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お仕事の時間です!
しおりを挟む歩夢が一人トイレを済ませてから、次の現場に行くために事務所の入り口へ向かうと、壁に寄り掛かった小田原がイヤホンをつけて何かを聴いてていた。
「なに聴いてるの?」
不思議に思ってそう問いかけてみると、意地の悪い笑顔を浮かべた小田原が楽しそうに言う。
「この間もらった、『恋なら』CDのデモ音源」
「はぁ!? ちょっと、こんなところで何聴いてるんだよ! 恥ずかしいからやめてよっ」
「それこそなんでだよ。立派な仕事だろ? 恥ずかしがってどうすんだ」
「~~っ、わかってる! わかってるけど、小田原さんに聴かれるのは、なんか嫌なのー!」
両手を伸ばしてプレイヤーを奪い取ろうとする歩夢だったが、すんでのところでそれを避けた小田原は一層目を細めて笑う。
「ん~? それは、演技と本気の違いがバレるからか~?」
「うぐ……っ」
にやにやとしながらそんなことを言う小田原にすぐに反論できないのは、それが真実だからである。いつも演技ではない声を誰よりもはっきりと聞いている相手に、聴き比べるような真似をされるのは恥ずかしくもあったし、とにかく嫌だった。
「だいぶ上手くなったが、やっぱ演技となると少し嘘っぽさが出るよなぁ。歩夢の喘ぎ声はこんなにくぐもった感じじゃなくて、もっと『思わず出ちゃった♡』っていう恥じらいがあるっつーか……」
「もっ、もぉー! やめてってばー!」
場所も憚らずにふざけたことを言い出す小田原に本気で殴りかかっていると、懐かしい声がエントランスに響いた。
「ちょっと。あんたらこんな入り口で、なにイチャついてんだよ」
「永瀬さん!?」
そこにいたのはまさかの永瀬で。事務所の違う彼が、一体何の用なのかと歩夢は目を丸くした。一足先に外面を取り繕った小田原が、愛想のいい笑顔を浮かべて永瀬に向き直る。
「お久しぶりです。永瀬さんこそ、本日は当所に何か御用が?」
「まぁ……今日はちょっと礼を言いに」
歯切れ悪くそう言った永瀬は、手に持っていた紙袋を小田原に突きつける。
「ほら」
「えっ、小田原さんに? ですか……?」
「まぁね……それ、一応有名なところのお菓子らしいから。事務所の人らと食べてよ」
小田原と永瀬の間に一体何があったのかと目を白黒させる歩夢とは対称的に、小田原は驚いたそぶりも一切見せず、ふっと頬を緩める。歩夢はそれが先ほどまでの作り物の笑顔ではなく、小田原が心から嬉しそうにしているのだと気付いて余計に訳が分からなくなった。
「あんたのアドバイスのおかげで、なんとかなりそうなんだわ。さんきゅーな」
「ふっ……そうですか。それならよかったです」
自分の知らないところで進行していく話に、歩夢は我慢が出来なくなって小田原のスーツを控えめに引っ張った。
「アドバイス? って、なんの……?」
「ん~、それは内緒かなぁ~」
「内野さんには、まだ少し早いですかね」
「何それっ!? 永瀬さんっ、教えてください!」
「えー? やだよ~、秘密だってば」
年相応にずるいずるいと喚く歩夢に、小田原がくすりと笑う。
最近の歩夢は前よりも猫の皮がはがれやすくなってきた。それは決して悪いことではなく、周りの大人たちを信頼することが出来るようになってきた証なのだろうと思っていた。もちろん被るべき時にはしっかり被ってもらわないと困るのだが。
「そろそろ時間ですね。移動しましょうか」
「あ! 歩夢ちゃん、時間だってさ~」
「ううう……二人して酷い……」
明らかに誤魔化す方向に促されて、歩夢はむくれて文句を言っている。
「ほらそんな顔しない。内野さん、お仕事の時間ですよ」
「うー……はい……」
はぐらかされたのは確実で、正直納得はいかないが仕事なのだから仕方ない。歩夢は丸まっていた背中をしゃんと伸ばして、一歩踏み出した。
今日もマイクに向かって、別の誰かを演じる。
秋の空は、驚くほどに澄んでいた。
おしまい。
*****
最後まで読んでくださり、また応援や閲覧もたくさんありがとうございました!
この後は後日談的なものを含め、いくつか短編を更新できたら…と思っていますが更新タイミングは不規則になるかと思います。
よろしければ、引き続きお付き合いください♡
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