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ようやくひと段落です!
しおりを挟むくたくたに疲れた身体で玄関のドアを開けると、リビングに電気が灯っているのが見える。歩夢はその光を見て、普段なら寝ているだろう時間に父親が起きていることを察して、少し珍しく思っていた。
「ただいま」
部屋の中まで聞こえるように、少しだけ声を張り上げてそう告げると、パタパタとスリッパで駆ける音が聞こえてくる。
「歩夢くん、おかえり。ご飯はどうする?」
「あ、ごめん父さん。今日は食べてきちゃった」
「そっか、大丈夫だよ~。明日の朝でも食べられるような物にしてあるから」
ずれた眼鏡を直しながら、柔和な微笑みを浮かべる父親の姿に、疲れた心と身体が浄化されていく気がした。ふふ、と小さく笑い声を零すものの、疲れた色の隠せない歩夢の様子を見て、父はわずかに眉を顰める。
「最近忙しそうだね。体調は大丈夫?」
「うん。心配してくれてありがとう。新しい仕事が始まったから、慣れるまでは大変なんだけど……少しずつ出来るようになるのが、今は楽しいって思ってるから」
「そっか……うん。それなら良かった」
にっこりと笑いながらそう言う歩夢に、安心したような顔を見せた父は、幼い子にするように優しく歩夢の頭を撫でていく。その面映い行為に、さらに笑みを深めた歩夢は、嫌がる様子も見せずに、少しだけ自分より身長の高い父親の優しい手つきを甘受するのだった。
「それじゃあ俺、部屋いくね。父さんも仕事終わりで疲れてるのに、家事まで頑張り過ぎないで大丈夫だから。俺ももう社会人だし、ね?」
「うん、ありがとう。僕は大丈夫だよ。歩夢くんは放っておくと何も食べないで集中しちゃうんだから。せっかく天使みたいに可愛いのに、ガリガリになっちゃったら天国の歩紀さんに怒られちゃう」
「うーん、父さんに無理させるな! って、俺が怒られそうだけどなぁ」
歩夢はそんな調子で父親と軽い冗談を交わしながら、一区切りついたところで「おやすみ」と挨拶を残して自室に向かう。
仲睦まじい二人だったが、実のところ血が繋がっていない。血縁のある本当の父親は、歩夢が母親の腹の中にいた時、病気で亡くなったと聞いていた。そのままシングルマザーとして歩夢を育てていた母親は、ちょうど息子が高校生になってから、再び運命と呼べる相手と出会ったのだ。
少し気の強い母とおっとりした父は、意外にも気が合ったようですぐに再婚を決め、即日歩夢との顔合わせを済ませると、トントン拍子で籍を入れるに至った。まさかその後、一年も経たずに母がこの世を去ることになるとは、その時は誰も知る由もなかったのだが……。
そうして歩夢は母を亡くし、義理の父親と突然二人きりでの生活を送ることになるのだが、この男は非常に歩夢を可愛がってくれていた。おかげでそれからも、なに不自由ない日々を過ごすことが出来ていたのだが……多感な時期に唯一の肉親を亡くし、戸籍上家族とはいえ最近まで赤の他人だった相手との二人暮らしだ。いくら相手が良い人であったとしても、高校生の歩夢にかかる心的ストレスは、思った以上に大きかったのだろう。
迷惑をかけてはいけない。
良い子でいないといけない。
そういった強迫観念が歩夢を包み、完璧な自分であろうとする考えの根幹が出来上がる一因となっていた。
歩夢は静かに部屋の扉を閉め、ようやく本当の意味で身体から力を抜く。素の自分を見せたところでなにも変わらず、受け入れてくれるはずだと頭では分かっていても、どうしても父親の前でも良い子の仮面を被ってしまうのだ。着替えもせずにそのままベッドに飛び込むと、放り投げた鞄から台本を引っ張り出した。パラパラとページをめくり、次回の録音箇所になる場所に目を通すと盛大な溜息を漏らす。
「はぁ……俺、これから大丈夫かなぁ……」
そう呟いた一言は、すっきりと片付いた部屋の中で思ったよりも大きな声で響き、静かに霧散していくのだった。
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