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32_工房

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 工房として使われていた建物は、アンティーブ辺境伯夫人の領主館から、それほど離れていない場所にあった。


 工房と聞いたから、石造りの小さな建物を想像していたけれど、実際は普通の一軒屋と変わらなかった。


「どうぞ」

 使用人が鍵を開けて、私を中に招き入れてくれる。


 彼の名前はコルデーロさんといって、もう七年もアンティーブ辺境伯夫人のもとで働いていたらしい。そして今は、夫人の息子の、新しい辺境伯に仕えているそうだ。


「多い時は、十人以上の錬金術師がここで研究していました。助手も含めると、かなりの数です」

 石の台の上には、ビーカーや顕微鏡が置かれている。通りを挟んで南側に、三階建ての建物があるせいか、窓はあるのに光が差し込まず、室内は暗い。

 私は石の台の表面を、指でなぞってみる。指先に、埃が付くことはなかった。

「まだ、綺麗なんですね」

「最近まで、使われていましたから」

(最近?)

 さっきも、そう聞いた。だけどよくよく考えると、それは奇妙な話だ。

「確か辺境伯夫人は、ずいぶん前に、錬金術からは手を引いたと聞きました。なのに、最近まで使われていたんですか?」

「ええ、黄金を作り出す研究は、成果が上がらずに取りやめになりました。けれどその研究過程で、別の研究の足掛かりをつかんだようで、そちらの研究は続いていたようです」

「どんな研究なんですか?」

「それは・・・・」

 コルデーロさんは、困り顔になる。

「申し訳ありません、詳しいことは、私にはわからないのです。夫人は様々な研究に挑戦していましたが、以前、別の貴族に研究内容を盗まれるという被害に遭っていて、それ以来、研究内容を隠すようになったんです。知っている人物は、ごくわずかでしょう」

「そうだったんですか」


 私はどうにかして研究内容を知ることができないかと、頭を回転させる。


「その研究は、完成したんでしょうか?」

「詳しくは知りませんが、完成したという話を聞かないので、おそらく未完のままだと思います」

「・・・・最後までここを使っていたのは、どなたでしょうか?」

「最後の一人は、クリスティアン・ルゥセーブルという錬金術師です。助手はいたものの、重要な研究のすべてを彼一人で行っていたそうです」

「その方は、今どこにいらっしゃるんでしょうか?」


「残念ながら、夫人が殺害され、工房が封鎖された後は、姿をくらませてしまいました」


 姿を消したという言葉に、ハッとする。


「もしかして、その方も事件に巻き込まれて・・・・」

「いえ、部屋から荷物が消えていたので、自らの意志で逃げたのでしょう。夫人が亡くなり、研究の成果も出ていないということでしたので、研究費を請求されると思ったのかもしれませんね」

「そうですか・・・・」

 また、手がかりが途切れてしまった。

「申し訳ありません。何のお力にもなれず・・・・」

「いえ、コルデーロさんのせいじゃありません」

 こうして丁寧に質問に答えてもらえるだけで、とても助かっている。なのに、申し訳ない気分にさせてしまった。


(なにか別の方法で、研究内容を知ることができないかな?)


 この工房で行われていた研究が、殺人事件と繋がっているかどうかはわからない。だけど今は小さな疑問を追求することが、残った疑問を解明する唯一の道筋だと感じていた。


「コルデーロさん、研究に必要な物資なども、すべて夫人が用意していたんですよね?」

 問いかけると、コルデーロさんは目を瞬かせた。

「ええ、費用や物資なども、錬金術師達から要請を受けて、すべて私達が調達していました」

「それでは、最後の研究に使われていた、材料の 目録もくろくを貸してもらえないでしょうか?」

 材料から、研究の内容がわかるかもしれないと思って、そう言った。

「それはもちろん。・・・・領主館に戻るまでもありません。おそらく、工房のどこかにあるはずです。すぐに探しますので、少しお待ちください」

「ありがとうございます」

 コルデーロさんはすぐに動き出した。


 私は部屋の隅に置かれていた椅子に腰かけ、コルデーロさんを待つ。


「・・・・ん?」

 じっと待っていると、台の上に奇妙なものが置かれていることに気づいた。


 ――――優美なカップとソーサーが置かれている。研究道具ばかりが並ぶ台の上で、それだけが不自然だった。


 近づいて、カップを持ち上げてみる。


 見事な、白磁はくじのカップだった。


(この染付そめつけは珍しいかも)

 ディエレシスにある白磁は、そのすべてが東の大陸から輸入したものだ。白磁の製造方法がわからないから、輸入に頼るしかなく、白磁のデザインも、東の大陸風のデザインしかなかった。

 だけどその白磁のカップのデザインは、ディエレシス風の模様だった。チューリップの鮮やかなピンク色が、白い下地に映えている。


(どこで作られたものなんだろう? 私もこれが欲しいな)

 母も白磁のカップを集めるのが好きで、ダイニングルームのガラス張りの棚に飾っていた。色々な白磁製品を見てきたから、ほとんどは絵柄で産地を言い当てることができるのに、このカップの産地だけは分からない。


「お待たせしました」

 その時、コルデーロさんが戻ってきた。

「・・・・そのカップがお気に召しましたか?」

「え?」

「熱心に見つめているように見えたので」

「珍しいデザインだと思ったので。東の大陸のものではないようですね。どこの品物か、わかりますか?」

「すみません。私はそういった品には詳しくなくて、産地は・・・・」

 コルデーロさんは目を伏せる。

「お役に立てず・・・・」

「気にしないでください。ちょっと、個人的に気になっただけなんです」

 これだけ協力してもらっているのに、個人的な質問で煩わせることになってしまって、申し訳なかった。

「後で他の者に、聞いておきます。これが目録です」

「ありがとうございます」

 カップを台に戻してから、目録を受け取り、目を通した。


「カオリナイト?」


 目録に書かれていたのは、カオリナイトをはじめとする、鉱物だった。


(黄金を作り出すことは諦めたのに、鉱物にこだわってたの?)

 研究に使う材料を見れば、何かわかるかもしれないと思っていたけれど、考えが甘かったようだ。

「・・・・何かわかりましたか?」

「・・・・いえ、残念ながら、何も」

 しばらく考えたけれど、何もわからなかった。

 窓の外を見ると、もう日が暮れはじめている。

「カロル様、今日は領主館に戻りましょう。この辺りは治安はいいとはいえ、帰りが夜遅くになるのは避けたほうがいいですから」

「わかりました」


 まだ初日だ。気を落とすのは早いと思って、その日はアンティーブ辺境伯夫人の領主館に戻ることにした。

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