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新しいお仕事です!
しおりを挟む「社長、お待たせいたしました」
「ただいま戻りました」
事務所についてすぐ、歩夢と小田原は社長室へと向かった。扉をノックして入室すれば、ご機嫌の社長が出迎えてくれる。
「二人ともお帰りなさい~♡ さぁ座って座って」
労わるような言葉をかけながら、社長手ずから紅茶を淹れて出してくれた。普段から役職の違いなどを強調することない、フラットな関係を好む人物ではあるのだが、それにしても随分と上機嫌であることが窺えた。
全員が社長お気に入りの茶葉の味を堪能したところで、小田原が口火を切る。
「それで社長……新しいお仕事についての話とは一体?」
「ふふふ……実はね……」
カップを静かに置き、肩を震わせるその姿に異様なまでの興奮が感じられ、歩夢と小田原はごくりと唾を飲み込んで次の言葉を待つ。
「実は! あの! 中御門鞠子大先生のBLCDに歩夢が主演起用されることが決まったのよ~♡」
「……へ?」
きゃーっとハートマークを飛ばしながら全身で喜びを表現する社長とは対照的に、当事者である歩夢の口からはなんとも間抜けな声が飛び出した。
果たして中御門鞠子大先生とは? 知らないのは自分だけなのだろうかと、不安に思って横に座る小田原の顔を盗み見ても、こちらも同じようにぽかんとしているので、恐らく歩夢だけがおかしいわけではないのだろう。
「……ふ、不勉強で申し訳ございません。その、中御門鞠子先生っていうのは……? それに、BLCD、ですか?」
歩夢は今にも踊り出しそうな社長に恐る恐るそう尋ねる。
「ええ♡ 二人はBLって知っているかしら?」
「は、はい。一応は……」
「ボーイズラブ、いわゆる男性同士の恋愛を描いた作品の通称ですね」
いつの間にか冷静さを取り戻していた小田原が、眼鏡をクッと押さえるようにしながら端的な説明を述べた。二人の答えを聞いて、大きく頷いた社長は興奮さめやらぬ様子で楽しそうに語り始める。
「正解! 中御門鞠子先生はね、そのBL業界の中でも革新的エロティシズムを追求して、あらたな扉を開いた天才作家様なのよ……!」
マシンガンのように飛び出してくる、耳慣れない言葉の数々に主に歩夢は目を白黒とさせていた。
「その中でも今一番の人気を誇っているのが、この『恋なら』シリーズ!」
「こ、恋ならシリーズですか……?」
「そう! 一作目の『こんな恋ならいらない』から始まる、現代BLの金字塔。現代物学園ラブストーリーで、主人公は貧乏ながらに直向きに生きる健気な受けちゃん!」
「受けちゃん……」
「相対するは有名財閥の跡取り息子である俺様な攻め……ここまではありきたりなBLなんだけど、それだけじゃ終わらないのが中御門鞠子先生なの……!」
戸惑いの合いの手を入れながら、話を聞いている歩夢であったが、残念ながらその内容の半分以上を正しく理解できていないだろう。小田原は小田原で、何かを察したのか諦めたのか、優雅に長い脚を組みながら紅茶を啜っていた。
「全てのBLの良いところを、混ぜて煮詰めて固めたようなストーリー。それでいて一つ一つの要素が決してぶつからず、切なさも笑いもエロさも兼ね備えた至高の作品……それが『恋なら』シリーズなのよぉぉぉ!」
社長から発せられるとんでもない熱量に、歩夢はただただ呆気にとられてしまう。なんだかよく分からないけど、とにかく社長がその『恋なら』シリーズの大ファンであるということだけは全力で伝わってきた。むしろそれしか伝わらない。
「そのような素晴らしい作品の主演に、内野さんが起用されたのですか?」
「そう、そうなのよ!」
「でも……俺、オーディションも何も受けていませんよね?」
これまでいくつものオーディションに参加をしてきた歩夢であったが、その多くがアニメ作品に関する物だったはずだ。残念ながら歩夢は売れっ子声優とはいえまだまだ駆け出しだ。オーディションを運良く勝ち進む事はあっても、自分の声に惚れ込んだ製作者側からオファーを貰うなんて事は皆無だった。
BLCDだなんて初耳だったし、知らない間に該当のオーディションを受けていたなんて事はあり得ないはずなので、どうして自分がそのような人気作の主演に抜擢されたのかが不思議でならなかったのだ。
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