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57_最後の作戦
しおりを挟む「皇帝陛下! ローナ様!」
ディデリクスの助けで、天幕が設置された場所まで戻ると、私達の姿に気づいた貴族達が、慌てて駆け寄ってきた。
「よかった、ご無事だったんですね!」
カタリナも駆けつけてくれて、涙ぐみながら私の手を取る。
「ええ・・・・ディデリクスが助けに来てくれたの」
「陛下! 陛下!」
駆けつけた近習が、馬上のカエキリウスに呼びかけたけれど、彼の意識は戻らない。
「いったい、何があったんですか!?」
駆けつけた閣僚の一人が、詰問口調で私に訊ねてきた。
「刺客に襲われたんです」
貴族達は息を呑み、ざわめきが強くなる。
「陛下は私を庇って、矢を受けました。致命傷ではありませんが、深い傷です。早く手当てを!」
説明しながら、私は人垣の中に、ルジェナの姿を探していた。
――――ルジェナは最前列にいた。動揺を隠せないほど青ざめ、唇は震えている。
私を殺すことが目的で、カエキリウスが巻き込まれることは想定外だったはずだ。だから彼女は、取り乱している。
「早く、侍医を呼んでください!」
「は、はい、ただいま!」
私の声で、放心状態だった閣僚達が、慌てて天幕の中に引き返していった。
狩猟大会では負傷者も出ることもあるので、侍医が同行している。侍医は今、天幕の中で待機しているはずだ。
近習達が協力して、カエキリウスの身体を馬から下ろす。カエキリウスは彼らに抱えられて、天幕の中へ運び込まれた。
「ローナ様も、こちらへ」
「ええ・・・・」
閣僚にうながされ、私も天幕の中に入ろうとした。
「お待ちください、その前に、お召し物を」
カタリナが、私の上着を持ってきてくれた。
「ええ・・・・」
私の上着は、森を駆け回っている間に、すっかり泥で汚れてしまっていた。
汚れた上着をカタリナに渡し、代わりに、彼女が持ってきてくれた、綺麗な上着に袖を通す。
「ローナ様、その首の痣は――――」
襟を直していると、カタリナが目を見張り、私の首を指差した。
「痣? 痣なんて・・・・」
答えようとして、ハッとする。
(もしかして、カエキリウスに痣を付けられていたの?)
朦朧としているカエキリウスに押し倒され、首に唇の感触を感じたことを思いだした。
もしかしたらあの時に、痣を付けられていたのかもしれない。そう気づいて、動揺から、私は手でとっさに、その部分を隠していた。
全身に、好奇の視線を注がれる。首に痣を残されているなんて、誤解されてもおかしくない。
背後にディデリクスの気配を感じて、早く否定しなければと気持ちが焦った。
――――だけど、すぐに考え直す。
(・・・・いえ、これは利用しなくては)
私達の間には何もなかったけれど、そのことは誰も知らない。カエキリウス本人ですら、熱にうなされていたから、よく覚えていないだろう。
ヘレボルスを倒すには、あと一歩、何かが足りなかった。
――――でもこの誤解が、最後の一歩になるかもしれないのだ。
私は手を下ろす。
この距離で、遠巻きに私を見ている人達に、首の痣が見えているとは思えないけれど、それでも人々の好奇の視線が強くなったことを感じていた。
「ごめんなさい、カタリナ。今は説明している余裕はないの。日が暮れた後も、ずっと陛下の看病をしていたから」
「も、申し訳ありません! 馬車を用意しています。馬車まで、担架で・・・・」
「いいえ、自分の足で歩くわ」
カタリナは私の横に立ち、私を支えてくれた。
私達を取り囲む人々はざわめき、ひそひそと話をしている。
そんな中、ルジェナだけがまっすぐ私を睨んでいた。怒りなのか恐怖なのか、華奢な肩を震わせている。
背中に、ディデリクスの視線を感じたけれど、振り返らなかった。
――――今の私には、ディデリクスの目を見る勇気がなかったからだ。
彼を見ないまま、私は人々に背中を向ける。
「・・・・あの、ローナ様」
皇宮まで歩きながら、カタリナが話しかけてくる。
「今は何も聞かないで、カタリナ」
「はい・・・・」
「皇宮に戻ったら、あなたに広めてほしい噂があるの」
薄く笑う私を、カタリナは不思議そうに見上げていた。
カエキリウスは一命を取り留め、その後順調に回復した。
「ローナ様の、月のものが遅れているそうよ」
――――カタリナが流した噂は、火の勢いのように、あっという間に皇宮中に広まった。
「その話、誰から聞いたの?」
「洗濯物を受けとる時に、カタリナさんから聞いたのよ」
「もしかして、お子ができたとか!?」
「だとしたら、すごいことよね!」
若い侍女達のはしゃぐ声が、庭を鳥籠のように賑やかにしていた。
彼女達は、噂の中心人物である私が、そばを通りかかっていることにも気づかないほど、噂話に熱中していた。
噂が広がる勢いは、想像以上だった。人々の興味が刺激されればされるほど、噂の伝達力は速くなるのだと、実感する。
噂は当初は、カタリナが親しい侍女に打ち明けた、〝月のものが遅れている〟という内容だけだった。
だけど広まるにつれて尾ひれがつき、さらに内容自体も、私とカエキリウスが一夜を過ごした、子を授かったという、もっと直接的なものに変化していった。
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