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38_皇帝の悩み
しおりを挟む「エアニー!」
「イネス!」
私は皇宮の門の前でエアニーを出迎え、勢いよく走ってきた彼を、両手を広げて抱きとめる。
「すまないな、イネス」
「いいのよ」
申し訳なさそうに謝ってくるベルナルドゥスに、私は笑顔を返す。
今、私達は権力闘争の真っただ中にいる。エアニーを、その争いに巻き込むことを恐れて、彼を皇宮に呼ぶことを避けてきた。
だけど最近、ディデリクスやベルナルドゥスも忙しく、エアニーは一人でいる時間が多くなっていたようだ。寂しさからエアニーは、元気をなくしていたらしい。
だからベルナルドゥスはエアニーを元気づけるために、今日、ここに連れてきてくれた。
「あなたが元気そうで、安心したわ」
元気がないと聞いて心配していたけれど、エアニーは元気そうだ。その顔を見て、私も安心できた。
「ベルナルドゥスから、イネスも色々大変だったって聞いたんだ。くわしいことは教えてくれなかったけど・・・・大丈夫だったの?」
「大丈夫よ。エアニーの顔を見ると、元気になった」
頭を撫でると、エアニーは嬉しそうに目を細めた。
「それからエアニー。ここでは私のことは、イネスではなく、ローナと呼んで」
「あ、そうだった・・・・ごめん」
エアニーは自分の手で、自分の口を塞ぐ。
「ローナ・・・・皇后陛下、だね」
「いえ、ローナでいいのよ。私はまだ、正式な皇后じゃないから」
「そうなの?」
エアニーが小首を傾げ、説明してほしいと目で訴えてくる。
私は、その眼差しに気づかないふりをするしかなかった。
皇宮の仕組みや、慣習は複雑だ。一つの質問に答えてしまうと、エアニーは知的好奇心を抑えられずに、きっと私を質問攻めにするはず。私はすべてに答えられない。
「それにしても、本当に大きな建物なんだね」
エアニーは皇宮を見上げて、目を輝かせた。
「少しの間、探検してもいいかな?」
「それは――――」
返事に困り、私は視線を泳がせる。
皇宮で働いている大勢の人々の中で、誰が味方で、誰が敵なのか、私はまだ把握しきれていない。
おまけにエアニーは、継承権を持つ男子だ。ヘレボルスに命を狙われるほど、重要な立場にいる。
こんな状況で、皇宮の人達に、エアニーの姿を見られたくなかった。
でも、断るための理由が思いつかない。
私は目で、ベルナルドゥスに助けを求めた。
「あー・・・・えーと・・・・」
ベルナルドゥスも、一緒に言い訳を考えてくれる。
「エアニー、ここは関係者以外、入れない場所なんだ」
「そうなんだ・・・・」
エアニーは落胆したのか、しょんぼりしてしまう。
「で、でも、庭は自由に歩ける。ローナと一緒に、散歩するのはどうだ? 皇宮の庭はとても広いんだぞ~」
エアニーが気落ちしている様子が見ていられなかったのか、ベルナルドゥスはそう付け加えた。
(庭を歩くだけなら、きっと大丈夫よね)
庭は広く、人がまったく通らない場所も多い。その場所を選べば、エアニーの姿を、誰かに見られる心配もないはずだ。
「そうね、それがいいわ。一緒に散歩しましょう」
「うん!」
私が手を差し出すと、エアニーはその手を握り返してくれた。
※ ※ ※
執務室でうたた寝をしている間に、日が暮れていた。
しばらくして目を覚ますと、窓の外を支配した、目が痛くなるような赤い色に気づく。
その血のような色を見ているだけで、気持ちが沈んだ。
「陛下。お疲れなら、今日はもうお休みになりませんか?」
ぼんやりしている私のことを心配したのか、近習のグェンが話しかけてきた。
「・・・・そうだな」
最近、寝つきが悪く、眠りが浅い。
このままでは執務が手につかないから、今日は、もう休んだほうがいいのだろう。
(・・・・いや、どうせ眠れない)
眠れないのは、気分が塞ぎ、取り留めもないことを考え続けてしまうせいだ。だからベッドに入ることは、根本的な解決にはならない。眠りたいときに眠れず、眠ってはならない場面で眠くなってしまう。
ここ最近、ずっと気分が塞いでいる。
助言者として頼りにしていたダヴィドは、失態続きで求心力を失い、ルジェナはずっと苛立っていた。
――――ここ最近、何かがおかしいと感じていた。
順調だった私達の〝日常〟が、崩れはじめている。
だがその原因がわからず、違和感だけを引きずってしまっていた。
「・・・・少し散歩してくる」
暗い気持ちを振り払うため、私は席を立った。
「では、お供します」
「ついてくるな」
「ですが――――」
「・・・・少し一人になりたい」
ついて来ようとするグェン達を振り払って、私は執務室を出た。
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