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「ここがドレスルームよ」


 バックハウス子爵夫人が案内してくれたドレスルームは、すべての壁と柱が大理石で造られていて、まるで神殿のように真っ白な空間だった。


「以前は、皇后陛下のドレスルームとして使われていた場所なの」


 子爵夫人は移動型のハンガーラックを、私の前に持ってきてくれた。ハンガーラックには色とりどりのドレスがかけられている。


「この中から、好きなものを選んでちょうだい」


 そのドレスを見て、私は戸惑った。


「・・・・これは、誰のために用意されたドレスなんですか?」


 てっきり、かつて皇宮にいた女性達が着用した、古着を貸し出してもらうのだろうと思っていた。

 でもハンガーラックにかけられたドレスはどれも、最近の流行を取り入れたものばかりで、古いドレスは一着もない。

 ヨルグ陛下に恋人がいるという情報は聞いていない。でも、女主人が不在のはずの皇宮に、こうして最新のドレスが用意されているということは、皇宮に頻繁に出入りする女性がいるということだろうか。


 ーーーーもし陛下に恋人がいるとしたら、シュリアが現れたことで波風が立つことになってしまう。


「特定の誰かのものじゃないわ。夜会でドレスを汚してしまった令嬢や夫人がいても、すぐに着替えられるようにという陛下の気づかいで、私が既製品をいくつか用意しておいたのよ」

「あ、そうなんですね・・・・」


 胸を撫で下ろす。今のところ陛下とシュリアの間には、アリアドナ以外に障害はないようだ。


「・・・・問題はサイズよね。ほとんどのドレスは、平均的な貴族女性のサイズに合わせて作ってあるんだけど、侯爵はそれよりも小柄だから・・・・」


 バックハウス子爵夫人が手に取ったのは、リボンとフリルがたくさんついているファンシーなドレスだった。


「さすがに・・・・これはちょっと・・・・」


「そうね。・・・・さすがにこれはないわね」


 バックハウス子爵夫人は苦笑する。

 どんなドレスでもいいと思っていたけれど、サイズだけで選んだそれは、明らかにデザインが子供向けだった。さすがに、十二、三歳ぐらいの少女向けのドレスは着られない。


「それじゃーーーーあ、これがいいわね」


 次に子爵夫人が持ってきてくれたのは、青いマーメイドドレスだった。肩はワンショルダーで、スカートの裾は白く、グラデーションになっている。胸元と裾にあしらわれたダイヤが、夜空に浮かんだ星々のようだった。


「これは大人向きのデザインだし、あなたの身長にぴったりじゃない?」


 私の身体にドレスを合わせてみると、ドレスの丈は合っていた。


「これも既製品ですか?」

「いえ、これは違うわね。・・・・誰が用意したものかしら?」


 どうやら、このドレスを用意したのは子爵夫人ではないようだ。


「これは・・・・私には派手すぎませんか?」


 デザインが美しいドレスだからこそ、気後れしてしまった。私がこれを着て会場入りしたら、絶対に目立ってしまうだろう。


「何を言ってるの。侯爵はまだ若くて美人なんだから、あなたみたいな人こそ、こういうデザインのものを着るべきなのよ」


 子爵夫人は、私が今着ているドレスを見た。


「そのドレスは、色味が暗すぎるわ。社交場で侯爵を何度か見かけたことがあるけれど、いつも暗い色のドレスばかりを着ているわよね? 侯爵としての威厳を保つためなのかもしれないけど、暗い色ばかりはよくないわ。そうじゃないと、その綺麗な顔が宝の持ち腐れになってしまうじゃない」

「・・・・・・・・」


 迷ったけれど、他のドレスは私の身長に合わないし、これ以上子爵夫人の時間を奪うのは申し訳なかった。


「このドレスにします」


「そう、よかったわ!」


 子爵夫人は自分のことのように喜んで、それから私の髪を確認した。


「濡れたのは、前髪と後れ毛だけなのね。入浴している時間はないから、濡れた部分だけ洗って、新しいドレスに着替えましょうか」


 それから、子爵夫人と使用人に手伝ってもらって、私はドレスアップをすることになった。


「腰回りが、少しサイズが余ってしまうわね」

「簡単に縫っておくのはどうでしょう?」


 そう言って、使用人がドレスと同色の糸を持ってきてくれた。


「そうね。少し不自然になるかもしれないけれど、仕方ないわ」


 大勢の人が、忙しく私のまわりを走りまわっていて、さらに申し訳ない気持ちになった。


「・・・・子爵夫人。さっき、言いそびれてしまったことがあるんですが」

「何かしら?」

「お会いできて、光栄です。お噂はかねがね、うかがっています」


 すると子爵夫人は、苦笑した。


「ひどい噂ばかり聞いているでしょう?」


 子爵夫人も私と同じで、悪い風評に苦しめられてきたようだ。


「家門を立て直した夫人の勇気と手腕を、尊敬しています。私も家門の当主として、夫人のような立派な功績を残せればいいのですが・・・・」

「あなたはもう、十分がんばってると思うわ」


 子爵夫人はそう言ってくれた。


「私もあなたの噂を、色々聞いてるの」

「・・・・私の噂も、ひどいものばかりですよね?」

「そうね。・・・・でも私は世間の噂より、その人がしてきたことを見るの。あなたは親戚に乗っ取られた家門を取り返して、荘園を立て直したそうじゃない。それに労働者からの評判も悪くない。とても立派なことよ」


 子爵夫人の声は優しかった。

 子爵夫人は、はじめから私に好意的だった。それが私がしてきたことを評価してくれていたからだとわかって、胸が温かくなる。


「・・・・お互い、苦労するわね」


 まるで私を労うように、子爵夫人は優しく言ってくれた。


「でも、あなたの努力は無駄にはならないわ。先輩である私がそう言うんだから、信じてちょうだい」

「・・・・はい」


 子爵夫人の声から思いやりが伝わってきて、胸がもっと温かくなった。こうしてちゃんと私の努力に気づき、評価してくれている人もいるのだと思うと、励みになる。


「陛下も、あなたのことをよく褒めているのよ」

「陛下が? 私を?」

「そうよ。よく、あなたの話をするの」


 それを聞いて、混乱した。

 アルベルタの時はともかく、アルムガルト侯爵として陛下と話をしたのは、狩猟大会と乗馬クラブの時だけだ。それ以外にはろくに会話をしたこともないのに、なぜ陛下は子爵夫人に私の話などしたのだろう。


「だからなんだかあなたとは、初対面じゃないような気がしてしまうのよ。今回、あなたのサイズに合ったドレスがあったのも、もしかしたらーーーー」


 腰回りを縫うため、一度ドレスを脱いだところで、突然誰かがドレスルームの扉を開いた。


「あっ」



 扉を開けたのは、陛下だった。全員がパニックになる。



「陛下! 着替え中に入ってくるなんて、何を考えてるんですか! 今すぐ、出ていってください!」



 親族の強みで、子爵夫人は我が子を叱るように陛下を怒鳴りつけると、彼の背中をぐいぐいと押して、ドレスルームから追い出そうとした。



「あ、お気になさらず。ちゃんとスリップは着てますので」


 陛下を追い出すわけにはいかないと思い、そう言った。


「何を言ってるの! 夫でもない男性に、下着姿を見せてはダメよ!」


 前世ではこれに似たテイストのスリップドレスがあったし、もっと過激に露出しているドレスも多かった。だから私自身は、胸元から膝下まで隠れているのだから大丈夫、とついつい考えてしまうけれど、よく考えたらこの世界では、女性の足の露出は厳禁だった。



「まったく・・・・」


 陛下を追い出してから、子爵夫人は溜息をつく。


「あの子は、北部の無作法な男達に囲まれて育ったせいか、いまだに配慮が足りないのよね。皇宮では、上品にふるまわなければならないって、あれだけ注意してきたのに・・・・」


 子爵夫人は、ドレスの裾を直しながら、ぶつぶつと文句を言っていた。それを聞いて、私は思わず笑ってしまう。


「ごめんなさい。客人に変な話を聞かせてしまったみたいね」

「いいえ、私のほうこそ、笑ってしまってごめんなさい。・・・・でも、向かうところ敵なしの陛下も、子爵夫人には頭が上がらないことが、おかしくて・・・・」

「妹が体調を崩す前から、私が陛下のお世話をしていましたからね」


 あの陛下にも、頭が上がらない女性がいるのだと思うと微笑ましい。


 同時に、陛下の子供時代は不遇だったけれど、子爵夫人やアルホフ卿のように、味方になってくれる人がちゃんといたのだと知って、安心した。やさぐれてはいるものの、陛下の言動にちゃんと芯が通っているのは、子爵夫人のような人達から、倫理や道理を学んだからなのだろう。


「まあ、陛下は無作法な乱暴者には違いないけど、不思議と気品を感じたわね。頭もよかったし、女遊びもしないし、下品なことも言わない。やっぱり腐っても皇子様なんだと、実感したわ。北部の男達とは違う」


「ぶっ・・・・!」


 腐ってもという言葉を聞いて、私はまた吹き出してしまう。


「夫人! いくら夫人でも、陛下にたいしてそんなことを言っちゃダメです!」


「あら~、ごめんなさい。私も北部育ちだから、口が悪いのよ~」


 他の使用人に注意されても、夫人は焦ることもなく、おほほほと上品な笑いで、失言を流してしまった。


「とにかく陛下は乱暴者だけど、浮気はしない人なのよ。侯爵はその点を、ちゃんと覚えておいてね」


「はい・・・・?」


 よくわからないままうなずくと、子爵夫人はにっこりと笑って、私の肩をぽんと叩いてくれた。


「はい、これで終わりよ」


 いつの間にか、私のドレスアップが終わっていた。


 話に夢中で、気づかなかった。鏡の中に見たことがない自分がいて、目が丸くなってしまう。


「やっぱり思ったとおり、とっても綺麗になったわ。今日の主役はあなたね」


 子爵夫人がそう言ってくれたおかげで、私も笑うことができた。



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