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 自分の荒い呼吸音で、目が覚めた。


「・・・・・・・・」

 鉄のように固まって重たくなった瞼を、なんとかこじ開ける。


 隠家の飾り気のない部屋の様子が、目に飛びこんできた。


 目覚めは、これ以上ないほどに最悪だった。意識を取り戻した瞬間に、不快感と吐き気に襲われ、呼吸もままならない。手足に熱がこもっているせいか、薄着なのに暑いと感じ、毛布を払いのけたい衝動に駆られた。


「閣下、お目覚めですか!?」


 ずっと付き添ってくれていたのだろうか、そばにいたレスリーさんが、私が目覚めたことに気づくと、顔を覗きこんでくる。


「何が起こったの・・・・?」


 声を出してみて、自分の声がひどくかすれていることに驚いた。まるで隙間風のような音だった。

 レスリーさんはまず、私の額に手を当て、体温を確かめる。


「やはり矢に、毒が塗られていたようです。幸い処置が早かったので、命に別状はありませんが、不調はしばらく続くと思われます」

「そう・・・・」


 ホワイトレディの力に翻弄されたからといって、襲撃犯があっさり撤収したことを、もっと訝しむべきだった。口論をした後に、すぐに暗殺という手段に出てきたアリアドナのことを短絡的だと考えていたけれど、本当の狙いは毒なのだと気づかなかった自分の間抜けさを、笑うべきかもしれない。


「私の護衛騎士達は? みんな、無事?」

「はい、毒の矢を受けて体調を崩した人はいますが、命に別状はありません。みな、身体が頑丈なので、侯爵よりも症状は軽いです」


 身体が頑丈な者が騎士に選ばれ、あの中で私が一番脆弱だった。だから私の症状が一番重篤なのは、当然と言えば当然の話だった。


「体調が悪いところ、申し訳ないのですが・・・・近くの避難場所に移動しなければなりません。歩けますか?」


 レスリーさんのその問いかけに、背筋が凍る。



 ーーーーレスリーさんが、安全なはずの隠家から、具合の悪い私を無理をしてでも移動させようとしている理由なんて、一つしかなかった。



「まさか、ここも襲撃を受けたの?」


 レスリーさんは重苦しい顔でうなずき、ポケットから何かを取り出した。


 彼女の人差し指と親指の間に挟まれたそれは、小さな菱形の、折り紙のように見えた。


「これは追跡用の魔法道具で、対象に貼りつけて、居場所を特定することが可能です。・・・・これが、閣下の護衛騎士の武具に張り付いていました」

「そんな・・・・」

「最近開発されたばかりの魔法道具で、しかも家が数件建つほどの高額な代物です。なので、まだごく一部の人間しか、存在を知りません。閣下がご存じなかったのも、無理からぬことです」


 レスリーさんは慰めてくれたけれど、ヨルグ殿下を守らなければならない私が、逆に殿下を危険に晒している事実に、歯噛みせずにはいられなかった。


「今、どうなってるの?」

「庭先で交戦状態になり、こちらに負傷者が出たので、いったん引いて、中に籠城しました。その隙に敵は窓の一部を壊して、侵入してきたようです」

「まさか、死者が出たの?」

「いいえ、死者は出ていませんし、重症でもありませんから、ご安心を」


 レスリーさんは私を安心させようとしたのか、無理やり笑う。


「この建物には侵入者に対応するトラップがいくつもついていますし、残った者達だけでも応戦は可能です」

「残った者?」


 その言葉が引っかかって問い返すと、レスリーさんの顔が曇る。


「・・・・閣下が襲撃された直後だったので、団長が念のために、団員に周辺の捜索を命じたんです。敵の侵入に気づいたのは、みなが出払った後でした」

「・・・・だから、人手が足りていないのね」


 もともとヴォルケは、バウムガルトナーの諜報員としても活動しているため、そちらにも人手を割かれ、隠家の警護の人員も足りていなかった。その人員をさらに半分に割った状態で、侵入者に対応するのは苦しいはず。


(・・・・私のせいだ)


 開発されたばかりの魔法道具を知らなかったのは仕方がないにしても、私が今日、隠家に来るのを諦め、アルムガルトの邸宅に引き返していれば、ヨルグ殿下やヴォルケを危険に晒さずにすんだはずだ。


「そうだ、殿下は? 殿下はどこにいるの?」


 なによりもまず、一番にヨルグ殿下のことを聞くべきだった。こうなった以上、ヨルグ殿下の安全を第一に考えなければならないのだから。


「それがーーーー」


 なぜかレスリーさんは、言いよどんでしまう。最悪の予想が頭をよぎって、血の気が引いた。


「まさか、負傷したのはヨルグ殿下なの?」

「いいえ、違います! むしろヨルグ殿下は、応戦しているメンバーの中で一番元気というか、さっきも敵を斬ったばかりですし・・・・!」

「応戦? まさか、殿下本人が敵と戦ってるの!?」


 熱のせいでほてった頭から、さらに血が引いて、温度が下がっていくのがわかった。ーーーー護衛対象を全面に立たせているなんて、護衛として最低だ。もう、アルホフ卿にがんばってなんて言える立場じゃない。


「敵と戦ってるというか・・・・今、完全に現場を仕切っているというか・・・・」


「現場を仕切ってる!?」


「閣下が倒れ、団長まで負傷してしまったので、誰が指揮をとるべきなのかという問題で、少しの間、仲間達が混乱してしまいました。そこにヨルグ殿下が出てきて、勝手に指揮をとりはじめたんです」


「勝手に・・・・というか、負傷したのはバルドゥールさんだったのね」


 レスリーさんが負傷者がバルドゥールさんだったことを伏せていたのは、私を不安にさせると考えたからだろうか。


「・・・・でも流されるままに命令に従っているうちに統制が取れて、侵入者を何人か捕えることができました。戦場でクロイツェルの軍を率いていた人ですから、場慣れしていますし、状況判断力にも優れています」


 戦場にいた経験だろうか、それとも以前にもこういった襲撃を受けたことがあるのだろうか。確かにヨルグ殿下が、襲撃ていどで動じないというのは、今までの殿下の様子を見ていればわかることだった。


「近くに避難場所があるので、ここを出て、そちらに移動する予定です。こうなった以上、ここは放棄するしかありません」


 私もクリストフも緊急事態に備えて、偽名でいくつかの避難場所を確保している。場所を特定されてしまった以上、この隠家は二度と使えないのだから、他の隠家に移動すべきだった。


「安全な場所に避難するまで、ヨルグ殿下と協力しませんか?」

「・・・・協力するのはいいとしても、護衛対象を最前線に立たせるわけにはいかないわ」


 毛布をはねのけて、私は立ち上がる。


「私が指揮をとるからーーーー」


 宣言しようとしたのに、その直後、立ち眩みでよろめいてしまった。


 レスリーさんが支えてくれなければ、またベッドに倒れていただろう。


「そのお身体では、指揮をとるのは無理です」


「ホワイトレディの力は使えるわ」


「それが一番危険なんです! 毒で身体が弱っているのに、そんな状態で大量の魔力を使ってしまったら、命にかかわるんですよ!」


 レスリーさんには止められたけれど、私はそれを押しのけて、仮面とランプを手に取り、廊下に出た。


 地下の廊下は暗く、窓もないため、ランプがなければ何も見えない。もともとこの隠家は、大きさの割には使う人が少なく、廃墟のような雰囲気だった。


 今は敵に侵入されたはずなのに、さらに空虚感がひどくなっている。


(敵はどこにいるの?)


 私は仮面とウィッグをつけてから、ホワイトレディを召喚し、蝶を飛ばした。

 がらんどうの建物の中を、蝶が光を散らしながら飛びまわる。


 蝶の目を借りて廊下の先を見ると、曲がり角で息をひそめるヴォルケのメンバーを見つけた。彼らは剣を握りしめ、緊張した面持ちで、向こう側を睨んでいる。


 さらに蝶を曲がり角の先に飛ばすと、今度は家具の裏側に隠れていた、侵入者を発見した。マスクで顔を隠しているから、断言はできないけれど、アルムガルトの馬車を襲撃した男達と、同一人物の可能性が高い。


 襲撃されたはずなのに、隠家の中が静かだったのは、双方が身を隠し、敵の出方をうかがっていたからだった。

 彼らの一触即発の空気を見るに、いつ交戦状態になってもおかしくない。私が感じていた空虚感は、嵐の前の静けさだったようだ。



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