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調子が狂うみたいです!
しおりを挟む「八時半。三十分前行動とは素晴らしいですね」
「……ありがとうございます」
他のスタッフの手前、あからさまに邪険にすることも出来ず、歩夢はそう返すにとどめた。昨日遅刻するなと言われたのを意識して、いつもより二本早い電車に乗ってしまったのがなんだか悔しい。
普段と同じように笑っているつもりではあるが、自分に向けられる小田原の視線が気になって、どうしても不自然な動きになってしまう。そんな様子にさすがに違和感を感じ始めたらしい周りのスタッフは、一体どうしたのだと心配を始める。
「どうしたの? 歩夢くん、もしかして具合悪いとか?」
「いえっ、全然大丈夫です! 心配かけちゃってすみません……!」
有無を言わさないような完璧な笑顔でその場を切り抜けようとする歩夢に、無理はしないでねと口々に優しい言葉をかけてくれるスタッフに感謝をしながら、歩夢は内心とても困っていた。
(全部小田原さんのせいのなのにっ。完全に知らんふり決め込んでいるし……)
何をフォローするでもなく、どうやって歩夢がその場を切り抜けるのか観察しているかの如く、小田原は静かに歩夢を見つめていた。
(だめだ、だめだっ。とにかく俺は今まで通り、完璧な自分でいられるようにすればいい)
いつも通りの自分を演じて、円滑に何も問題などないのだと小田原に示さなければいけない。
「あ、そうだ。俺のことより横山さん、最近飼い始めたって言ってた猫ちゃん。元気にしてますか?」
「あっそれ聞いちゃう? もうね~すごい可愛いのよ~~♡」
「えーー、写真ないんですか?」
「もちろんたくさんあるわよ~~」
若干無理矢理な方向転換ながら、なんとか別の話題にみんなの関心が移ったことにホッと胸を撫でおろす。
自分のペースを乱しまくる元凶となっている男である小田原を、猫トークに花を咲かせるスタッフからは見えない角度で静かに睨みつける歩夢に、小田原は特に気に留めるでもなくただ面白そうに口角を上げていた。そんな余裕綽々な様子に、歩夢の小田原を見る視線が更に鋭くなってしまうのは仕方のないことだろう。
朝の雑談が盛り上がりを見せている中で、小田原はちらりと腕時計に視線を投げると、良く通る声で呟いた。
「少し早いですが、準備ができたら行きましょうか。ご挨拶もありますし」
「そうですね。わかりました」
それに対しては特に反論するべきこともなかったので、素直に頷いた歩夢が荷物をまとめるためロッカーの方に向かうと、その場に集まっていたスタッフも各々の自身の仕事へと戻っていく。頑張ってね、と声をかけられて事務所を出る頃には、既に疲労困憊だった歩夢は人知れず小さなため息を溢していた。
「ったく、もう少しまともに取り繕えよな~。さすがに挙動不審すぎるだろ」
今日の録音が行われるスタジオに向かうため車に乗り込んだ後、呆れたような口調の小田原に開口一番でそんなことを言われて、歩夢はムッと口を尖らせた。
「……悪いですけど、これでも小田原さん以外にそんなこと言われたことないですから」
「まじかよ? お前の周り、目ぇ節穴な奴ばっかりなわけ?」
事務所内で有能マネージャーを装っていた姿は一体どこに消えたのやら。まるで友人のような気楽さで語りかけてくる小田原に、この人はなんでこんなに口が悪いんだ……と歩夢は思わず眉をひそめてしまう。
「小田原さんの方が、俺よりも演技が過ぎるんじゃないですか……」
とんだ二重人格ぶりに歩夢が思わずそんな嫌味を呟いてしまうと、小田原がふんと鼻で笑った。
「俺のはビジネスのネコ被り。プライベートと仕事は切り離して考えてんの」
「……俺だって」
「ちゃんとプライベートでは素のままだって? どうせどこでもイイコちゃん装ってるんだろ」
「…………」
なんでこの人には自分の演技がバレるのだろうか。否定も肯定も出来ず、そのまま歩夢は口を噤んだ。プライベートと仕事を切り離していると言っても、そもそも歩夢だって小田原にとっては仕事相手の筈なのだが、そこに突っ込めるほどの余裕はその時の歩夢にはなかった。
無言の二人を乗せて、いつの間にか車は目的のスタジオまで到着していた。不快な揺れを感じることもなく、静かに車が駐車場に停まる。
いつの間にか強張っていた身体から力を抜いて、歩夢がシートベルトに手をかけると、ハンドルから手を離した小田原がじっと歩夢の顔を見据えた。
「お前そんな調子だと、いつか息切れするぞ」
「……ご心配なく。先に行きますね」
その声に含まれた、わずかに心配するような声色を拒絶するように、歩夢は男に背を向けて車を降りた。
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