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「どうしたんだ? 今日は珍しく、素直じゃないか」

「死にそうになる夢を見ました」

「・・・・・・・・」

「こんな立場ですから、いつでも死ぬ覚悟はできています。ーーーーでも最期かもしれないと思うと、後悔が残りました。陛下に、聞きたいことを聞いておけばよかったと思ったんです」

「聞きたいこと?」


 聞き逃さないようにと思ったのか、陛下は少し近づいてくる。心なしか、緊張しているように見えた。


「聞きたいことって、なんだ?」


「その・・・・シュリアのことなんですが・・・・」


 怖々とシュリアの名前を出すと、陛下はあからさまに、がっかりした様子を見せた。


「・・・・死にそうになってまで聞きたかったことが、あの令嬢のことなのか?」


「・・・・シュリアと会って、何も感じませんでしたか?」



 ーーーー原作では、ヨルグ陛下とシュリアは結ばれる運命だった。


 でも原作と違い、シュリアは陛下と出会っても、運命的な恋には落ちなかったし、陛下のほうも、自分には興味がなさそうだったと言っていた。


 私は原作を途中までしか知らないけれど、すでにこの世界の軌道が、原作のストーリーラインから大きく外れていることはわかっている。私が早い段階でファンクハウザーを抜け出て、ラスボスになるという運命から抜け出したように、二人が結ばれる可能性だって、今では低くなった。


 だからこそーーーー自分がどう行動するべきなのか、よくわからない。



 いっそ二人が原作通りに恋に落ちてくれたのなら、自分の役割は二人を応援することだと再認識して、こんなふうに迷うこともなかったはずなのに。



「シュリアと出会って、どう感じたのか、教えてください」


 私の真剣な様子から、はぐらかしたり、誤魔化したりできないと思ったのか、陛下も居住まいを正した。


「そんなことを聞かれても、答えることが特にない。大きな派閥を持つ貴族令嬢にしては、やたらふわふわした発言が多くて、世間ずれしていないなと思ったぐらいだ」

「それだけですか? 他には何も感じなかった?」

「・・・・貴族令嬢には珍しい、演技じゃない天然だったな」


 陛下の素直な感想に、また少し笑ってしまった。


「いきなり魔物との共存を語りはじめて、将来的には隔離地区を作って、殺さずにすむようにしたいとか言われて、困惑したよ。・・・・動物じゃなくて、魔物の話だぞ? とにかく殺しあわずにすむ未来を作りたかったようだが、俺には理解できなかった」


 シュリアはとにかく慈愛に溢れているので、動物だろうが魔物だろうが、〝狩る〟という行為そのものを嫌悪している。だから魔物の隔離地区なんて構想を話したのだろうけれど、まだ動物愛護という概念すらないこの世界では、時代を先取りしすぎていて、理解されないと思う。


 特に魔物は動物とはかなり異なる存在なので、共存したいと言われて困惑するのも仕方がない話だった。


「侯爵とバウムガルトナーは、俺とあのお花畑さんをくっつけたいようだが、お互いにまったく何も感じなかったから、今後の計画を変更することを勧める」

「シュリアのことを、お花畑呼ばわりするのはやめてください!」

「わかった、わかった。・・・・とにかく期待を裏切って悪いが、俺とあの令嬢の間には何も起こらないぞ」

「別に期待しているわけでは・・・・」

「期待していないのなら、どうしてそんなことを聞く?」


 とっさに何も言えなかった。原作が、なんて話は陛下には通じないのだから。


「それに、本人から何も聞いてないのか? 向こうも、なぜまわりが俺とくっつくことを前提に話をしているのか、不思議がってたぞ。政略婚ならともかく、それ以外の理由で何か起こることは絶対にないと断言できる」


 確かにシュリア本人も、陛下と結ばれると思いこんでいるクリストフや私の反応を、不思議がっていた。


「それに・・・・あの令嬢の天真爛漫な性格が、皇后という立場には不向きだと、考えたことはないのか? 皇后になったら、あのまっすぐすぎる性格をどうにかしないと、すぐに潰されることになるぞ」


 陛下の言葉に、ハッとした。


 皇后にさえなれれば、シュリアの未来は安泰ーーーーというわけでもなかった。皇后になった後もシュリアは、貴族や役人達の姦計かんけいに頭を悩ませることになるだろうし、いわれない誹謗中傷にも耐えなければならない。

 それに、皇后になれなかったとしてもアリアドナが諦めるとは思えなかった。きっとシュリアは皇后になった後も、彼女のことを陥れてでも皇后の椅子を強奪しようとするアリアドナとの攻防を、続けなければならないだろう。



 さらに厄介なのは、シュリアを引きずり降ろそうとする令嬢が、アリアドナ一人だけとはかぎらない点だろう。


 シュリアの純真な性格は、聖女として人々を助けることには向いていても、皇后として権力者達の権謀術数けんぼうじゅっすうに対応することも、政治の舞台で貴族達を御することにも向いていない。私やクリストフが守るにしても、限界がある。


 クリストフもその点について、不安を吐露していたけれど、私は原作が、シュリアが皇后になって、幸せに暮らしたという結末で終わっているのだから、大丈夫だと言い聞かせた。



 ーーーー原作のストーリーラインがぼろぼろと崩れ去ってしまった今では、原作なんて何の保証にもならないのに。


「いつもよく考えるわりに、そこだけは抜けてるんだな」


 陛下は溜息をつく。


「・・・・クソ親父の時代に、俺の母親や、前の皇后がどんな扱いを受けたか知っているだろ。正直あの令嬢は、政略婚の相手としても適格じゃない」

「陛下は、先皇せんこうとは違います。たとえ政略婚だったとしても、妻になった女性のことを大切にしてくれるでしょう?」

「クソ親父のようなことはしないと約束する。・・・・でも俺の考えだけで、皇后の地位が盤石になるわけじゃない。どうしてそんなに必死に、俺とあの令嬢をくっつけようとする? 政略婚の相手に、ヴュートリッヒの聖女を選ばれたら困るからか?」


 陛下の口から、ヴュートリッヒの聖女と聞いて、心臓がぎゅっと縮まった。


「とにかく、俺と侯爵令嬢をくっつけようとするのはやめろ。多分向こうも、迷惑だと感じているはずだ」


「それじゃあーーーーアリアドナは?」


 不安を押し殺してその名前を口にすると、陛下はますます顔をしかめた。


「八方美人で、俺の兄弟にも粉をかけまくってた女を? ありえない」


 シュリアの時よりも、強い否定だった。


「個人的な感情は抜きにしても、ヴュートリッヒをこれ以上増長させないためにも、あの家の聖女との政略婚だけは、絶対にない」

「そ、そう・・・・」


 緊張した反動で脱力して、だるさを感じるほどだった。


「安心したか?」


 陛下の視線を横顔に感じて、顔を上げる。息が詰まるほど、強い眼差しを向けられて、少し戸惑った。


「ヴュートリッヒのほうを選ばれたくないと思っているから、そんなに必死になって、俺とバウムガルトナー侯爵令嬢をくっつけようとしているんだろ?」


 違う、とも言いきれなかった。陛下とシュリアとの関係を気にしているのは、原作の流れを知っているからだ。だけどアリアドナが皇后になることを防ぐために、シュリアを推しているというのも事実だった。



「ーーーーあの女なのか?」



「え?」



「侯爵を暗殺しようとしたのは、あの女だったのか?」



 一瞬、呼吸が止まった。



「・・・・なぜ、そう思ったんですか?」


「俺がヴュートリッヒの聖女だと言った時、侯爵の目の奥に、警戒と恐怖が見えた。あの女を、恐れているんだろう? だからバウムガルトナーの令嬢を推して、あの女が皇后になるのを必死になって防ごうとしてるんじゃないのか?」


 答えに窮して、私はうつむいて視線を避けた。


(どこまで話すべき?)


 今まで敵味方がはっきりしなかったから、アリアドナのことを打ち明けられなかったけれど、今の陛下なら、私の言葉を信じてくれるかもしれない。



 でもーーーー勇気が出なかった。他の人ならともかく、ヨルグ陛下が信じてくれなかったらと思うと、怖く感じて、最後の一歩が踏み出せない。



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