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市川浩平という男3

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 玄関まで送ると言ってくれたのだが、体力の限界まで来ている割に、美鳥さんにぐちゃぐちゃな部屋の中を見せたくないという羞恥心は忘れておらず、俺はやせ我慢をして家は一階だからとアパートの入り口でサヨナラをすることにした。

「あの、ありがとうございます。お礼も何も出来なくて……良かったら連絡先とか……」
「ええっ? お礼なんていらないよぉ、俺もあいつと早々に別れ話が出来て助かったから。とにかく早く帰って寝なよ」

 ちっ。連絡先ゲットならず。

 後ろ髪引かれる思いで美鳥さんと別れた後、なんとか鍵を開けて部屋に入る俺。先ほど買ったヨーグルトを流し込んでから薬を飲み、速攻でベッドに倒れ込んだ。

 インフルエンザが完治してからは、ふとした時にあの時のことを思い出すことはあっても、住んでる場所も職場も分からない人を探し当てることなど出来ず。それでも「美鳥さん」という名前と優しい眼差しや、細い肩を思い出しては物思いに耽ることが多くなった。
 スッキリしない気持ちを晴らすために、たまたま体験に行った近所のスポーツジムで美鳥さんの姿を見つけた時には、まさかこんなことがあるのかと運命を感じたくらいだ。

 まぁその後すぐに、現実ってやつを思い知ることになるんだけどね。











(また彼氏変わってるし……)


 あれから何度か声をかけようと思ったタイミングがあったのだが、その度に違う男と連れ添う美鳥さんを見て半分呆れ、そして無性に苛ついていた。男が恋愛対象であることは出会いの段階で理解していたが、次々と変わっていく恋人にその股の緩さと好みの傾向が分かってくる。

(なるほど。童貞好きのビッチ、ってところかな)

 女にもたまにいるが、初モノが好きな人間は一定数存在する。童貞食い・処女厨なんて言葉もあるくらいだし、その好みに性差は関係ないよな。
 美鳥さんは特にそれが顕著で、中でも女慣れしておらず、そして男にも拘らず美人な美鳥さんにポーッとしてしまうような、朴訥でまさしく童貞って雰囲気の男が好みらしい。そいつらを見つめる美鳥さんの顔はあの時見た聖母のように優しい表情をしていて。まぁ、男なんだけどな。

「まぁそれならそれで、攻略方法もわかりやすいか……」

 美鳥さんを見ているほど、そしてその内面が透けて見えれば見えるほどに『本当の姿』が見たくなってくる。童貞男の前で見せる優しい微笑みは美しかったがどうも嘘くさい。俺を家に送ってくれる道中で見せてくれた笑顔の方が、彼の素の姿に近いような気がしていたのだ。

 俺は少し離れたところで彼氏と戯れる美鳥さんのエロい身体を眺めながら、その全てが自分のものになる日を想像することで、勝手な独占欲で昂ぶる感情をなんとか抑えるのだった。



 ***



「あの、次それ使ってもいいかな?」


(ッよっしゃ! かかった……!!)


 さながら俺は、伝説の魚を待つ釣り師。
 童貞臭という大好物を取り付けた、特大の釣り針をぶら下げて美鳥さんが引っかかるのを待ち続けた。

「え……、っは、はい!」

 背後からかけられた声に、その相手が美鳥さんだと確信していたが、緩まりそうな表情を必死で引き締めつつ、なんでもないような顔で振り返る。そして、予想通りの人をその目で捉えた瞬間。俺は恥ずかしがるようにパッと目を逸らした。

 ここ数ヶ月繰り返し行ってきた演技は慣れたもので、「好意を持っている綺麗なお兄さんに声をかけられて緊張している俺」へ瞬時になりきっていた。狙った通りの展開に興奮してしまい、マシンを拭く手が震え思わず身体をぶつけるなどの失態をおかすが、ある意味それも良い味を出していたと思う。

「ふふっ。急いでないので、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ?」
「あ、は、はい……すみません」

 案の定楽しそうに微笑う美鳥さんは優しい顔をしていたが、その目は獲物を狙うハンターさながらだった。

(童貞クンはこんなのにも気付けないわけ? 超すけべな目してんじゃん)

 俺の身体を舐め回すように眺める美鳥さん。これまでも遠くから品定めをするように見られていたことはあるが、近くでこうも見つめられるとなんとも面映い。それをヘラっと笑う事でごまかすと、美鳥さんが初めましての挨拶をしてくれる。

 はじめてじゃないんだけどな。

 そう思った言葉をグッと飲み込んで、若干前のめり気味に自分の情報を相手に曝け出す。先にこちらの詳細を教えることで、向こうの警戒心を薄れさせる戦法だ。まぁ既に警戒心ゼロっぽいけど。この人よく今まで無事だったよ。心配になります。

「あははっ、なんか合コンみたいだね。教えてくれてありがとう」

 大きな口を開けて笑う美鳥さんは、ここ最近見た中で一番あの時の姿に近かった。俺はその屈託無い笑顔に胸がぎゅっと引き絞られる。

「あまりこのジムで仲良い人いなかったから、年齢が近い子と知り合えてよかった♡ あ、でも26歳なんて、君からしたらおじさんだったりする?」
「そんなことないっす……! 柳瀬さん、めちゃくちゃ綺麗ですし!」

 そんな言葉に感情のままストレートに褒めちぎると、美鳥さんは「照れちゃうな」と言ってまた笑ってくれた。

「よかったら俺のことは美鳥って呼んで? 女っぽいって揶揄われる事もあるんだけど、結構気に入ってるんだ。そのかわり俺も浩平くんって呼ばせてよ」
「もちろんっ、そうしてください。俺も……み、美鳥さん、て呼びます!」
「うん。ありがとう♡」

 すでに呼んでますけどね。と心の中で呟きながら、俺は正式に彼を『美鳥さん』と呼ぶ権利を手に入れた。



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