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しおりを挟むその後私は再び馬車に乗り込んだが、放心状態で、エレウシス修道院のアーチ形の入口に立っても、なかなか扉を開ける決心がつかなかった。
そんな私の意識を、玄関の扉が開く音が、目覚まし時計の音のように叩き起こす。
「・・・・お父様?」
偶然にも、玄関から出てきたのはルーナティアだった。
「ああ、ルーナティアか」
「ここで何をしていらっしゃるんですか?」
「お前に会いに来たんだ。・・・・修道院の暮らしはどうだ?」
言葉を慎重に選びながら、問いかけた。
ルーナティアは私やエレアノール以上に、殿下と親しくなったようだ。であれば、これ以上殿下の不興を買わないよう、今後はルーナティアへの発言にも注意しなければならない。
「問題なく過ごせています。ここの方達は、みな優しい方ばかりだわ」
「そうか。・・・・その――――何か必要なものはあるか? 必要なものがあるなら、私が用意して届けさせるが」
「え?」
ルーナティアは大きく目を開き、瞼を忙しく開閉した。
「何だ? どうして驚く?」
「いえ・・・・お父様にそんなことを聞かれるとは思っていなかったので・・・・」
「・・・・・・・・」
それほど驚かれるようなことだったのかと、私のほうが衝撃を受ける。
「必要なものはあるのか?」
「いえ、大丈夫です。今の生活で十分、事足りていますから」
「そうか・・・・」
ルーナティアの答えは、予想通りだった。
この子は昔から、私を頼ろうとしない。
視線を下げて、ルーナティアが手に、スコップを握っていることに気づいた。さらによく見ると、手がかなり荒れている。
(・・・・そういえばこの修道院では、農作業をしているんだったな・・・・)
以前、ここを訪れたことがあるが、修道女達は見るからに貧しい生活を送っていた。エセキアス陛下の経済対策は失敗し、カーヌスの経済は不調だ。寄進の額も減っているのだろう。
(殿下が言った通り、寄付金の額を増やすことが、一番の支援なのかもしれない)
そうすれば、修道女達の食卓は少しばかり、豊かになるだろう。
「ここで立ち話もなんですし、中へどうぞ。修道長様は、礼拝堂にいらっしゃいます」
ルーナティアは横へ移動して、中に入るよう、うながしてきた。
「いや、いい。お前の様子を見に来ただけで、長居をするつもりはない」
「でも・・・・」
「それから、ここでの暮らしは少し貧しすぎるようだな。寄付金を増やし、必要なものがあれば送るようにする。足りないものがあるならば、手紙をよこしてくれ。すぐに届けさせよう」
またルーナティアは、驚きで目を見張った。
「あ、ありがとうございます。修道長様やアイリーンも、喜ぶでしょう」
驚きながらも、私の言葉は喜んでいるようだ。彼女の態度が和らいだのを感じ、この隙に、と私はルーナティアに耳打ちする。
「・・・・ルーナティア、お前は殿下と親しいようだな」
「・・・・!」
問いかけると、なぜかルーナティアは顔を強ばらせた。
「殿下から、もっとお前を気にかけるようにと注意を受けた。確かに今までは、私の配慮が足りなかったかもしれない。今後は気を付けるようにしよう」
「・・・・・・・・」
「もし次に、お前が殿下と会ったら、私がお前を気遣っていたと伝えてくれ」
ルーナティアの目が、すっと細められる。
「・・・・お父様、心配は無用です。今後私のことで、お父様がエンリケの怒りを買うことはないでしょう」
「そ、そうか」
ルーナティアの声が低くなったことに戸惑いつつ、私は安堵した。
「エンリケの・・・・殿下の心遣いに、本当に感謝します・・・・」
ルーナティアは噛みしめるように言って、自分の胸に手を当てる。
「うむ。殿下にも感謝しなさい」
「ええ、殿下に感謝します」
ルーナティアは、穏やかに笑った。
※ ※ ※
「カルデロン卿が、寄進してくださったの」
カルデロン卿が去ってから数日後、修道長様の部屋を訪ねると、修道長様は開口一番に、そう教えてくれた。
「カルデロン卿が? 本当ですか?」
「ええ、私達の暮らしを見て、支援が必要だと思ってくださったようだわ」
「やっぱり、カルデロン卿はお優しいのね!」
その優しさに、私は感動する。
多忙のため、仕方なくカルデロン卿はブランデに帰ってしまったけれど、あの一件以降、魔物が出没することも、野菜を盗まれるという被害もなくなった。おかげで私達は安心して、以前のように、穏やかな日々を送れている。
すべては、カルデロン卿と、スクトゥム騎士団の騎士の方々のおかげだ。
「しかも、今年、寄付金の額を増やしてくださったのは、カルデロン卿だけじゃないのよ。リーベラ家も、信じられない寄付金をくださったわ」
「リーベラ家が? ・・・・なぜでしょう?」
リーベラと聞いて、私の気持ちは暗くなった。リーベラ家がルーナティア様にした仕打ちを見て、その名前にいい感情を抱けなくなっていたのだ。
「ルーナティア様のためでしょう。リーベラ卿から、ルーナティア様を頼むという言伝も預かってるから」
「・・・・だったら他にも、ルーナティア様のためにしてあげることがたくさんあったはずなのに」
「ええ、そうね。・・・・ルーナティア様にした仕打ちを、反省したのかもしれないわ。だから罪滅ぼしのために、寄進してくださったのかも」
「・・・・・・・・」
リーベラ卿が贖罪だと考え、寄進したのだとしたら、方法を間違えていると思ったけれど、それを言葉にはできなかった。リーベラ卿にどんな思惑があるのか、それは外部の人間が知りようがないことだ。家族の問題なのだから、私達が口を挟むことじゃない。
「でもカルデロン卿は、色んなところに寄付をしていると聞いています。ここにも寄進して、大丈夫なんでしょうか?」
心配になって呟くと、修道長様は笑う。
「馬鹿ね。カルデロン卿がカーヌスで一番の富豪だってことは、あなたも知ってるでしょう? 目が回るような金額を、毎日動かしてるんだから。寄付金の額を増やしたぐらいで、カルデロン家の財政が悪化するなんてことは、天地が引っくり返ってもありえないわ」
「そ、それもそうですね・・・・」
カルデロン家が所有する土地は広大で、国王ほどじゃないにしろ、カルデロン卿もかなりの資産家だ。
カルデロン家の資産がどれほどの額なのか、私では想像すらできない。きっと、修道長様が言う通り、私達が動揺で直視できなくなるような額なのだろう。
「私、このことをルーナティア様に知らせてきます」
「あ、駄目よ!」
喜ばしい知らせだから、すぐにルーナティア様に教えてあげたかったのに、なぜか修道長様に止められた。
「このことは、ルーナティア様には黙っていて」
「どうしてですか?」
「カルデロン卿に口止めされているの。寄進のことは、ルーナティア様には隠しておいてほしい、って」
私は首を傾げる。
「なぜでしょう?」
「理由はおっしゃらなかったわ。聞くわけにはいかないから・・・・でも、お二人は複雑な関係よ。きっと色々な事情があるんでしょう」
「そうですね・・・・」
「でも、ルーナティア様のことは大事に思っているようよ。ルーナティア様のことを頼むと言われたし、彼女が何かを必要としている時は、伝えてほしいとおっしゃっていたもの。縁は切れてしまうけれど、影ながら力になりたい、と」
国王と、裏切られた王妃、その国王の弟――――複雑な関係なのに、再会した時の二人は、とても仲良しに見えた。
ルーナティア様が魔物と遭遇した翌日は、なぜか少し距離があったように見えたけれど、ここを去るその時まで、カルデロン卿の態度からは、ルーナティア様を大切に思っていることが伝わってきた。
「だからこのことは、私達だけの秘密にしておきましょう」
「わかりました」
「修道院にいる間は、私達でルーナティア様をお支えするのよ」
「はい!」
「それでは、今日も一日頑張りましょう」
私達は笑いあった。
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