魔王になったけど、夫(国王)と義弟(騎士団長)が倒せない!

炭田おと

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87_犠牲にしたもの

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「さ、さて、そろそろ眠る準備をしないと」


 気持ちを切り替えるために、私はそう言った。


「上着、ありがとう」


 エンリケから借りた上着を返さなければと、脱ごうとしたとき、何かが腰に当たった。


 ポケットに、何かが入っているようだ。私は無意識にポケットに手を入れて、それを取り出してしまった。


「・・・・!」


 手を開いて、私は息を呑む。



 ポケットに入っていたのは、首飾りだった。ブランデで何度も冬花のパレードを過ごしてきた私には、一目で首飾りの装飾が、カトレアの花を模しているのだとわかった。



 思わずエンリケの顔を見ると、彼も目を見開いて、固まっていた。



「あ、ああ、ごめんなさい!」


(勝手にポケットの中を見るなんて!)


 とても失礼なことをしてしまったと後悔しながら、慌てて首飾りを、ポケットの中に戻そうとする。


「待ってください」

 エンリケに、手首をつかまれた。


 エンリケは私の手を持ち上げると、指を開く。手の中で、首飾りの金の縁取りが、蝋燭の弱い光を浴びて、怪しく輝いていた。


「その・・・・」


 エンリケは何かを言いたそうにしながらも、言葉が見つからないらしく、うなじを掻いている。

「ご、ごめんなさい、見るつもりはなかったの・・・・」


 自分でも、動揺で声が揺れていることがわかった。


(好きな人のために、用意したのね。アルフレド卿に渡すのかしら・・・・)


 好きな人か、恋人がいなければ、カトレアの首飾りを用意しないだろう。エンリケは容姿にも地位にも恵まれているのだから、恋人がいるのは当然のこと、なのになぜか私は、動揺してしまっていた。


「本当にごめんなさい・・・・」

「謝らないでください」

 エンリケは両手で、私の手を包み込む。

 声から怒りを感じなかったから、私は顔を上げる。エンリケは気まずそうにしながらも、私に笑いかけてくれていた。

「・・・・いい機会だったのかもしれません」

「いい機会?」

「――――実はこれを、ルーナティア様に渡したかったんです」

「え・・・・?」


 その言葉を理解するのに、私は長い時間を要した。


 流行や、恋愛がらみの伝統に疎いとはいえ、私は一応、ブランデで生まれ育った。だから冬花のパレードで、カトレアの首飾りを相手に送ることが、何を意味しているのかは知っている。


「あの・・・・ルーナティア様?」


 一分近い沈黙に耐えられなくなったのか、エンリケが話しかけてきた。私は我に返る。


「ご、ごめんなさい・・・・ちょっと混乱してて・・・・」


 エンリケがせっかく沈黙を破ってくれたけれど、すぐに言葉が尽きて、無言の隙間に沈黙が蔓延はびこる。気まずいと思っているのに、言葉が見つからない。


「これは、その、あの――――」



「――――あなたが好きです」


 呼吸が止まる。


 エンリケの目は真っ直ぐ、私の目を見つめていた。


「・・・・もっと時間を置いてから、伝えるつもりでした。あなたはまだ離婚したばかりで、気持ちに区切りをつけられていないようでしたから。・・・・でもこれも、いいきっかけだったのかもしれません」

「・・・・・・・・」


 その首飾りは、一見華やかには見えないものの、控えめながら、ポイントを押さえたアクセントが光るデザインをしていた。

 どのドレスにも似合いそうな、私好みのデザインだ。きっとエンリケは、私が選ぶドレスを見て、私の好みを探ってくれたのだろうと思う。


「ご、ごめんなさい、嫌とかじゃなく、ただ言葉が見つからないだけなの。・・・・エンリケは、アルフレド卿のことが好きだと思ってたから・・・・」


 エンリケは肩を落とす。


「・・・・なぜそんな誤解をされたのか、わかりませんが・・・・」

「そうね、どうしてかしら・・・・」


 確かに、考えてみると不思議だ。


「とても親しいから、まわりが誤解したんだと思うわ」

「ただの幼馴染で、友人です! 俺はあいつと手を繋いだことも、いちゃついたことも一度もありませんよ」

「でも時々、お互いを見る目が熱烈だってみんな言ってたわ」

「錯覚です! そう見えた人がいたのなら、妄想で目が曇っていたんでしょう」

「そ、そうなの・・・・」


 エンリケの必死の否定に、私は気圧されて、頷くしかなかった。確かに、妄想で目が曇っていたのかもしれない。


「・・・・すみません。否定するために必死になって、少し熱がこもってしまったようです」


 驚く私を見て冷静になったのか、エンリケは取り乱したことを誤魔化すように、咳払いした。


「それで――――受け取ってもらえるでしょうか?」

「わ、私は・・・・王妃で、あなたの義姉で・・・・もう違うけど・・・・」


「関係ない」


 エンリケの声が、また強くなった。


「もうあなたは自由の身です。陛下との関係に、苦しむことはない。どこで誰と何をしようと、誰にも口を挟む権利はありません」

「・・・・どうして私を選んでくれたの? 私はエレアノールみたいに美人じゃないし、スカーレットみたいに器用でもないわ・・・・」


 エンリケなら、もっといい条件の女性を望めるだろう。私のような面倒な相手じゃない、家柄も容姿も申し分ないご令嬢が、社交界には大勢いる。エンリケが望むのなら、彼女達はいつでも、彼の隣に並んでくれるはずだ。


「どうして他と比べるんですか? 俺はあなたが好きなんです」

「・・・・・・・・」

「あなたと一緒にいると、楽しかったし、時間を忘れました」


 エンリケの言葉に顔が赤くなってしまって、私は慌てて俯く。


「俺はこんな性格ですが、これでも立場に縛られた窮屈さは感じてきました。ルーナティア様も、同じ窮屈さを感じてきたのでは? 陛下と結婚せずに、王妃にもならずにすんだのなら――――そう考えたことはありませんか?」


(エセキアスと結婚せずにすんだのなら・・・・)


 それは何度も思い描こうとした、未来の一つだった。エセキアスと結婚せずにすんだのなら――――だけどどんなに想像しようとしても、そんな未来は頭に浮かばなかった。


 ありえなかった未来を想像しても、虚しいという気持ちが先立ったからかもしれない。


「・・・・俺達の間に、とてつもなく面倒な障害があることはわかっています。でも今は、その面倒な障害については考えず、ルーナティア様の本当の気持ちを教えてください」

「私の・・・・気持ち・・・・」

「きっと俺のことを、そういう対象として考えたことすらないと思います。だから、一度考えてみてください」

「・・・・・・・・」

「もし、気持ちがないのなら、すっぱり振ってください。覚悟はできています。ただ、一度だけ、王妃という立場だったことや、俺が義弟だったことを忘れて、俺の手を取るか、考えてほしいんです」


 エンリケの目を、直視できなかった。でも声から、エンリケの強い感情は伝わってくる。


(・・・・私の気持ち・・・・)


 狂王きょうおうの誕生を防ぎ、国を守ること以外、何も考えないようにしてきた。


 でも、エンリケと一緒にいることは楽しかった。城の中で、私をお飾りの王妃と蔑む人達に囲まれている中で、私を一人の人間として扱ってくれるエンリケの優しさに、救われてきた。


 でも、エンリケを異性として見たことはない。無意識のうちに、考えることを避けていた。エセキアスと結婚しなかった道と同じように、エンリケとの将来も、私にとっては〝ありえない未来〟だったからだ。


(エンリケと一緒にいると、楽しかった)


 エンリケは私と一緒にいると楽しかったと言ってくれたけれど、私もエンリケと一緒だと会話を楽しむことができたし、時間や悩みを忘れることができた。


 エンリケから差し出されたカトレアの首飾りを見た時、動揺や驚きや、色々な感情に胸を塞がれた。



 でもエンリケが、それを私のために用意してくれたと言ってくれた時、心が浮き立つのを感じた。



(・・・・私、エンリケのことが好きだったの?)


 ――――どうやら私は、エンリケが好きだったらしい。今さら気づくなんて馬鹿みたいだと、苦笑するしかなかった。


(でも・・・・でも・・・・)

 ――――受け取れないと思った。


 元王妃で元義姉、元義弟という面倒極まりない関係性だけでも厄介なのに、その元義弟は継承権を持っている。まわりから反対され、私達が孤立することは目に見えていた。



 そして何よりも重要なのは――――私が魔王だという点だ。



(・・・・私は魔王になる道を選んで、カーヌス軍と敵対している。・・・・エンリケを、裏切っているんだ)


 私は、エンリケを騙している。トリエル村でも、私は、私を守ろうとしてくれるエンリケの気持ちを利用して、仲間を逃がすために、彼をその場に引き留めた。


(――――私に、エンリケの気持ちに応える権利があるはずがない)


 そう決めた瞬間、焼けつくような感情に、喉を塞がれる。歪んだ表情を見られないよう、深く俯いて、溢れてくる感情を必死に飲み込んだ。



「・・・・ごめんなさい、エンリケ。――――私は、それは受け取れない」



「・・・・・・・・」


 私は怖くて顔を上げられず、エンリケの表情の変化を確かめられなかったけれど、エンリケが肩の力を抜いたことがわかった。


「・・・・すみません、気まずい思いをさせてしまった」


 怖々と顔を上げる。


 エンリケの顔には、苦い笑みが浮かんでいた。


「あなたに、負担をかけてしまったようです。そうしたくないと思っていたのに、結局・・・・」

「ううん、そんなことない・・・・そんなことは・・・・」

「今夜のことは忘れてください」


 楽しかった空気が、今は重たく沈んでしまっていた。。


「・・・・俺は、部屋に戻ります」


 気まずい時間を終わらせるため、エンリケが口を開く。


「今日はもう、休んでください、ルーナティア様」

「・・・・うん、おやすみ、エンリケ」


 エンリケは微笑すると、身を翻し、扉に向かった。私は何もできず、彼の後ろ姿を見送る。


 エンリケは廊下に出て、扉は閉められた。



「・・・・っ!」


 一人になった瞬間に、堪えきれず、私はうずくまる。両目からぼろぼろと、涙が零れ落ちた。


 魔王になることに、躊躇いはなかった。私には他に、何もなかったからだ。捨てるものも、犠牲にするものも持っていない私が、他人よりも遠いエセキアスの軍隊よりも、魔王軍を選ぶことは容易かった。



 ――――でも今、この道を選んだことで、犠牲にしたものがあったのだと、思い知っている。―――――気づいたところで引き返せないし、引き返すつもりもない。



 嗚咽を誰にも聞かれないよう、声を押し殺して、泣き続けた。



 どれぐらい時間が経ったのか、感情の嵐が過ぎ去って、私は放心状態になっていた。


「・・・・?」


 ふと、手の中に何かがあることに気づいて、私は視線を落とす。


 ――――手の中にカトレアの首飾りを見つけ、首飾りをエンリケに帰し忘れていたことに気づいた。


(・・・・どうしよう・・・・これを返さないと・・・・でも今返しに行ったら、エンリケに気まずい思いをさせてしまう・・・・)


 今、返却に行ったら、エンリケに居心地が悪い思いをさせてしまう。


(かといって、誰かに頼むわけにもいかないし・・・・時間を置いてから、返したほうがいいかもしれない・・・・)


 首飾りを持ち上げる。


 金で囲われた宝石の表面を、光の雫が滑っていく。



(・・・・もう少しだけ、これを貸して、エンリケ)


 私は首飾りを首にかけ、金の鎖を指でなぞる。



 お互い、もう気まずさを覚えないぐらいの時間が経ってから、これをエンリケに返しに行こう。――――それまでは、挫けそうなときに決意を確かめるためにも、これを服の下に身に付けておきたかった。



 ――――エセキアスからドラゴンレーベンを奪い、カーヌスの政治を、ドラゴンの力による圧政から、人の手に戻す。



 この首飾りがあれば、私には守らなければならない人がいることを思い出して、奮い立つことができる気がした。

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