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まずは自己紹介の時間です!
しおりを挟む――都内某所。
オフィスが立ち並んぶ一角の、比較的こじんまりとしたビルの中にその事務所はあった。
「おはようございます!」
社員用のカードキーをピッと音を鳴らし、扉が開く。よく通る声が響くと、人々は顔を上げて挨拶を返した。
「おはよう、歩夢くん」
「おはよ~今日も元気だねぇ」
「へへっ。おはようございますっ」
歩夢と呼ばれた小柄な青年は、人好きのする笑顔を浮かべて朝の賑わいを見せる事務所の中を歩いていく。ここは「ステム・プロダクション」。声優専門の芸能事務所である。そこに在籍する声優の一人である歩夢は、まさに優等生を絵にかいたような様子で、すれ違う同僚ひとり一人に会釈をしながら挨拶を繰り返す。
ただの朝の一コマ。ただの挨拶風景。それにもかかわらず、可愛らしい容姿に見合った青年のようにも少女のようにも聞こえる声が紡ぐ音の心地よさに、事務所内にいた面々は憂鬱な気持ちが浄化されるような気さえして、自然と笑みが浮べてしまっていた。
歩夢が声優になったのはつい二年ほど前のこと。その魅力的な声に加え、勤勉な性格と熱心に仕事に取り組む姿勢が業界内でも評判になり、アイドルさながらな整った容姿を売りにメディアへも進出したところ、瞬く間に多くのファンを獲得した。今ではアニメにドラマCD、ゲームなど様々な作品で主演作を持つ、事務所きっての売れっ子声優だ。
「ああそうだ、歩夢くん。さっき社長が歩夢くんのこと探してたよ」
「えっ、社長がですか?」
荷物を自分のロッカーへ片付けていると事務の女性にそう声をかけられて、探される理由の見当もつかなかった歩夢は首を傾げた。何か新しい仕事についての話だろうか。
「なんだろう……。ありがとうございます、ちょっと社長室まで行ってみますね」
マネージャーからも特に何の話も聞いてはいないが、とりあえず社長のところに行くかと考え、歩夢は言付けを頼まれてくれた女性に満面の笑みを向けてお礼を伝える。きらきらと輝くようなその笑顔に、「天使の微笑み最強…」と身悶えている彼女を横目で見て、僅かに苦笑しつつも、歩夢は事務所の一番奥にある社長室へと向かった。
◇◇◇
「……はぁ、最悪。こうやって突然社長から呼ばれる時って、大抵よくない知らせの時なんだよなぁ……」
社員がいる執務スペースから少し離れ、誰もいない廊下まで歩みを進めると、歩夢はおもむろにため息を吐きながらうんざりとしたような声を出す。先ほどまでの優等生然とした表情はすっかり消え去り、年相応のものへと変わっているのは自然な姿のようにも思えたが、彼を知っている人物がその姿を見れば皆一様にして目を丸くするだろう。
実をいうと、今の姿が歩夢の本来の姿なのだ。
生まれ育った環境の影響もあり、歩夢は他者の前で『いい子の仮面』を被るのが癖になっていた。彼自身の本質は少々気の強い跳ねっ返りな部分があるのだが、それに反して見た目は線が細く、柔らかな印象を与え、見る者に守ってあげたいという気持ちを起こさせる。
二十数年の人生経験から、歩夢は自分の気質を全面に押し出すよりも、見た目のイメージに則した自分を演じた方が、無駄な軋轢が生まれないことを正確に理解していた。それは彼なりの処世術でもあり、自然と身に付いた自分を守るための力だった。
「……行きたくない……でも行かないといけない。いい子ちゃんでいるのも楽じゃないよ……」
このまま逃げてしまいたいという気持ちを懸命に振り払いながら、重い足取りで廊下を進むと突き当たりに「社長室」と書かれたルームプレートが付いた扉が見える。暗くなっていた表情を大きな深呼吸で振り払い、気合を入れ直した歩夢は完璧な笑顔を顔面に貼り付けた。
――コンコンコン。
重厚な扉をノックして、入室の許可をもらうべく室内に向けて声をかける。
「社長? おはようございます。歩夢です」
「歩夢~~待ってたわよぉ♡ 入っていらっしゃい」
「はい、失礼します」
ガチャリと音を立てて開いた扉の先では、いつ見ても年齢不詳の女社長と見知らぬ男性が応接スペースのソファへと腰掛けていた。社長一人だと思っていたが、まさか他にも室内にいるとは。自分でも意識しないうちに僅かに気を抜いていた歩夢は、しゃんと背筋を伸ばして更に微笑みを深くする。
「え、っと……出直さなくても大丈夫でしょうか」
「平気よ。二人に関係することだから、こちらにいらっしゃい」
社長に手招きをされたため仕方なしにその場に同席するが、目の前に座った男は感情の読み取れない顔でじっと歩夢を見つめている。ビシバシと肌に突き刺さるような視線の圧に、見る者を虜にすると評判の「天使の微笑み」がひくひくと引き攣るような気がするのは、多分勘違いではないだろう。
(なんなの、この人。ヤな感じ……)
遠慮がない視線に内心苛立ちつつも、歩夢は負けじと男を見つめ返し、その姿を観察した。よくよく見ると、どこかの事務所に属した俳優だと紹介されても違和感のないような程、精悍な顔つきをした男だった。優しい笑顔を浮かべて甘い台詞を囁けば、大抵の女性はコロリといってしまいそうだと思えるほどの色男。しかし恐らくそういう仕事ではないと思わせるのは、一切の遊び心も許さないとでも言うように、きっちりと着こなされたダークスーツと、利便性のみを追求したシンプルな眼鏡、愛想のかけらも見当たらない表情のせいだろう。
職業柄、他人に評価をされることには慣れてきたつもりだった歩夢だが、好意が微塵も感じられない視線とはここまで居心地が悪いものなのか。相手がどういう立場の者か分からない以上、変に対処することも出来ず、無言の圧力に耐えきれなくなった歩夢は失礼の無いように、あくまで自然に社長へと視線を向ける。
「えと……社長。俺はなんで呼ばれたんでしょうか?」
さっさと要件とやらを済ませてこの場から立ち去りたい。その一心で歩夢が口火を切ると、待ってましたと言わんばかりに社長は演技がかった大袈裟な仕草で頬に手を添え、大きな大きなため息をついた。
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