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最初の見せ場に挑戦です!
しおりを挟む『――金が欲しいんだろう?』
永瀬の甘く、誑かす様な低い声が、マイクを通して響いている。
『いくら必要か、言ってみろよ。そんなもん腐るほど持っているんだ。好きなだけくれてやる』
『えっ……?』
『そのかわり、今日からお前は俺の物だ。お前の初めてを俺が貰うぜ……』
男の歩夢でもゾクゾクしてしまうような声で囁き、永瀬は器用に自分の手の甲を啄みながら、濡れたリップ音を鳴らしていた。
その方法はスタッフに言われ、録音が始まる前に歩夢も一度挑戦をしていたのだが、上手に音を出すことが出来なかった。そのため濡れ場のアフレコが初めての歩夢は台詞を言うことに専念し、効果音は全て永瀬に任せることに決まったのだ。
――ちゅぷっ、ちゅ、ちゅっ……
声を出すタイミングを合わせるために、歩夢はいやらしい音を響かせる永瀬の口元を注視した。
(ここで、ミオが初めての快感に驚きながらも、気持ち良さそうな嬌声を零す……!)
今だ! と思ったその時、渾身の嬌声をマイクに吹き込んだ。
『アア~~~~ン』
「っ⁈」
大きく反響した声に、永瀬の肩がビクっと跳ねる。
『ア、ア、ダメ……アフン。イヤ~~ン』
もはやそれは嬌声とは程遠く、明らかに棒読みとしか思えないものだった。台詞も効果音も忘れて固まる永瀬同様に、周りに居たスタッフも、事態を受け止めることが出来ずに、ある意味その声に聞き入っていた。
「ちょ、ちょちょちょ……ストップ、ストーップ!」
一番最初に正気を取り戻したのは監督だ。動揺を振り切るように大きな声を張り上げて録音を止める。酷い喘ぎ声が止まったことに、ホっとしたような顔を見せる人々の反応には気付くことなく、歩夢だけがきょとんとした顔をしてなぜ止めるのかと監督を振り返っていた。
「ど……どうしちゃったの内野さん?! そんな驚きの棒読み台詞、久々に聴いたんだんだけど!」
自分では最高の出来だと思っていた嬌声に、棒読みという評価をつけられて、歩夢はただでさえ大きな目をさらに丸くする。
「えっ、お、俺、棒読みでした……?」
「そうだよ! え、何、もしかして本気だった?!」
「は……」
はい、と言いかけて、すんでのところで思い止まる。
人生で初めてアフレコを経験したその時から、今まで誰かから「棒読み」だなんて言われたことは一度もなかった。冗談を言っているようにも見えない監督と、周りにいるスタッフの反応を窺う限り、どうやら自分が失敗してしまったらしいと理解した歩夢は、ぐっと言葉を詰まらせる。
(これ……なんて返したらいいんだ……?)
冗談です。と言っても、本気でした。と言っても、どちらにせよ良くない印象を与える未来しか見えてこなくて、何も発言することが出来なかった。どうしようと必死で答えを探しても見つけることは出来ず。歩夢が不安げに視線を彷徨わせていると、長身の男が監督に歩み寄った。
「監督、申し訳ありません。内野にとって初めての濡れ場収録だったので、気合いが空回りしてしまったようです」
「っ、お、だわら……さん……?」
異様なほど静まりかえっていた現場に、よく通る声が響く。
「本日の撮影に向けて、前々からかなり準備をしていたようなのですが……真面目なあまり昨日も眠れなかったようでして」
「う~ん、たしかに顔色も悪いもんね? 頑張ってくれてるのは分かるんだけど、その辺はちゃんと調整するのもプロの仕事だよ~」
「あっ、は、はい……すみません……!」
歩夢に向かって苦言を呈する監督ではあったが、その顔は思いの外明るかった。
準備を頑張ったのも、緊張で眠れなかったのも全部事実ではあるものの、そんな話を小田原にしたことはなかったのに。
順調に進んでいた収録現場に突然現れた落とし穴は、スタッフ一同を戸惑わせはしたものの、その理由が微笑ましい内容だったことに安心したのだろう。仕方ないなぁ、というような思いが色濃く出た表情をしている。
「まぁ内野さんは永瀬さんに比べて、真面目すぎるくらい真剣に取り組んでくれているので、心配はしてないんですけど」
「おーい、こっちに飛び火してるんだけど~。勘弁してよ歩夢ちゃーん」
監督と永瀬が軽口を飛ばし合う事で、ぴりりとしていた現場の空気が柔らかくなった。
「これから少しだけお時間いただいてもよろしいでしょうか? 少し集中する時間をいただければ、いつもの調子に戻れるかと思いますので」
「うん、了解。内野さんが本調子じゃないと進まないからね。じゃあ内野さんはこのまま休憩に入って、こっちは先にシーン9のレイジ独白から撮っていきまーす」
えー、俺も休憩したーい。なんて、永瀬がぼやきながら再びマイクに向かっている。
それをぼんやりと見つめながら、自分はどうしたらいいのだろうかと悩んでいると、ブースの扉を開いた小田原に呼ばれた。
「ほら、内野さん。行きますよ」
「は、はい……」
歩夢はそれに逆らうことも出来ず、小田原の嘘に便乗して、その場をすごすごと退散するしかない自分が悔しくて仕方がなかった。
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