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105_内紛
しおりを挟むムスクルス達が近づいてくる。
リュシアン達が迎えうつために武器を構えるけれど、その横顔からは焦りが感じられた。――――自分達の力では、ムスクルスに勝てないことを、彼らは知っている。
(どうすればいい?)
死にたくないし、リュシアン達も死なせたくない。でも、ムスクルスに屈するわけにもいかなかった。
(どうすれば・・・・!)
作戦を考える間もなく、ムスクルスはもう、目の前に迫っていた。
(たとえ負けるのだとしても、最後まで抵抗するわ!)
――――覚悟を決めて、上着の中に隠し持っていた短剣を引き抜いた瞬間、目の前に黒い影が飛来していた。
「何だ!?」
ムスクルスの顔面に飛びついたのは、ムニンだった。
「てめえ、この野郎!」
「今のうちに逃げるぞ!」
ムスクルスがムニンに気を取られているうちに、リュシアンが私の手を握り、走り出す。意外にもあっさりと、私達は包囲網の隙間を擦り抜けた。
「奴らを逃がすな!」
私達が角を曲がり、別の区画に逃げ込むと、すぐさまムスクルスの声が追ってきた。
「俺から逃げられると思うなよ!」
必死に走って、いくつも角を曲がったけれど、ムスクルスの声を遠ざけることはできなかった。
「ボス、急げ!」
リュシアン達からすると、私の足は遅すぎるようだ。私だって足手まといになるまいと、必死に足を動かしているけれど、それでも私の脚力では、リュシアン達には並べなかった。
「ごめん、ボス!」
「ぎゃっ!」
このままでは追いつかれると思ったのか、リュシアンに身体を持ち上げられた。リュシアンは私を肩に担ぎ、路地の出口を目指して、全力疾走する。
私に合わせる必要がなくなったので、リュシアン達は加速した。あまりの速さに、目が眩む。
「くそ、あいつらどこに行きやがった!?」
ムスクルスは、私達を見失ったようだ。
しかもムスクルスは心の声を、悪態という形で声に出してくれるから、彼の現在地が遠くにいてもわかる。本人は、そのことに気づいていない。いかにも彼らしいミスだった。
「ボス、どっちに行けばいい!?」
がむしゃらに路地を曲がり続けながら、リュシアンが聞いてきた。
「このまま大通りに出て大丈夫なのか!?」
その言葉に、ハッとした。
大通りにはまだ、逃げ遅れた人達が大勢残っているはず。
ムスクルスは住民がいようがいまいが、お構いなしに暴れるだろう。むしろカーヌス征服を目指しているムスクルスなら、民間人も敵と見做すはず。
そんな危険な男を引き連れたまま、群衆の中に飛び込むわけにはいかなかった。
「川沿いの道を目指して! その道のほうが、人通りは少ないはず!」
「わかった!」
リュシアン達はスライディングしながら身体の向きを変えると、私が指差した方向を目指して、全力疾走した。
だけどブランデで育った私でも、迷路のような路地をすべて把握できてるわけじゃない。分岐点に出くわすと、どちらの道が川辺に続く道なのか、確信がなかった。。
『魔王様!』
その時、頭上から羽ばたきの音とともに、声が落ちてきた。
見上げると、ムニンが私達の頭上を飛翔していた。
「ムニン、助かったわ! 川はどっちにある?」
路地の中にいる私達と違い、上空の俯瞰的な視点から町を見下ろしているムニンなら、正解の道が、一目でわかるはずだ。
『私についてきてください!』
「助かる、ムニン!」
リュシアン達は、ムニンが飛翔する方向を目指して、疾走する。
肩に担がれた状態ではできることがないので、私は流れに身を任せるしかなかった。
しばらく走って、私は、ムニンが示す方向が、川沿いの道には繋がっていないと気づく。
「そっちは違うわ! 川沿いの道に行くには――――」
間違いを指摘しようとした私の声は、破壊音に掻き消された。
「――――見つけたぞ」
――――壁を破壊し、煉瓦を撒き散らしながら現れたムスクルスは、目が合うなり、口角を吊り上げる。
彼が開いた穴の向こう側に、もう一つ、穴が見えた。
「壁をぶち抜いてきたのかよ!」
どうやらムスクルスは、私達の声が聞こえる方向へ、一直線に壁を破壊しながら突き進んできたようだ。
迷路のような路地で追いかけっこを続けるよりも、壁を破壊したほうが手っ取り早いと考えたのだろう。短絡的な考え方には呆れるしかないけれど、実際にこうして追い付かれてしまったのだから、ある意味、有効な手段だったのかもしれない。
「うろちょろすんなよ、てめえら!」
道幅いっぱいに両足を開き、門のように立ちはだかったムスクルスは、勢いよくこぶしを振り上げた。
「やばい!」
リュシアン達は慌てて引き返そうとするも、もう遅い。
「死ねや!」
固められた五指が、勢いよく前に突き出された。
不意を突かれた格好で、リュシアンの反応は鈍く、回避は間に合わないはずだった。
だけど私達にとっては幸いと言うべきか、ムスクルスは路地の横幅を見誤り、彼の肘は壁に引っかかる。
そこで勢いを削がれて速度が落ち、リュシアンは紙一重で、ムスクルスのこぶしを回避することができた。
「ぐっ・・・・!」
だけど再び撒き散らされた煉瓦が、リュシアンの額にあたる。衝撃で私はリュシアンの腕の中から転がり出て、地面に投げ出された。
「うっ」
地面に頭をぶつけた衝撃で、意識が飛びかける。私はごろごろと転がって、壁に叩きつけられた。
「うう・・・・」
激痛に苛まれて、すぐに立ち上がることができなかった。なんとか地面に手を突きたてるけれど、巨大な影が覆い被さってくるのを感じて、背筋が凍えた。
怖々と、顔を上げる。
――――私を見下ろすムスクルスの両眼には、凍えるような殺意が宿っていた。
「立てよ」
「・・・・・・・・」
「立てって言ってるだろうが」
それでも動けずにいると、ムスクルスは私の胸倉をつかみ、引き摺り立たせた。私は壁に叩きつけられ、激痛に声を上げる間もなく、襟を締め上げられた。気道が塞がれ、息ができなくなる。
「やめろ、ムスクルス!」
這いつくばったまま、リュシアンが声を上げた。
「ぐっ・・・・!」
だけど追いついてきたムスクルスの部下が、リュシアンの背中を踏み付け、動きを封じる。
「・・・・余計なことをせずに、俺にすべてを明け渡して城を去っていれば、死なずにすんだのにな」
「・・・・・・・・」
「まあ、いい。そのおかげで、ドラゴンレーベンを封印できたんだからな。礼は言っとくよ」
「・・・・私を殺そうとしている人から感謝されたって、少しも嬉しくないわ」
虚勢を張って言い返すと、ムスクルスは笑った。
「・・・・その度胸だけは認めてやるよ」
ムスクルスは肘を引き、五指を閉じて、こぶしを固めた。
「感謝のしるしに苦しまないよう、一撃で仕留めてやる。――――じゃあな」
こぶしが前に、突き出された。
――――辞世の句を思いつく余裕もなく、私にできたことは、目を瞑ることだけだった。
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