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 ーーーーヨルグ殿下の聖なる七剣の圧倒的な力を目にした瞬間に、誰もが予想したとおり、彼が皇太子に選ばれることになった。



 ヨルグ殿下にはすぐに、皇宮の中に部屋が与えられ、帝王学の教師がつけられた。

 ヨルグ殿下は意外にも、政治学や経済学でも優秀さを見せて、北部で剣術ぐらいしか学んでこなかった田舎者という、教師達の偏見を見事に跳ねかえしてみせた。


 大方の予想を裏切る展開に、多くの貴族達が慌てふためいた。ほとんどの貴族が、ベルント殿下が次の皇太子になると思い込み、ベルント殿下や彼の母方の実家の、フックス侯爵家にすり寄っていたのだから。

 事ここに至って、手の平を返した人々がすり寄ってきても、ヨルグ殿下が彼らを気に留めることなどなかった。


 貴族達が選択を誤ったーーーーというよりも、こんな形でヨルグ殿下が皇太子になると予想できた人間は、原作の内容を知っていたアリアドナ以外は、一人もいなかっただろう。



 騒ぎから数週間後、私は皇宮の庭園でクリストフと会い、これからの対策を話し合うことになった。



 だけど難しい顔を突き合わせても、お互いの口から、今は様子を見る以外の選択肢は出てこなかった。


「・・・・結局、アリアドナが一人勝ちした気がしますね」


 溜息とともに、私は呟く。


「なぜ、そう思うんだい?」

「ヨルグ殿下が皇太子になるなんて、誰にも予想できませんでした。そのことを知っていたのは、アリアドナだけでしょう? アリアドナはもう、ヨルグ殿下に取り入っていることでしょうね」

「だけどヨルグ殿下に、魅惑の瞳の力は通じないんだろう? 君がそう言ったんじゃないか」

「魅惑の瞳の力を使わなくても、取り入る方法なんていくらでもあるじゃないですか。原作の展開を知っているアリアドナなら、ヨルグ殿下が抱える心の問題も、その解決法も知っているはずですし」


 ヨルグ殿下は今まで、あまり公的な場所に出てきていないから、ヨルグ殿下がどんな人なのかわからないし、アリアドナとの関係も知らない。

 だけど今までの流れから、ヨルグ殿下がフィリップ殿下のように、アリアドナに骨抜きにされていてもおかしくないと思っていた。


「ところが今回ばかりは、アリアドナの思い通りにはいかなかったようなんだ」


 クリストフは痛快だといわんばかりに、笑いだす。


「どういうことです?」

「ヨルグ殿下はアリアドナにたいしてーーーーどの令嬢にたいしてもだが、きわめて儀礼的だ。誰にも興味を示さないし、誰も特別扱いしない。むしろヴュートリッヒの派閥を嫌い、遠ざけようとしているようでもある。アリアドナやボリスからしたら、狙いが外れたと感じているだろうな」

「早くから色目を使っていたはずなのに、効果がなかったんでしょうか?」

「魅惑の瞳の力が、通じない相手だ。ベルント殿下やフィリップ殿下のようには、篭絡できなかったんだろう」

「それは、私達にとっては朗報ですね」


 私達はアリアドナやヴュートリッヒの、言いなりにならない皇太子を望んでいた。少なくともヨルグ殿下はその点だけは、私達の希望に沿っている。


「ボリスも心穏やかじゃないようだ。ベルント殿下やフィリップ殿下なら、バウムガルトナーやアルムガルトを嫌っているから、確実にヴュートリッヒの天下になっただろう。だが、ヨルグ殿下にはそれが通じないからな」

「ベルント殿下なら結婚相手にも、アリアドナかエルネスタ、あるいは実家のフックスに縁のある女性を選んだでしょうね。・・・・さて、ヨルグ殿下は誰を選ぶんでしょうか?」

「時期皇帝の結婚相手となると、伯爵家以上の家柄出身の、令嬢でなくてはならないだろうな」


 貴賤結婚と後ろ指を指されないように、皇太子の結婚相手には、伯爵家以上の身分の女性が選ばれるはずだ。


「公爵家には現在、ヨルグ殿下の年齢に合う未婚の女性がいないから、三大侯爵家の令嬢が選ばれる可能性が高い。シュリアかアリアドナなら、結婚相手の身分としては申し分ないから、貴族達はこの二人を推そうとするだろう。バウムガルトナーの派閥と、ヴュートリッヒの派閥が、次期皇后の座を巡って争いを繰り広げることになりそうだ」

「大穴で、エルネスタという可能性もありますね」

「アリアドナが、絶対許さないはずだ。あの女の性格上、皇后争いでエルネスタに負けることになったら、エルネスタを殺そうとする可能性だってあるぞ」


 それからクリストフは、私を見る。


「君もアルムガルト家の出身で、現在独身だ。皇后争いに、名乗りを上げるつもりはないかい?」

「冗談でもやめてください」


 思わず、顔をしかめてしまう。


「離婚歴があって、悪女と名高い私が、分不相応に名乗り出たら、各所からフルボッコにされますよ。晒し者にされるなんて、まっぴらです」

「それは残念だ」


 クリストフは意外にも、本気で残念がっているように見えた。


「私はわりと真剣に、一番皇后に向いているのは、君じゃないかと考えていたんだが」

「どうしてそう思ったんですか?」

「アリアドナのようなサイコパスが権力を握ったら、国は内側から崩壊する。だが、善良すぎてもダメな気がするんだ。・・・・その点、シュリアはどうだろうな。彼女はあまりにもーーーー純粋すぎる」


 それは、私も懸念していたことだった。


 善良な人間が国王や王妃になったからといって、国内の状況がよくなるわけじゃない。自分の利益ばかり追求する人は論外だけれど、あるていどのずる賢さがないと、政治の世界で、狐狸妖怪こりようかいばかりの貴族達の手綱を握れない気がした。


「その点君は、凶悪からは遠く、善良という言葉からも距離がある。ほどよく悪人よりなんだ」

「・・・・けなしてます?」

「褒めてるんだよ。私もどちらかといえば、悪人よりの人間だからね」


 クリストフを睨むと、目をそらされてしまった。


「・・・・考えすぎじゃないでしょうか。シュリアは原作で皇后になり、幸せになったと描写されているんですから、大丈夫だと思います」


 ーーーー私とクリストフは原作を最後まで読んでいないけれど、クリストフがネタバレサイトで呼んだところによると、皇后になったシュリアは幸せに暮らしたと、原作の最後に記述されていたそうだ。


 だったら、シュリアが皇后になる道は、間違っていないはず。


 多分、今後シュリアは政界を生き抜いていく力を身に着けるのだろう。そう、自分に言い聞かせる。


「そうだな」


 クリストフもどこか、自分に言い聞かせているように聞こえた。


「ヨルグ殿下がヴュートリッヒに距離を置いているなら、バウムガルトナーが後援者として名乗り出たらどうですか?」


 この話を続けるのが気まずくて、私は話題を変えた。


「今なら後援者として、ヨルグ殿下の即位後に、力を持つことができるかもしれません」

「・・・・いや、それはどうだろうな」


 私としてはいい案だと思ったのに、クリストフは乗り気じゃないようだった。


「ヨルグ殿下が距離を置いているのは、ヴュートリッヒだけじゃない。バウムガルトナーの陣営も、遠ざけられている」

「なぜでしょう?」

「おそらくヨルグ殿下は、どの陣営にも借りを作りたくないんだろう。ベルント殿下のように、後援者としてヴュートリッヒやフックスの力を借りてしまったら、即位後に大きな顔をされることは目に見えているからね。それを避けるためには、どの陣営からも離れているしかない」

「なるほど・・・・ヨルグ殿下はどの陣営の力も借りず、自分の力だけで皇太子の座を手に入れましたからね。皇祖の伝説の後押しがあるから、誰かに文句をつけられる心配もない。となれば即位後を見据えて、すべての陣営を牽制しているということですね」


 どの陣営の力も借りずに、自力で皇太子の座を勝ち取った人ならではのやりかただ。ベルント殿下では、ヴュートリッヒやフックスを遠ざけることはできなかっただろう。


 でも、賢いやり方だと言える。即位後に、すべての陣営の思惑を無視できるなら、彼は自由に、改革を行うことができる。


「ふふ・・・・」

「どうして笑ってるんだい?」

「楽しみなんですよ。ヨルグ殿下はどんな形であれきっと、モルゲンレーテに新しい風を吹きこんでくれるはずですから」

「・・・・それがいい風になるか、狂風になるか、まだ誰にもわからないんだよ」


 クリストフは不安そうだ。


「いいじゃありませんか。鬼が出るか蛇が出るかーーーー楽しみに待っていましょう」


 私が笑いかけると、クリストフはますます不安になったのか、困り顔で黙りこんでしまった。




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