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そうと決まれば準備です!

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「おい。他の人って、誰かアテでもあんのか」

 ぎり、と音がしそうなほど強く握られた腕に顔を顰めながら、歩夢は声を張り上げて反論する。

「なっ、ないけど! 今時スマホがあればどうとでもできるでしょ、きっと!」
「はぁ……そういう時だけは頭回んのかよ……」
「付き合う気ないなら離してよっ。俺、時間ないんだから……!」


 掴んだ腕は小刻みに震えているというのに、その表情からはここで手を離したら、本当に変な相手を引っ掛けてきそうで、やすやすと見過ごすことは出来ない。
 他にいくらでも方法はあるというのに、それが一体どういう意味なのか、ちゃんと理解して言っているのかと。小田原は身近にいる大人としてそう諭すべきだった。頭ではそう理解しているのに、他の誰かに頼むという歩夢の一言が、予想外に小田原から冷静な判断力を奪っていたらしい。

「お前がそのつもりなら、逃してやる必要なんてないよな……?」
「え……」

 はぁぁ……と大きなため息を吐く。歩夢の身体がびくりと跳ねたのが視界の端に映ったが、残念ながら今の小田原には、その様子に気遣いを見せられるほどの余裕はなかった。
 フレームレスの眼鏡を外して、目頭を揉むようにする。まるで機嫌がいいとは言えない姿に、歩夢が視線を泳がせていると、ボソリと呟くような声がした。

「……お前、今日は泊まれんのか?」

「えっ?」

 小田原が放った予想だにしなかった台詞の意味を汲み取れず、歩夢は思わず聞き返していた。目をまん丸に広げて自分を見つめる歩夢に、小田原はもう一度大きなため息を吐くと、不服げな様子を隠す事なく言った。

、するんだろ。先に言っておくけど、この前みたいな甘っちょろい内容じゃねぇからな。途中で泣き言うんじゃねぇぞ」

 紡がれる言葉は決して優しいものではなかったが、その瞳はわずかに揺れていて、まるで自分でも何を言っているのか分からないようでもあった。
 しかし、そんな些細な変化に気づくこともなく、歩夢はただ満面の笑みを浮かべて小田原を見上げた。

「い、言わない……! 俺、今日は泊まるって、家族に電話してくるっ」
「……そうかよ。じゃあ車の中で電話しな。今日のスケジュールも終わってるし……このまま俺ん家行くぞ」

 そう言うと長い足を動かして、さっさと社用車に向かってしまう小田原。何かにつけて反発をしている歩夢なので、いつもだったら「もっとゆっくり歩いてよ!」なんて、憤っていたかも知れないが今日だけは違った。スラっとした後ろ姿を小走りで追いかけながら、歩夢はこれでなんとか収録に臨むことができそうだと、ようやく肩の力を抜くことが出来るのだった。


 ◇◇◇


「そう、うん。急にごめんね。どうしても仕事で必要なことだから……うん、うん。ありがとう。父さんも気をつけて。うん、おやすみなさい」

 小田原の家へと向かう車中で父親に電話で外泊の旨を伝える。研究職の父が泊まり込みで何日も家を不在にすることはあっても、歩夢が外泊をするのは両親が再婚してから初めてのことだった。

 これまでに機会がなかったわけでもないのだが、結局どこにいても「良い子の歩夢」を演じてしまう歩夢にとって、自分の部屋だけが唯一の安寧の地。自分の意思で良い子であろうと努力はしているものの、その生活も延々と続けばやはりどこかで気疲れしてしまう。そのことを自覚してからは、極力交流の場には足を運ばない事にしたし、はやく帰れるのであれば喜び勇んで帰路についていた。
 そんな理由までは知らずとも、これまで泊まりなどすることのなかった息子の突然の外泊報告。しかもそれが本日の話なのだと聞いて、父親が何か問題でも起きたのではないかと訝しむのも仕方のないことだろう。

 歩夢としてもさすがに「セックスの練習を担当マネージャーに付き合ってもらうため外泊します」などとは口が裂けても言えないので、当たり障りのない理由を並べ立てて、なんとか父親を納得させると通話を切った。

「お前、親にもそんな感じで猫かぶってるわけ?」

 思いの外難航した父親とのやり取りに疲弊した歩夢は、携帯を鞄にしまうと後部座席に深く沈み込む。そんな歩夢の姿をバックミラー越しに確認すると、小田原は呆れたように声をかけてきた。

「今のは育ての親。血の繋がった両親はどっちもいないし、父さんとは高校入ってから家族になったから」
「ふーん……」

 肉親にまで演技をするのか、と言わんばかりの声色に、少しだけ唇を尖らせると言い訳混じりに自分の家庭環境を述べる。
 普段であれば仲の良い友人であっても、こんなプライベートな話はしないのに。なんでか小田原には演技や建前もなく、本音がすらすらと出てきてしまうのが不思議だ。

(興味があるのか無いのか、よく分かんないし。ふーんってなんだよ、ふーんって)

 ここで同情するような声をかけられたとしても、歩夢自身が自分を不幸だとは思っていないので、きっと憤慨したことだろう。それを思えば小田原のなんでも無いような事として返す反応は正解なのかもしれない。

 意図してやっているのか、なにも考えていないのか。よく分からない男だ。
 ハンドルを握って進行方向を見据えている横顔を眺めながら、歩夢は改めて目の前にいる相手のことを考えていた。



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