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しおりを挟む私を苦しめたのは、ハインリッヒの暴力だけじゃなかった。
「今回の狩猟大会には私がジャコブと参加するから、あなたは来なくていいわよ。不参加の手紙を出しておいて」
近々開かれる、狩猟大会の準備をしていた私は、許可もなしにずかずかと入ってきたクロエにそう言われ、愕然とした。
「今回の狩猟大会は、夫婦同伴のはずよ」
「だから、あなたは体調不良ということにして、私が代わりに行くわ」
「・・・・愛人のあなたが?」
怒りを抑えきれずにそう聞くと、クロエは不快感を露わにした。
「社交界のみんなは、私が本当の伯爵夫人だと知ってるわ。肩書しかないあなたとは違う、本物だって」
「・・・・・・・・」
「口答えをしたこと、ジャコブに報告しておくからね」
私がクロエに口答えすると、その後必ずと言っていいほど、ジャコブに呼び出された。
「クロエに、二度と口答えするな。彼女の言うことには、素直にうなずいておけばいいんだ」
「なぜ私がそんなことを? 肩書だけとはいえ、私はあなたの妻なのよ」
「俺にまで口答えするな!」
私が言い返すと、ジャコブは激高した。
「次に口答えをしたら、地下に閉じ込めるからな」
「・・・・・・・・」
凶暴な祖父には逆らえないくせに、私や使用人達には高圧的なジャコブを見ていると、身体の奥がすっと冷えていった。
婚約したばかりのころは、ジャコブに好かれようと精一杯努力した。好みや嫌いなことを探って、一緒にいる時間が心地よいものになるようにしたかった。ジャコブのことが好きかどうかは自分でもわからなかったけれど、結婚する以上、お互いを尊重しあえる、仲がいい夫婦でありたかったからだ。
でも、すべて無意味だった。
「クロエが私の子を産んだら、その子を君の子として、後継者にする」
ジャコブが恥知らずな考えを、堂々と宣言した時は、怒りを通り越して思わず笑ってしまった。私とジャコブの間には夫婦関係はないので、クロエの子を後継者にするしかなかったのだろう。
(クロエと結婚すればよかったのに・・・・)
いや、ジャコブがクロエと結婚できなかった理由は、わかっている。クロエは平民で、身分が絶対の貴族社会では到底、貴族との結婚など、許されない身の上だったからだ。そして身代わりにされた私が、こうして生贄にされているというわけだった。
(・・・・家に帰りたい・・・・)
夜、ベッドに入ると、平和だった日々に戻りたい、どうか実家に帰してくれと、神様に泣きながら願った。
ーーーーでもそれが叶わない願いであることを、私は知っていた。
両親の死後、アルムガルトの家督を引き継ぎ、家門を守っていた弟は、一年前に夭折してしまった。
モルゲンレーテでは、一応女性にも爵位継承を認めているものの、その爵位継承順位は男性よりも低く設定されてある。そのため弟を最後に、嫡流(ちやくりゆう)の男子がいなくなると、親戚が割りこんできた。
私は親戚との争いに負けて、当主の座を奪われたばかりか、追い出されるように結婚させられたのだ。
私に冷淡な親戚が、私が戻ってくることを許すはずがなかった。
(前世で読んだ本では、貴族令嬢の主人公が家を出るために、こつこつとお金を貯めていたわね・・・・私にもそれができればいいのに)
ファンクハウザーの資産はジャコブが運用していて、屋敷の維持費はクロエが管理している。私には、自由に動かせるお金が一銭もないため、こっそり貯めこむこともできない状態だった。
それに十分な資金を手に入れたとしても、私にはいく当てがない。中心部は平和に見えても、郊外に行けば危険な輩が堂々とうろついているような世界なのだから、女性が護衛をともなわずに、お金を持ってうろついているだけでも、とても危険なことだった。
ただ、穏やかに暮らすことを望んでいただけなのに。まるで過大な望みにたいする罰のように、今はただただ耐え忍ぶ毎日が続いている。
(いいえ、こんな日々だって長くは続かないはず。・・・・だって原作の続きを知っているアリアドナが、私は幸せになれると言ったのだから)
アリアドナのあの日の言葉だけが、私の最後の希望の糸だった。
ーーーーそんな悪夢のような日々が、一年も続いた。
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