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85_リーベラ家のじゃじゃ馬
しおりを挟むエンリケは私を部屋に運び入れると、ベットの脇の椅子に座らせてくれた。
「足を見せてください」
「本当に大丈夫だから!」
断ったのに、エンリケは強引に私の足裏を持ち上げる。
「・・・・血が出てますよ。痛みもあるはずです」
「・・・・・・・・」
本当は素足だと思い出した瞬間から、痛くて痛くてたまらなかった。でも今は痛みよりも、足を見られているという恥ずかしさのほうが上回っている。
寝衣の裾が太腿まで上がっていることに気づいて、私は慌てて裾を下ろし、膝を隠した。
(ひどい有様だわ・・・・)
足も膝も、寝衣の裾まで泥だらけだ。きっと寝る前に櫛を通した髪も、爆風や夜風になぶられて、逆立っているはず。こんな姿を、エンリケには見られたくなかったと思う。
せめて髪型だけは直しておこうと、手櫛で梳かし、撫でつけた。
「団長、持ってきました」
エルミニオ卿が水を張った桶を持って、部屋に入ってきた。一緒についてきたヘルタ達が、興味津々で部屋の中を覗き込んでいる。
「助かった。ここに置いてくれ」
エルミニオ卿は私達の足元に、水桶を置く。
「後は何を?」
「悪いがもう一度、修道院のまわりを巡回して、魔物がいないことを確認してくれ。あの様子だともう戻ってくることはないと思うが、念のためだ」
「わかりました」
エルミニオ卿は、廊下に出ていった。そしてヘルタ達に、部屋に戻るようにうながしてくれたのか、扉が閉まってからしばらくして、外の気配が消える。
「桶の中に、足を入れてください」
「エンリケ、後は一人でできるから――――」
「少し、痛むと思いますが、我慢してください」
エンリケは私の足を持ち上げ、水桶の中につける。
「痛っ・・・・!」
水の冷たさが、足裏の傷に染みわたった。透明だった水が、私の足から剥がれ落ちた泥によって、濁っていく。
「すみません。でも、治癒術を使う前に、まずは泥を落とさないと」
「治癒術が使えるの?」
「治癒術は得意ではないですが、初歩的な術なら使えます。小さな傷なら、それで十分治せるでしょう」
「そうだったの。――――って」
泥を落とすために、エンリケの手が私の足を撫で上げた。
「ちょっと待って! 何してるの!?」
私は慌てて、エンリケの手をつかむ。
「だから、まずは足の泥を落とそうと思いまして・・・・」
「あなたは、スクトゥム騎士団の団長なのよ! そんな人に、足なんて洗わせられないわ!」
「身分なんて関係ありません。とにかく今は、傷を――――うわっ!」
エンリケの手から足を引き抜こうとして、桶の水を跳ね上げてしまった。その水が、エンリケの顔にかかってしまう。
「ごごご、ごめんなさい!」
王弟で、権威あるスクトゥム騎士団の騎士団長に足を洗わせたばかりか、顔に泥水をかけてしまった。不敬罪、という言葉が頭をかすめる。
「すぐに拭かないと!」
立ち上がろうとしたけれど、エンリケが足首を放してくれなかったから、動けなかった。仕方なく腕を伸ばして、サイドボードに置いていた布をひっつかむ。
「平気です、これぐらい・・・・」
「私が平気じゃないの!」
両手でエンリケの頬をつかんで、頭を上向かせてから、顔を汚した泥水に布を当てる。
「ごめんなさい、目に入ってないかしら?」
「だ、大丈夫ですよ」
エンリケははにかむ。笑うと、大人の顔立ちが少し子供っぽく見えた。
顔が近いことに気づいて、私は手を放す。エンリケは俯いてしまった。
「俺は本当に大丈夫ですから・・・・ルーナティア様も今だけは、あなたの中にいるじゃじゃ馬を大人しくさせてください」
「じゃじゃ馬? 失礼ね、みんな私のことを、控えめで思慮深いと言うのよ。そんな私のどこが、じゃじゃ馬なのかしら?」
「脱走の前科とトリエル村でのこと、そして今回、野菜泥棒を見るなり、裸足で外に飛び出していった勇猛さを踏まえると、じゃじゃ馬という言葉すらもまだ穏やかな評価かと」
「あなたはいつまで、私の脱走の件をいじるつもり!?」
私が目くじらを立てれば立てるほど、エンリケの笑みは深くなる。完全に遊ばれていると気づき、私はいったん口をつぐんで、言葉を選んだ。
「・・・・私のことはともかく、あなたももう少し、自分が王弟で、騎士団長だということに、自覚を持つべきだと思うの」
「もちろん、それなりに自覚はありますよ。ですが今は公人ではなく、私人としてここにいますから」
のらりくらりと、エンリケは言い逃れる。
「ああ言えばこう言う・・・・」
「あなたとのこういう掛け合いも、楽しいものです」
「・・・・お手上げよ。あなたには勝てないわ、エンリケ」
言い負かせる気がしなくて、私は両手を上げ、降参のポーズを取った。
「でも、いいわ。いずれあなたが結婚したら、奥さんがあなたのそういう面を直してくれるでしょうから」
「・・・・・・・・」
泥が落ちたので、エンリケは私の足を拭いてくれた。それから、傷だらけになった足裏に手を当てる。
すると、手の平が仄かに光り、足裏の痛みが和らいでいった。
「これが治癒術・・・・」
「傷が塞がったようです。まだ痛みは残っていますか?」
「もう痛みは感じないわ。本当にありがとう、エンリケ」
エンリケの手が離れたので、私は立ち上がる。
もう床に足をつけても、ひび割れのような痛みは感じなかった。
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