復讐のための五つの方法

炭田おと

文字の大きさ
上 下
31 / 72

31_労いの言葉

しおりを挟む

 ――――日が沈み、空から下りてきた夜のとばりが、窓の外から光を摘み取っていった。

 皇宮の部屋で、鏡台の前に腰かけ、額の包帯をとった私は、一息ついた。


 包帯を外すと、額に残った瘡蓋と青紫色の傷跡がよく見えて、憂鬱な気持ちになる。


「寝衣を用意いたしました」

「ありがとう」

 寝衣を受けとっても、疲れから、すぐには着替える気になれなかった。

 望み通りの結末になったとはいえ、これはまだ第一段階に過ぎないし、これからはいっそう、ヘレボルスは攻撃的になるだろうから、私はさらに気を引きしめなければならない。


 ――――そう思っているのに、疲れのせいか、霧を流し込まれたように、頭が朦朧としている。


「ローナ様、ローナ様!」

 ぼんやりしていた私は、部屋に駆け込んできたカタリナの声で、自分を取り戻した。

「どうしたの、カタリナ。あまり、大きな声を出しては駄目よ」

「も、申し訳ありません」

 カタリナは動揺している。

「どうしたの?」


「陛下がここへ、いらっしゃるそうです!」


「陛下が?」


 頭が真っ白になった。


(どうしてカエキリウスが?)

 一瞬、夜伽という言葉が頭をよぎったけれど、すぐに違うと自分に言い聞かせる。他の女性のところに行くことを、ルジェナは許さないだろうし、カエキリウスは私に、興味がない。


「どうしましょう?」

「断るわけにはいかないわ。お迎えしましょう」

 動揺を引き摺りながら、私は立ち上がる。


 テーブルや紅茶の準備が整ったところで、カエキリウスが入ってきた。


「陛下に拝謁いたします」

 挨拶すると、カエキリウスは軽く頷く。

「失礼します」

 私とカエキリウスがテーブルに座ったところで、カタリナ達は一礼し、部屋から出ていった。


 私とカエキリウスは、二人きりになる。


「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」

(・・・・気まずい)

 夫婦として同じ建物の中で暮らしていたこともあったのに、公務の話以外はほとんどしなかったから、何を話せばいいのかわからない。


「・・・・怪我の具合はどうだ?」

 しばらくして、カエキリウスが口を開いた。

「・・・・痛みは、だいぶ引きました」

 昼間も聞いたことなのに、と私は不思議に思う。まさかそれを聞くためだけに、部屋を訪ねてきたのだろうか。

(・・・・もしかして私のことを心配して、わざわざ訪ねてきてくれたの?)

 カエキリウスの表情を窺う。


(この人も、本当の悪人ではなかったのね・・・・)


 皇子だった頃のカエキリウスは、公明正大な人物で知られていたそうだ。

 皇帝に即位し、変わってしまったのだろうと思っていたけれど、もしかしたら今でも、彼は正しい施政者としての心は、失っていないのかもしれない。


 ――――彼の判断力を鈍らせているのは、ヘレボルスとルジェナだ。カエキリウスは、二人のことを正しい人物だと信じていて、彼らの助言は何でも聞き入れてしまう。

 愛は盲目と言うけれど、ルジェナへの愛が、本当に彼の目を曇らせている。

 彼が愛した女性が、本当に優しく、愛らしいだけの女性だったのなら、彼は今でも、正しい人でいられたのかもしれない。


(・・・・でも、許すことはできない)


 たとえ、カエキリウスに悪意がないのだとしても、彼が正しい判断をしてくれなかったせいで、私は家族を失い、大勢の人が亡くなった。


 ――――許せるはずがなかった。


「申し訳ありません、陛下。今はあまり、気分が優れないのです」

「そうだな、すまない。君を休ませるべきだったのだろう」

 カエキリウスは立ち上がる。


 そのまま退室するだろうと思っていたのに、なぜか彼は私の前に立った。


 カエキリウスは、驚いて、身動きがとれずにいる私の額に触れる。


 その時になってようやく、私は額の傷口を、包帯で隠すことを忘れていたことに気づいた。


「・・・・怒り狂う民衆を前にするのは、怖かっただろう?」

 私は顔を伏せる。

「・・・・逃げるわけにはいかないと思いました」

 確かに、突き刺さる敵意に、恐怖心を抱かなかったわけじゃない。

 でも逃げるわけにはいかないという意思が、私の足を立たせてくれた。


「・・・・そうか。それはとても――――立派な心掛けだ」


 顔を上げると、カエキリウスと目が合う。彼は笑っていた。


「それでは、私は戻る。数日、君の予定を開けておくから、その間、ゆっくり休みなさい」

「はい」

 カエキリウスは部屋を出ていき、扉は閉められた。


「・・・・何だったの・・・・?」


 結局、カエキリウスが何をしに訊ねてきたのか、わからないままだった。


 カエキリウスが退室した後もしばらく、私はその行動について、悩まされることになった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】どうして殺されたのですか?貴方達の愛はもう要りません  

たろ
恋愛
処刑されたエリーゼ。 何もしていないのに冤罪で…… 死んだと思ったら6歳に戻った。 さっき処刑されたばかりなので、悔しさも怖さも痛さも残ったまま巻き戻った。 絶対に許さない! 今更わたしに優しくしても遅い! 恨みしかない、父親と殿下! 絶対に復讐してやる! ★設定はかなりゆるめです ★あまりシリアスではありません ★よくある話を書いてみたかったんです!!

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

完結 若い愛人がいる?それは良かったです。

音爽(ネソウ)
恋愛
妻が余命宣告を受けた、愛人を抱える夫は小躍りするのだが……

【完結】浮気現場を目撃してしまい、婚約者の態度が冷たかった理由を理解しました

紫崎 藍華
恋愛
ネヴィルから幸せにすると誓われタバサは婚約を了承した。 だがそれは過去の話。 今は当時の情熱的な態度が嘘のように冷めた関係になっていた。 ある日、タバサはネヴィルの自宅を訪ね、浮気現場を目撃してしまう。 タバサは冷たい態度を取られている理由を理解した。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

一体だれが悪いのか?それはわたしと言いました

LIN
恋愛
ある日、国民を苦しめて来たという悪女が処刑された。身分を笠に着て、好き勝手にしてきた第一王子の婚約者だった。理不尽に虐げられることもなくなり、ようやく平和が戻ったのだと、人々は喜んだ。 その後、第一王子は自分を支えてくれる優しい聖女と呼ばれる女性と結ばれ、国王になった。二人の優秀な側近に支えられて、三人の子供達にも恵まれ、幸せしか無いはずだった。 しかし、息子である第一王子が嘗ての悪女のように不正に金を使って豪遊していると報告を受けた国王は、王族からの追放を決めた。命を取らない事が温情だった。 追放されて何もかもを失った元第一王子は、王都から離れた。そして、その時の出会いが、彼の人生を大きく変えていくことになる… ※いきなり処刑から始まりますのでご注意ください。

【完結】捨てられ正妃は思い出す。

なか
恋愛
「お前に食指が動くことはない、後はしみったれた余生でも過ごしてくれ」    そんな言葉を最後に婚約者のランドルフ・ファルムンド王子はデイジー・ルドウィンを捨ててしまう。  人生の全てをかけて愛してくれていた彼女をあっさりと。  正妃教育のため幼き頃より人生を捧げて生きていた彼女に味方はおらず、学園ではいじめられ、再び愛した男性にも「遊びだった」と同じように捨てられてしまう。  人生に楽しみも、生きる気力も失った彼女は自分の意志で…自死を選んだ。  再び意識を取り戻すと見知った光景と聞き覚えのある言葉の数々。  デイジーは確信をした、これは二度目の人生なのだと。  確信したと同時に再びあの酷い日々を過ごす事になる事に絶望した、そんなデイジーを変えたのは他でもなく、前世での彼女自身の願いであった。 ––次の人生は後悔もない、幸福な日々を––  他でもない、自分自身の願いを叶えるために彼女は二度目の人生を立ち上がる。  前のような弱気な生き方を捨てて、怒りに滾って奮い立つ彼女はこのくそったれな人生を生きていく事を決めた。  彼女に起きた心境の変化、それによって起こる小さな波紋はやがて波となり…この王国でさえ変える大きな波となる。  

処理中です...