言えない。と、ミオリは思っていた。
「外は危ないからね。塀があるけど……庭にも出ちゃダメだよ。部屋のカーテンくらいは開けてもいいけれど」
引っ越してきて、改めて生活のルールなどを取り決めるときに、シュヴァーに先んじて釘を刺される。ミオリはそれに黙ってうなずいた。前の住居にいるときに、一切の外出が許されなかったことを考えれば、シュヴァーの宣告におどろきはなかった。
窮屈さを感じないかと問われれば、感じはするが、ミオリは外向的な性格ではない。外で元気よく体を動かしたりするよりは、部屋の中で漫画や小説をずっと読んでいることのほうを選ぶ。そういうタイプだったから、外出を制限されること自体への苦痛は、あまりなかった。
「男子の格好をしてもだめですか?」
それでも、一応の疑問を解消したくて、そんな言葉を口にする。
「女のひとがほとんどいないなら……わたしのことを女だと思うひとも――」
「駄目だ」
ミオリの言葉を途中で打ち切ったのは、ラーセだった。どこか硬い表情をしたラーセを見て、ミオリは反射的に「失敗した」と思った。ふたりがミオリには特別優しいから、甘えたことを言ってしまったと思った。
「……わかりました」。そう言ってから、無意識のうちにうつむいてしまったミオリを見かねてか、シュヴァーが取りなすように柔和な声で場を繋げる。
「ラーセはミオリちゃんのことが心配なんだよ。もちろん私もね。ミオリちゃんには外は危険だから、なにかあったらと思うと、想像だけで胸が痛くなる」
そういうものだろうかと、ミオリは疑問に思った。言ってはなんだが、ミオリはラーセやシュヴァーからすれば、縁もゆかりもない見知らぬ、ただの子供だ。特別な能力や才能があるとか、そんなこともない、平凡な子供がたとえば残酷な目に遭ったとして、胸を痛めることなど果たしてあるのか、ミオリにはわからなかった。
それよりも、ラーセの態度が怖かった。ミオリは、この世界では寄る辺ない存在だ。今、身ひとつで放り出されれば、簡単に野垂れ死ぬだろうことは、子供のミオリにも容易に想像がつく。
もう不用意な質問をするのはやめようと、ミオリは心に決めた。よほどのことがない限り、黙っていたほうがいい。嵐が来ても、過ぎ去るまで石のようになっていればいい。そうやって、今までミオリはやってきたのだ。
「……絶対に、外には出るな」
ラーセの言葉に、ミオリはあわててこくこくと二度うなずいた。シュヴァーは「言い方ってものがあるだろう」と、少しだけラーセに怒った様子を見せる。ミオリは、あわてて「ラーセさんの言いたいことは、わかってますから」と言う。付き合いの浅いミオリから見ても、仲が悪くなかったラーセとシュヴァーが、ミオリが口にした「つまらないこと」で言い争う姿は、見たくなかった。
「ごめんね。外出は許可できないけれど……それ以外のことなら、出来るだけ叶えてあげるから」
口約束だとしても、そんなことを言ってしまっていいのかと、ミオリは他人事ながら心配になった。ミオリが厄介な要望を出すと、シュヴァーは思っていないのか、それとも。
いずれにせよミオリが、ふたりにとうてい叶えられなさそうなわがままを口にすることは、ない。それでラーセやシュヴァーの心証を悪くしたくなかったし、想像はできなかったものの、機嫌を損ねさせるようなことは、万が一にでもしたくはなかった。
「……だいじょうぶです。外に出るのは、そんなに好きじゃないですし」
「そう? それでもずっと家にいるのは嫌じゃない?」
「……そんなことないです」
「……ならいいけれど。欲しいものがあったらすぐに言ってね」
シュヴァーに優しくそう言われたものの、ミオリはすぐにはその「欲しいもの」が思いつかなかった。
女性用の下着一式は、替えも含めてオーダーメイドのものを先日もらったばかりだ。今後必要になるのは月経が始まった際に使うナプキンだろうか。しかしまだ、ミオリは初潮が来ていなかったから、喫緊の問題というわけでもない。
シュヴァーの視線が、どこか期待を含んでいることにミオリが気づかないわけがなかった。
「じゃあ……たまにお菓子を食べたいです……」
「たまに? 毎日食べていいよ。もちろん、食べすぎはダメだけど」
シュヴァーが柔らかく破顔したのを見て、ミオリは内心でほっと安堵の息を漏らす。
「……お前は細いんだから、もっと食ったほうがいい」
「それには同意だけど、もっと言い方ってものがあると思うよ? 体型の話はデリケートなんだから。ミオリちゃんが気にしちゃうだろ?」
「あの、わたしは、別に……」
「……わかってるよ」
ずっと押し黙ったままだったラーセが会話に参加したことで、空気が少しだけなごやかになったのを感じて、ミオリは「今度は間違えなかった」と思った。
要人が住む家のようだという感想をミオリは抱いたものの、肝心の「要人が住む家」そのものを実際に見たことがないから、それは完全な空想の産物だとも思った。
ミオリは、自身がこの世界において異物で――言ってしまえば「珍獣」である自覚はあるていどは持っていた。だから、この一軒家はその「珍獣」を入れておくための檻に見えた。ミオリという珍獣の安全のためというのもあるだろうが、一方で逃がさないためという意思も感じられた。
しかしミオリには、それに対してどうこういう力はない。権利は……もしかしたらあるかもしれない。この世界での社会常識――道徳心や倫理観に、ミオリの世界との違いは今のところ感じられないからだ。
けれども、衣食住を保証してもらっている身で、たいそうなことは言えない。と、ミオリは思っていた。
「外は危ないからね。塀があるけど……庭にも出ちゃダメだよ。部屋のカーテンくらいは開けてもいいけれど」
引っ越してきて、改めて生活のルールなどを取り決めるときに、シュヴァーに先んじて釘を刺される。ミオリはそれに黙ってうなずいた。前の住居にいるときに、一切の外出が許されなかったことを考えれば、シュヴァーの宣告におどろきはなかった。
窮屈さを感じないかと問われれば、感じはするが、ミオリは外向的な性格ではない。外で元気よく体を動かしたりするよりは、部屋の中で漫画や小説をずっと読んでいることのほうを選ぶ。そういうタイプだったから、外出を制限されること自体への苦痛は、あまりなかった。
「男子の格好をしてもだめですか?」
それでも、一応の疑問を解消したくて、そんな言葉を口にする。
「女のひとがほとんどいないなら……わたしのことを女だと思うひとも――」
「駄目だ」
ミオリの言葉を途中で打ち切ったのは、ラーセだった。どこか硬い表情をしたラーセを見て、ミオリは反射的に「失敗した」と思った。ふたりがミオリには特別優しいから、甘えたことを言ってしまったと思った。
「……わかりました」。そう言ってから、無意識のうちにうつむいてしまったミオリを見かねてか、シュヴァーが取りなすように柔和な声で場を繋げる。
「ラーセはミオリちゃんのことが心配なんだよ。もちろん私もね。ミオリちゃんには外は危険だから、なにかあったらと思うと、想像だけで胸が痛くなる」
そういうものだろうかと、ミオリは疑問に思った。言ってはなんだが、ミオリはラーセやシュヴァーからすれば、縁もゆかりもない見知らぬ、ただの子供だ。特別な能力や才能があるとか、そんなこともない、平凡な子供がたとえば残酷な目に遭ったとして、胸を痛めることなど果たしてあるのか、ミオリにはわからなかった。
それよりも、ラーセの態度が怖かった。ミオリは、この世界では寄る辺ない存在だ。今、身ひとつで放り出されれば、簡単に野垂れ死ぬだろうことは、子供のミオリにも容易に想像がつく。
もう不用意な質問をするのはやめようと、ミオリは心に決めた。よほどのことがない限り、黙っていたほうがいい。嵐が来ても、過ぎ去るまで石のようになっていればいい。そうやって、今までミオリはやってきたのだ。
「……絶対に、外には出るな」
ラーセの言葉に、ミオリはあわててこくこくと二度うなずいた。シュヴァーは「言い方ってものがあるだろう」と、少しだけラーセに怒った様子を見せる。ミオリは、あわてて「ラーセさんの言いたいことは、わかってますから」と言う。付き合いの浅いミオリから見ても、仲が悪くなかったラーセとシュヴァーが、ミオリが口にした「つまらないこと」で言い争う姿は、見たくなかった。
「ごめんね。外出は許可できないけれど……それ以外のことなら、出来るだけ叶えてあげるから」
口約束だとしても、そんなことを言ってしまっていいのかと、ミオリは他人事ながら心配になった。ミオリが厄介な要望を出すと、シュヴァーは思っていないのか、それとも。
いずれにせよミオリが、ふたりにとうてい叶えられなさそうなわがままを口にすることは、ない。それでラーセやシュヴァーの心証を悪くしたくなかったし、想像はできなかったものの、機嫌を損ねさせるようなことは、万が一にでもしたくはなかった。
「……だいじょうぶです。外に出るのは、そんなに好きじゃないですし」
「そう? それでもずっと家にいるのは嫌じゃない?」
「……そんなことないです」
「……ならいいけれど。欲しいものがあったらすぐに言ってね」
シュヴァーに優しくそう言われたものの、ミオリはすぐにはその「欲しいもの」が思いつかなかった。
女性用の下着一式は、替えも含めてオーダーメイドのものを先日もらったばかりだ。今後必要になるのは月経が始まった際に使うナプキンだろうか。しかしまだ、ミオリは初潮が来ていなかったから、喫緊の問題というわけでもない。
シュヴァーの視線が、どこか期待を含んでいることにミオリが気づかないわけがなかった。
「じゃあ……たまにお菓子を食べたいです……」
「たまに? 毎日食べていいよ。もちろん、食べすぎはダメだけど」
シュヴァーが柔らかく破顔したのを見て、ミオリは内心でほっと安堵の息を漏らす。
「……お前は細いんだから、もっと食ったほうがいい」
「それには同意だけど、もっと言い方ってものがあると思うよ? 体型の話はデリケートなんだから。ミオリちゃんが気にしちゃうだろ?」
「あの、わたしは、別に……」
「……わかってるよ」
ずっと押し黙ったままだったラーセが会話に参加したことで、空気が少しだけなごやかになったのを感じて、ミオリは「今度は間違えなかった」と思った。
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