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 皇宮を出た時にはもう、空は紅葉の色に染まり、世界はぬるま湯に浸かるように、赤い日差しの中に沈んでいた。


「ふう・・・・」


 外苑の入り口に停めていた馬車に乗り込み、長椅子に座ると、風船から空気が抜けるような吐息がこぼれていた。


「馬車を出してーーーー」


 御者にそう指示を出そうとした瞬間、誰かが馬車の中に入ってくる。彼の重さで一瞬馬車が揺れた。


「へ、陛下!」


 陛下は当然のように私の向かいに座ると、足を組む。


「馬車を出せ」


 そして彼はまた当然のように、中を覗きこんできた御者に、そう指示を出した。御者や護衛の騎士達は目を丸くして、従うべきかどうか、私に目で問いかけてくる。

 陛下の命令を撤回したり、無視するわけにはいかないので、私がうなずくと、御者は御者台ぎょしゃだいに戻っていった。


「陛下、何をなさるつもりですか!?」


 慌てたのは私だけじゃなかった。


 追いかけてきたアルホフ卿が、馬車のステップに足をかけ、中を覗きこむ。


「アルムガルト侯爵と、話がある」

「お一人で行くのは・・・・」

「警護なら、この馬車ごと守れ。あと、狭いんだから入ってくるな」


 ヨルグ陛下はアルホフ卿を外に押しやると、彼の目の前で、ぴしゃりと扉を閉めてしまった。


 そして馬車は動き出す。


「・・・・それで、私に何の話でしょうか?」


 わざわざ馬車まで押しかけてきたからには、かなり重要な話なのだろう。


「モルゲンレーテを離れるつもりなんだろ? だったら話ができるのは、これが最後だ」


 陛下は深呼吸して、まっすぐ私の目を見た。


「もう一度聞く。俺の側につくつもりはないか?」

「・・・・さっきお話ししたとおり、私は不調なんです。今の私に、政権争いをする余裕はありません」

「俺が、安全に療養できる場所を用意してやる。そこで休めばいい」

「どうしてそこまで・・・・」

「俺の側につくのなら、必ず守ってやると前に言ったはずだ。ーーーーだから、俺のもとに来い」


 そう言って、陛下は私に手を差し出してくれた。


 その言葉を、疑っているわけじゃない。ヨルグ陛下の評価は賛否あるものの、有言実行であることは間違いないと思う。


 ーーーーそんな陛下が自分から歩み寄り、味方になるのなら必ず守ると約束してくれた。だから私がその手を取れば、どんな状況だろうと彼は私を守ろうとしてくれるだろう。


「・・・・申し訳ありません」


 ーーーーでも、私の答えは変わらない。


「私の考えは、変わりません」

「・・・・・・・・」

「でも、ご安心を。私は、ベルント殿下や、フックス側につくつもりもありません。代理人や、後継者に指名している人物とも話し合い、二人とも私のこの意向を引き継いでくれると約束してくれました。だから、アルムガルトが陛下の敵になることはありません」


 皇室側は、アルムガルトの財力が、フックス側に流れることを恐れている様子だった。だからその心配がないことを、伝えておこうと思った。


「・・・・・・・・」


 陛下はなぜか黙り込み、じっと私の目を見つめてくる。その眼差しの強さを痛く感じて、私はうつむくことで視線を避けた。


 陛下は、溜息をつく。


「・・・・もうやめよう」


「え?」


「ーーーー〝アルベルタ〟」


 その名前を呼ばれて、呼吸が止まった。


 思わず陛下を見ると、ヨルグ陛下はまっすぐ、私の目を見据えていた。


「建前はやめて、本音で話そう」


「・・・・・・・・」


 思考回路は長い間、停止したままだった。私に考えをまとめる時間を与えるためか、ヨルグ陛下は私が次に言葉を発するまで、待ってくれていた。


「な、なぜ・・・・」


「魔法道具で顔や髪は隠せても、無意識のうちに出てしまう言葉のイントネーションや仕草は隠しようがない。だから〝アルベルタ〟と〝ピンク仮面〟が貴族階級の人間だということは、最初からわかっていた」


 次に私が発する言葉は予想済みだったのか、陛下は先回りして答える。


「あんたは気づいてなかったが、神封じの矢を受けて倒れる前に、俺はホワイトレディの術者の姿を、一瞬だけ見たんだ。顔はわからなかったが、髪色が青紫色であることはわかった」


「・・・・・・・・」


「青紫色の髪に緑の目を持っていて、紋章を隠すために常に手袋をはめている貴族の女。・・・・これだけでも、かなり絞ることはできた。決め手は、あんたが自分を称するときに使った、〝皇国一のクソ女〟って言葉だ。噂では侯爵も、〝皇国一の悪女〟と呼ばれているそうだな」


 頭を抱える。


(私はなんて馬鹿なことを!)


 ヨルグ陛下が頭が回り、油断ならない相手だということを知っていた。なのに私は軽口をたたいて、自分から身元に繋がる情報を出してしまったのだ。


「修正すべきところはあるか?」

「な、何の話なのか、よくわからなーーーー」

「否定するのが遅い」


 あげく、ダメ出しされてしまう。


「誰と勘違いしているのか知りませんが、私がその名前の人物と同一人物だという証拠は、髪色や目の色だけですか? だとすると、根拠が弱い・・・・」

「うなじのほくろもある」


 陛下が自分のうなじを、指先でトントンと叩く。私は声を奪われ、スカートを握りしめる。


「知らないのかもしれないが、侯爵のうなじには二つ並んだほくろがあるぞ。アルベルタのうなじにも、まったく同じ位置に同じ大きさのほくろがあった」

「う、うなじなんて、いつーーーー」

「あんたが酔っぱらって、ダンスをしようと言い出したあげく、爆睡した時に見た。仮面やウィッグは魔法で外せないようにしても、他の特徴を隠すことはできなかったな。・・・・鏡で確かめられない場所にある特徴は、自分でも気づかないもんだ」


 そう言って、陛下は勝ち誇ったように笑う。


 実際、私の完敗だった。


「ついでにピンク仮面のことだが・・・・あいつの正体はバウムガルトナー侯爵だろ? あんたのまわりにいる人間で、特徴に合致するのはあいつしかいない」


「彼のような大物が、私と一緒に危ない橋をわたると本気で思ってますか?」


 クリストフのことだけは隠し通さなければならないと思い、必死の演技で、とぼけて見せた。


「・・・・否定するなら、そういうことにしておいてやろう」


 陛下はあっさりと引き下がる。おそらくクリストフに関しては、身元に繋がるような強い情報は持っていないのだろう。

 そもそも私と違い、クリストフは陛下と直接話をする機会も少なかったから、長身という特徴以外の情報が、陛下にわたったとは考えにくい。

 多分陛下は、私の交友関係の中から、〝ピンク仮面〟の特徴に合致する人物の名前を適当に挙げてみただけなのだろう。少なくとも、反証するような証拠は持っていないようだった。


(だったら私が否定し続ければ、クリストフのことは隠し通せる)



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