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89_エンリケの別の顔
しおりを挟む「で、殿下!?」
ルーナティアの様子を見るため、エレウシス修道院を目指していた私は、修道院の手前の草原地帯で、馬を走らせるエンリケ殿下を見つけた。
「リーベラ卿ですか?」
私に気づくなり、殿下は手綱を引いて、馬を止める。彼の後ろには、スクトゥム騎士団の騎士達が数人、続いていた。
私が御者に馬車を停めさせ、馬車を下りるのと、殿下が下馬したのはほぼ同時だった。
「お久しぶりです、リーベラ卿」
「お。お久しぶりです・・・・しかし、なぜ殿下がここに?」
「魔物退治に来たんです。要請があったので」
「そ、そうですか・・・・」
辺境の魔物退治に、スクトゥム騎士団が派遣されるなど奇妙だと思ったが、殿下の笑顔を見て、私は何心、安堵していた。
この前ルーナティアの部屋で出くわした時、殿下は今まで見たことがないほど、怒っていた。誰にたいしても負の感情を見せない方だと思っていたから、あの時は動揺した。
でも、今の殿下はいつも通り、にこやかな笑顔を浮かべてくれている。
(・・・・この前のことは、許していただけたんだな・・・・)
そう思ったが――――甘かった。
「本当に・・・・お久しぶりです」
殿下の目を見て、違うと気づく。
――――目の奥に、氷のような怒りが仄見える。それに気づいた瞬間に、身体が固まってしまった。
「リーベラ卿と話がある。エドアルド達は、この先で待っててくれ」
アルフレド卿達は私に目礼して、離れていった。
そしてその場所には、私と殿下だけが取り残される。
「・・・・・・・・」
「で、殿下・・・・私はまた、殿下が気に障るようなことをしてしまったのでしょうか?」
怖々と問いかけると、殿下は怒りを隠さなくなり、腕を組んで、私を睨みつけた。
「――――ルーナティア様のことを、くれぐれも大切にしてくださいと、お願いしたはずです」
「え・・・・」
殿下の口から出てきた、ルーナティアという名前に、私は凍り付く。
「修道院に送り出すのに、付き人を一人もつけなかったと聞きました。修道院での暮らしは、貴族の令嬢として育ってきた人にはつらいはずです。幸い、エレウシス修道院の方々が優しかったので、ルーナティア様はうまく馴染めたようですが・・・・本来、彼女を助けるのは、あなたの役割だったはず」
あらためて睨まれて、私は肩を縮めることしかできなかった。
(殿下がまた、ルーナティアと会うことになるとは・・・・)
離縁すれば接点がなくなる二人だから、城を出れば縁は切れると思っていたが、そうはならなかったようだ。
「も、申し訳ありません・・・・付き人をつけなかったことに、特に深い理由はなかったのですが・・・・」
私がそう釈明すると、殿下の両眼はさらに凍える。
「・・・・関心がないんですね」
「え?」
私が目を瞬かせると、殿下は視線を私から外してしまう。
「・・・・私は今後は立場的に、ルーナティア様と関われなくなります。ですからあなたに、あの方の今後を託すしかありません。つらい思いをしてきた方です、今後は穏やかに暮らしてほしい。・・・・あなたには今度こそ、真摯な気持ちで、ご息女を支えてもらいたいんです」
「し、しかし・・・・ルーナティアは私の助けなど望んでいないでしょう。今回、付き人をつけると言っても、きっと断られたはず。私と娘の関係は、うまくいっていませんから――――」
「――――助ける方法といっても、色々あるはずです」
言い訳がましいと感じたのか、殿下の声がさらに研ぎ澄まされた。
「ルーナティア様が助けを拒むのなら、この修道院を支援し、影ながら支えるという方法もあります。この修道院も貧しいようですから、寄付の額を増やすだけでも、ルーナティア様の助けになるはずです」
「そ、それもそうですね・・・・」
「では、今後はきちんと、ルーナティア様のことを支えてくれますね?」
殿下は顔から厳しさを消し、にこりと笑った。
――――だが、その笑顔はどこか黒く、重たい。拒否することを許さない、威圧感を発していた。
その時の私に許されたのは、たった一つの答えだけだった。
「は、はい・・・・もちろん・・・・」
私の答えに満足したのか、殿下から発せられる威圧感が、ほんの少しだけ、和らいだように感じた。
(・・・・こんな表情もできる方だったのか・・・・)
俯いて、額の汗を拭いながら、私は考える。
何が起こってものらりくらりとするばかりで、決して本心を見せない方だと思っていた。本気で怒れば、今のように威圧し、相手から言葉を奪うこともできる人だったのだ。
殿下は普段は飄々としているが、仲間が傷つけられた時、不当な目に遭わされた時は、別人のような一面を垣間見せることもあった。苛烈さ、冷酷さを感じさせる一面を見ると、殿下にもやはり、カルデロンの血が流れているのだと実感する。
(殿下との関係を悪くしたくない・・・・)
――――エセキアス陛下は暴虐武人で、時折苛烈な狂暴さを見せる。国政よりも自分のイメージを気にすることが多く、国王としての資質を問う声は、以前から上がっていた。
だが資質がないからといって、おいそれと国王を、王位から引き摺り下ろすことはできない。そもそもドラゴンを召喚できる人物に、誰が対抗できるだろうか。
だから私達は顔を伏せ、暴政が去る瞬間を指折り数えていた。
私達にとって幸いだったのは、陛下が健康を顧みる人物ではなかったことだ。歴代の短命だった国王と同じように、暴飲暴食で色欲も強いため、長生きすることはないだろう。
――――そこで重要となるのが、継承権を持つ人物の存在だ。その人物は今、たった一人しかいない。
だからエンリケ殿下に、エレアノールを嫁がせたかった。エセキアス陛下が早世して、殿下が次の国王になれば、エレアノールが王妃だ。
思惑が外れ、二人の結婚の話は流れてしまったが、保険のために、今後もエンリケ殿下との関係は維持しておきたかった。
(殿下のあの様子を見るに、今後もルーナティアの扱いには気を配らなければならないな・・・・)
なぜエンリケ殿下がそれほどルーナティアのことを気にするのかわからないが、彼がルーナティアを大事に扱えと言うのなら、従うしかなかった。
「・・・・ルーナティア様のことを、くれぐれもお願いします、リーベラ卿」
念を押すようにそう言って、殿下は肩の力を抜く。
「それでは、私はこれで」
殿下は私の横を、通り過ぎてしまう。
「え? もう行ってしまわれるのですか?」
「魔物の討伐は終わりました。・・・・長くここに留まると、ルーナティア様に気まずい思いをさせてしまうでしょう。これ以上、負担をかけたくないんです」
「まさか、むしろ娘は喜ぶでしょう」
殿下は困ったように笑うだけだった。
「あ、あの、殿下・・・・以前、私を義父と呼ぶことになるとおっしゃっていましたが、あの話はどうなりましたか?」
以前、殿下が私に言った、義父と呼ぶことを望んでいる、という言葉が引っかかっていた。
エレアノールとの結婚がなくなっても、もしかしたら殿下が、リーベラ家と繋がりを持つことを望んでいるかもしれないという期待は残っていた。
すると殿下は、どこか寂しそうに笑った。
「・・・・残念ですが、それは叶わないようです」
「そ、そうですか・・・・」
望みを断ち切られ、私は肩を落とした。
「それは残念です」
「・・・・俺も、残念に思っています」
そう言って、殿下は私に背中を向ける。
「・・・・ルーナティア様のことを、頼みましたよ、リーベラ卿」
最後に念を押すように言って、殿下は馬に飛び乗る。
それを遠くで見ていた騎士達が戻ってきて、殿下を取り囲んだ。そして一団は走りだし、蹄が巻き上げた砂埃も遠ざかっていく。
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