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107_命を懸けて
しおりを挟む息つく暇もなく斬り合ったせいで、さすがに疲れたのか、エンリケとムスクルスは距離を取り、呼吸を整える。
今しかないと思い、私はエンリケの後ろから飛び出した。
「ルーナティア様!」
「助けを呼んでくるわ!」
叫んだ瞬間、ムスクルスの両眼がぎらりと光る。
「俺とこいつの決闘を邪魔するんじゃねえ!」
ムスクルスが腕を振るうと、閃光が横に伸び、切っ先が私の首を掻き切ろうとする。
だけどその前に、火花が花を咲かせた。エンリケの剣がムスクルスの剣を弾き落してくれたようだ。
私は転がるように角を曲がり、全力で走る。
「助けを呼んでくるから、それまで無事でいて!」
「ルーナティア様! 危険です!」
エンリケの声に、返事をする余裕はなかった。私は走り続け、やがてエンリケやムスクルスの声が聞こえなくなる。
『魔王様!』
いくつかの角を曲がると、またしてもムニンの声が頭上から降ってきた。見上げると、雲に映る影のような鴉のシルエットがあった。
「ムニン!」
『エンリケの側を離れるのは、得策ではありません! ムスクルスはきっと、あなたを追ってきます!』
「でも、私があの場所にいたら、エンリケが負けるわ!」
『しかし――――』
「あの場所に案内して、ムニン!」
ムニンはすぐ、〝あの場所〟がどこなのか、理解してくれた。
『あの場所とは、もしや――――しかしあれは、エセキアスにしか効果がないものです。それに、動きを封じられるのも、わずかな時間だけ――――』
「少しでも足止めできるのなら、その間にエンリケはスクトゥム騎士団と合流できる。お願い、案内して!」
『わ、わかりました!』
ムニンは迷いを見せつつ、私の言葉に従ってくれた。黒い両翼をはためかせ、旋回する。
私はその導きに従って、路地を全力で駆け抜けた。
「待ちやがれ!」
追いかけてきたムスクルスの怒声が、背中にぶつかってくる。予想以上に距離が近くて、その声の大きさにひやりとした。
ムスクルスはエンリケではなく、私を追いかけてくるというムニンの予想は、当たっていた。
「こ、このままじゃ追いつかれる・・・・!」
『援護します、魔王様!』
ここでも、助け舟を出してくれたのはムニンだった。
「援護? 援護なんて、どうやって?」
ムニンは一度は、ムスクルスに飛びかかり、彼の目をくらまして、私達を助けてくれたものの、同じ方法は二度は通用しない。他の手段となると、ムニンの小さな身体では難しいはずだ。
ムニンは答えないまま、高度を上げ、その姿は遠くなる。
「待ちやがれ!」
「・・・・!」
考える余裕はなかった。
――――すぐ後ろに、ムスクルスの気配を感じた。
「ようやく追いついた――――うわっ!?」
ムスクルスの悲鳴に、水音が重なる。何かの飛沫を浴びて、私は慌てて振り返った。
――――なぜかムスクルスは水浸しになっていて、彼の傍らにはバケツが転がっている。
どうやら頭上からバケツが降ってきて、ムスクルスの頭に命中したようだ。しかもよく見るとそれは水ではなく、もっと粘性のある液体のようだった。
「な、なんだ、くそ!」
顔に張り付いた前髪を掻き上げながら、ムスクルスは動き出そうとする。
だけど液体が地面を滑りやすくしたのか、ムスクルスは転び、側頭部を壁にぶつけていた。
「ボス、今のうちに急いでください!」
見上げると、屋上から顔を出した魔王軍の兵士が、親指を立てていた。
どうやら、町中に散っていた仲間達が、ここに集結してくれたようだ。ムニンが彼らに指示を出し、彼らが私の援護をしてくれたらしい。
「みんな、ありがとう!」
『今のうちに、急いでください、魔王様!』
「ええ!」
ムニンや、魔王軍の兵士達の援護のおかげで、私は順調に逃げつづけ、目的地に近づくことができた。
『魔王様、目的地が近いです!』
「本当!?」
ムニンの導きで角を曲がった私の目に、突き当りの壁が飛び込んでくる。
煉瓦壁の四隅には、私達が白いチョークでつけた小さな目印がある。
「よかった――――」
安堵したまたにその瞬間、背後で轟音が鳴り響いた。
「見つけたぞ!」
硬直した私の耳に、今、一番聞きたくない声が飛び込んでくる。
振り返ると、またもや壁を砕きながら現れたムスクルスが、私の背後に立っていた。
「俺から逃げられると思ったのか!?」
出現するなり、ムスクルスはこぶしを振り抜く。
「・・・・っ!」
――――その一撃を避けられたのは、偶然だった。
ムスクルスの登場に驚いた私は足を滑らせ、壁に寄りかかるような格好になった。そのおかげで、ムスクルスのこぶしは私の頭上を素通りし、壁にぶつかったのだ。
「あっ、くそっ、抜けねえ!」
おまけにムスクルスのこぶしは壁を突き抜けてしまい、彼はすぐに腕を引き抜くことができなかった。その隙に私は這いながら、ムスクルスの腕の下をくぐり抜け、背後に回る。
「・・・・運がいい奴め」
しばらくして、やっと腕を引き抜くことができたムスクルスは、舌打ちしながら私に向き直った。
「だが、逃げることを止めたことだけは、褒めてやるよ」
――――私は、真っ向からムスクルスを睨みつける。もう、逃げようとは思わなかった。――――いや、逃げる必要がない。
「俺と戦うつもりか? いい根性だ。――――根性見せたところで、てめえが瞬殺される運命は変わらないがな」
「・・・・・・・・」
「おい、何か言えよ。俺しか喋らねえと、独り言を言ってるみたいじゃねえか」
「・・・・何を言えばいいの?」
「遺言なら、聞いてやるぞ」
「そう。――――でも、遺言なんて言うつもりはないの。追いつめられてるのは、私じゃないから」
「何・・・・?」
さすがに奇妙だと感じたのか、ムスクルスの眉が曇った。
「ルシ!」
ムスクルスが気づく前に、私は叫ぶ。
次の瞬間、乱舞した光が路地に飛び散り、一部は縄のような形になって、ムスクルスの手足を絡め取っていた。
そして彼はあっという間に、光の柱の中に閉じ込められる。
「てめえ、何しやがった!?」
手足を光の縄で縛られた上、負荷をかけられ、ムスクルスは膝から崩れ落ちていった。
私は呼吸を整えてから、光の柱に近づく。
「――――エセキアスから力を奪うための魔法陣を、一つしか用意していないと思った?」
跪いたムスクルスが、私を見上げ、目を見開く。
エセキアスを路地の中に追い込み、魔法陣が仕掛けられた地点まで誘導する。作戦は単純明快だったけれど、いくつかの不確定要素を含んでいた。
ブランデの裏路地は迷路のように入り組んでいて、どの方向にも自在に進むことができる。追いかけられたエセキアスが、どの道を進むのか、それを完全に予測することは不可能だ。
だから私達は、エセキアスがどの方向に逃げても追い込むことができるように、魔法陣を路地の色んな場所に仕掛けておいた。
エセキアスを、結界の一つに閉じ込めることができた時点で、予備の魔法陣は用済みになった。まさかこんな形で役に立つとは、思ってもいなかった。
とはいえ、この魔法陣はムスクルスに一時的な負荷を与えるだけで、それ以上の効果はない。今のうちに、早く逃げなければ。
『魔王様! 今のうちに、お逃げください』
私と同じことを考えたのか、ムニンが肩に降りてきた。
「ええ、そのつもり――――」
身を翻したところで、また背後で、何度も轟音が弾けた。
振り返る間もなく、背中に衝撃を感じて、私は俯せに倒れる。ムニンも爆風に吹き飛ばされたのか、姿が見えなくなってしまう。
(な、何が起こったの・・・・!?)
ムスクルスは、身動きが取れないはずなのに――――膝を強打した痛みで切れ切れになった思考力を拾い集めながら、私は片膝をついて、振り返る。
ムスクルスは結界の外に出て、私を見下ろしていた。
――――彼の足元には巨大なクレーターができていて、砕かれた地面の残骸が散らばっているのが見えた。積み上がった瓦礫の中に、ばらばらになった魔法陣の線が見える。
(魔法陣を地面ごと砕いて、効力を打ち消したんだ!)
魔法陣を地面ごと砕いて、効果を打ち消す。壁も、地面も、障害となるものはすべてこぶしで砕けばいい。筋肉で物を考えるムスクルスの、シンプルな解決方法だった。
「散々コケにしやがって・・・・」
ムスクルスの肩からは、怒気が放たれている。怒りが顔じゅうの皺を浮かび上がらせ、両眼は獲物を狙う猛禽のようにぎらついていた。
「だがもう逃げられねえぞ。このまま、てめえの頭を潰してやる!」
固められたムスクルスのこぶしを見て、私は死を覚悟した。
「っ――――」
だけど前に出ようとしたムスクルスは、釣り糸で引っ張られるような動きで後退する。
――――そこで私は、まだ魔法陣の光の糸がムスクルスの手足に絡みついていることに気づく。
(魔法陣の力は、まだ失われてないんだ!)
魔法陣は細切れにされてもまだ、わずかながら力の残滓を、その場所に留めているようだった。
「ルーナティア様!」
絶妙のタイミングで、エンリケが駆け付けてくれた。
「エンリケ! あいつは今、動けない! 今のうちに――――」
最後まで、伝えることはできなかった。
――――私の声を掻き消すように、爆音が弾け散る。ムスクルスが二度目のこぶしを、地面に振り下ろした音だった。
その衝撃で、完全に魔法陣は砕け、効力が失われてしまう。
ムスクルスは最初に、エンリケを排除対象に選んだ。鞘ごと持ってきた剣を引き抜いて、エンリケに斬りかかる。おそらく、考えるよりも先に、獣の本能が、一番危険なエンリケを排除対象に選んだのだ。
一方、エンリケは、すぐには動かなかった。自分だけを守るという、本能で動くムスクルスと違い、エンリケには、自分の安全よりも優先すべき対象がたくさんある。だから判断が遅れてしまったのだろう。
ムスクルスの切っ先は、エンリケの心臓部に狙いを定めていた。
――――このままでは、エンリケが死んでしまう。
「エンリケ!」
考えるより先に、身体が動いていた。
エンリケの前に飛び出して、両手を大きく広げる。
――――肩口に千切れるような激痛が走り、冷たさが肩の肉に入り込んでくる。
「ルーナティア様!」
エンリケの声が聞こえ、そして私を支えてくれる腕を感じたけれど、返事をする余裕もないまま、意識はどこかに落ちていった。
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