13 / 16
市川浩平という男3
しおりを挟む玄関まで送ると言ってくれたのだが、体力の限界まで来ている割に、美鳥さんにぐちゃぐちゃな部屋の中を見せたくないという羞恥心は忘れておらず、俺はやせ我慢をして家は一階だからとアパートの入り口でサヨナラをすることにした。
「あの、ありがとうございます。お礼も何も出来なくて……良かったら連絡先とか……」
「ええっ? お礼なんていらないよぉ、俺もあいつと早々に別れ話が出来て助かったから。とにかく早く帰って寝なよ」
ちっ。連絡先ゲットならず。
後ろ髪引かれる思いで美鳥さんと別れた後、なんとか鍵を開けて部屋に入る俺。先ほど買ったヨーグルトを流し込んでから薬を飲み、速攻でベッドに倒れ込んだ。
インフルエンザが完治してからは、ふとした時にあの時のことを思い出すことはあっても、住んでる場所も職場も分からない人を探し当てることなど出来ず。それでも「美鳥さん」という名前と優しい眼差しや、細い肩を思い出しては物思いに耽ることが多くなった。
スッキリしない気持ちを晴らすために、たまたま体験に行った近所のスポーツジムで美鳥さんの姿を見つけた時には、まさかこんなことがあるのかと運命を感じたくらいだ。
まぁその後すぐに、現実ってやつを思い知ることになるんだけどね。
(また彼氏変わってるし……)
あれから何度か声をかけようと思ったタイミングがあったのだが、その度に違う男と連れ添う美鳥さんを見て半分呆れ、そして無性に苛ついていた。男が恋愛対象であることは出会いの段階で理解していたが、次々と変わっていく恋人にその股の緩さと好みの傾向が分かってくる。
(なるほど。童貞好きのビッチ、ってところかな)
女にもたまにいるが、初モノが好きな人間は一定数存在する。童貞食い・処女厨なんて言葉もあるくらいだし、その好みに性差は関係ないよな。
美鳥さんは特にそれが顕著で、中でも女慣れしておらず、そして男にも拘らず美人な美鳥さんにポーッとしてしまうような、朴訥でまさしく童貞って雰囲気の男が好みらしい。そいつらを見つめる美鳥さんの顔はあの時見た聖母のように優しい表情をしていて。まぁ、男なんだけどな。
「まぁそれならそれで、攻略方法もわかりやすいか……」
美鳥さんを見ているほど、そしてその内面が透けて見えれば見えるほどに『本当の姿』が見たくなってくる。童貞男の前で見せる優しい微笑みは美しかったがどうも嘘くさい。俺を家に送ってくれる道中で見せてくれた笑顔の方が、彼の素の姿に近いような気がしていたのだ。
俺は少し離れたところで彼氏と戯れる美鳥さんのエロい身体を眺めながら、その全てが自分のものになる日を想像することで、勝手な独占欲で昂ぶる感情をなんとか抑えるのだった。
***
「あの、次それ使ってもいいかな?」
(ッよっしゃ! かかった……!!)
さながら俺は、伝説の魚を待つ釣り師。
童貞臭という大好物を取り付けた、特大の釣り針をぶら下げて美鳥さんが引っかかるのを待ち続けた。
「え……、っは、はい!」
背後からかけられた声に、その相手が美鳥さんだと確信していたが、緩まりそうな表情を必死で引き締めつつ、なんでもないような顔で振り返る。そして、予想通りの人をその目で捉えた瞬間。俺は恥ずかしがるようにパッと目を逸らした。
ここ数ヶ月繰り返し行ってきた演技は慣れたもので、「好意を持っている綺麗なお兄さんに声をかけられて緊張している俺」へ瞬時になりきっていた。狙った通りの展開に興奮してしまい、マシンを拭く手が震え思わず身体をぶつけるなどの失態をおかすが、ある意味それも良い味を出していたと思う。
「ふふっ。急いでないので、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ?」
「あ、は、はい……すみません」
案の定楽しそうに微笑う美鳥さんは優しい顔をしていたが、その目は獲物を狙うハンターさながらだった。
(童貞クンはこんなのにも気付けないわけ? 超すけべな目してんじゃん)
俺の身体を舐め回すように眺める美鳥さん。これまでも遠くから品定めをするように見られていたことはあるが、近くでこうも見つめられるとなんとも面映い。それをヘラっと笑う事でごまかすと、美鳥さんが初めましての挨拶をしてくれる。
はじめてじゃないんだけどな。
そう思った言葉をグッと飲み込んで、若干前のめり気味に自分の情報を相手に曝け出す。先にこちらの詳細を教えることで、向こうの警戒心を薄れさせる戦法だ。まぁ既に警戒心ゼロっぽいけど。この人よく今まで無事だったよ。心配になります。
「あははっ、なんか合コンみたいだね。教えてくれてありがとう」
大きな口を開けて笑う美鳥さんは、ここ最近見た中で一番あの時の姿に近かった。俺はその屈託無い笑顔に胸がぎゅっと引き絞られる。
「あまりこのジムで仲良い人いなかったから、年齢が近い子と知り合えてよかった♡ あ、でも26歳なんて、君からしたらおじさんだったりする?」
「そんなことないっす……! 柳瀬さん、めちゃくちゃ綺麗ですし!」
そんな言葉に感情のままストレートに褒めちぎると、美鳥さんは「照れちゃうな」と言ってまた笑ってくれた。
「よかったら俺のことは美鳥って呼んで? 女っぽいって揶揄われる事もあるんだけど、結構気に入ってるんだ。そのかわり俺も浩平くんって呼ばせてよ」
「もちろんっ、そうしてください。俺も……み、美鳥さん、て呼びます!」
「うん。ありがとう♡」
すでに呼んでますけどね。と心の中で呟きながら、俺は正式に彼を『美鳥さん』と呼ぶ権利を手に入れた。
10
お気に入りに追加
245
あなたにおすすめの小説
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
可愛い男の子が実はタチだった件について。
桜子あんこ
BL
イケメンで女にモテる男、裕也(ゆうや)と可愛くて男にモテる、凛(りん)が付き合い始め、裕也は自分が抱く側かと思っていた。
可愛いS攻め×快楽に弱い男前受け
ストレスを感じすぎた社畜くんが、急におもらししちゃう話
こじらせた処女
BL
社会人になってから一年が経った健斗(けんと)は、住んでいた部屋が火事で焼けてしまい、大家に突然退去命令を出されてしまう。家具やら引越し費用やらを捻出できず、大学の同期であった祐樹(ゆうき)の家に転がり込むこととなった。
家賃は折半。しかし毎日終電ギリギリまで仕事がある健斗は洗濯も炊事も祐樹に任せっきりになりがちだった。罪悪感に駆られるも、疲弊しきってボロボロの体では家事をすることができない日々。社会人として自立できていない焦燥感、日々の疲れ。体にも心にも余裕がなくなった健斗はある日おねしょをしてしまう。手伝おうとした祐樹に当たり散らしてしまい、喧嘩になってしまい、それが張り詰めていた糸を切るきっかけになったのか、その日の夜、帰宅した健斗は玄関から動けなくなってしまい…?
エレベーターで一緒になった男の子がやけにモジモジしているので
こじらせた処女
BL
大学生になり、一人暮らしを始めた荒井は、今日も今日とて買い物を済ませて、下宿先のエレベーターを待っていた。そこに偶然居合わせた中学生になりたての男の子。やけにソワソワしていて、我慢しているというのは明白だった。
とてつもなく短いエレベーターの移動時間に繰り広げられる、激しいおしっこダンス。果たして彼は間に合うのだろうか…
怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女
BL
幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。
しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。
「風邪をひくことは悪いこと」
社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。
とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。
それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる