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75_エレウシス修道院_前半
しおりを挟む私達が身を寄せるエレウシス修道院は、険しい山並みと、なだらかな草原地帯の間にある。
大自然の壮大な景色に挟まれた、歴史ある修道院なのに、外観に華やかさがなく、主要な都市からも離れているせいか、旅人すらもここには立ち寄らない。
歴史から忘れ去られた建物だ。おそらく国内でも、この修道院の名前を知る人はほとんどいないだろう。それほど私達が暮らすこの修道院の規模は小さく、辺鄙な場所にあった。
だけど数日前、この修道院が、ブランデで話題になったらしい。
――――王妃の位を剥奪された女性が、この修道院に入ることになったからだ。
「みなさんももう耳にしていると思いますが、諸々の事情により、王妃を務められていたルーナティア様が、このたび、この修道院にいらっしゃることになりました」
ある朝、エレウシス修道院の修道女達を集め、修道長様はそう言った。
(やっぱり、ここに来ることになったのね・・・・)
この修道院はずっと前から、様々な事情で家にいられなくなった高貴な女性の駆け込み寺になっている。数年前にも、身分の高い女性が親族に連れてこられたことがあった。
だから私達は、国王と王妃が離婚すると聞いて、もしかしたらルーナティア様も、ここに送られてくるのでは、と危惧していた。
――――その危惧が、現実になってしまったようだ。
(諸々の事情・・・・ね)
国王夫妻が不仲だったことや、離婚までの経緯は、醜聞という色合いが強いせいか、修道長様はあえて濁したようだ。
だけどブランデを賑わしている〝醜聞〟は、行商を通じて、この地域にも流れてきているため、私達はすでに内容を知っている。
「・・・・今まで、大きな屋敷で暮らしてきた方なので、ここでは色々と不便に感じることもあるでしょう。ですが、皆さんの助けがあれば、苦難を乗り越えられるはず。支えてあげてください」
「力を尽くします」
私達は声をそろえて、そう言った。私達の答えに満足して、修道長様は頬を緩める。
「ありがとう。教えに従い、善意の心を忘れないみなさんには、神のご加護があるでしょう。それでは、一日の務めに取りかかってください」
修道長様は身を翻し、奥に入っていった。
「修道長様」
私は、修道長様を追いかける。修道長様は足を止めてくれた。
「ああ、アイリーン。何かしら?」
「ルーナティア様は、いつ到着されるんですか?」
「昨晩にはすでにブランデを発たれたと聞いているから、今日中には到着するでしょう。笑顔でお出迎えしてね」
「もちろんです・・・・」
「王妃まで務められた、とても高貴なお方よ。・・・・くれぐれも、接し方には注意してちょうだい」
「はい・・・・」
それを聞いて、私は憂鬱な気持ちになる。
高貴な方々が、ここに来ることになった理由は様々だ。夫に離縁された、問題を起こして家から追い出された、位が高い男性に付きまとわれた、などなど、それぞれの事情で、彼女達はここに追いやられてくる。
――――だけど貴族階級の生まれであるという自負を持っている方々にとって、ここの貧しい生活は耐えがたいもののようだった。
修道院では、少しでも貧しい食卓を豊かにするために、裏手に小さな畑を作り、野菜を自作している。
ここに来た以上、身分に関係なく全員に、その作業を手伝ってもらうことになるけれど、大勢の使用人に囲まれて暮らしてきた女性達は、土作業を嫌がった。
自分の落ち度が原因ならともかく、やむにやまれぬ事情で逃げてきた人もいるので、世捨て人として、修道院で暮らさなければならないという事実が受け入れ難かったのだろうと思う。
だから彼女達は、修道長様がおっしゃることや、この修道院の方針に反発ばかりする。彼女達を取りまく不幸な環境のこともあって、私達も強くは言えずに、毎回扱いには苦慮していた。
(・・・・しかも、元王妃、だなんて・・・・)
今回、この修道院にやってくるのは、今までお迎えした中で、最も立派な肩書を持つ女性だ。だから今まで以上に、慎重に接しなければならない。
先行きを思うと憂鬱になり、溜息をつかずにはいられなかった。
「国王夫妻が離婚だなんて・・・・原因は何だったのでしょう?」
「巷では、ルーナティア様は王妃の器ではなかったと囁かれてるわ。結婚式の夜に、城を抜け出しているものね。・・・・だけど、ここだけの話」
修道長様の声は小さくなった。私は聞き逃さないよう、耳を近づける。
「・・・・陛下には愛人がいたそうよ。その方が王妃になることを望んだんだとか。それでルーナティア様の存在が邪魔になったのね」
「まあ、なんてこと・・・・ではなぜ、ルーナティア様のほうが悪いという噂が流れてるんですか?」
「国王の名誉を、貶めるわけにはいかないでしょう? おそらく誰かが意図的に、ルーナティア様の悪評を流しているんだと思うわ。そうすれば、今回の離婚はルーナティア様のせいで起こったことになり、陛下に落ち度がないことにできるから」
「・・・・・・・・」
可哀想なお方だ。国王の不貞によって王妃の座を奪われた上に、名前に悪評という泥まで塗られてしまうなんて。
「今の話は他言無用よ。現国王のエセキアス陛下は狭量なお方、些細な悪口すら許さない方だと聞いているわ。私がこんなことを言っていたと、陛下の耳に入ったら・・・・」
「ええ、わかってます。他言はしません」
修道長様の表情が、和らいだ。
「あなたは口が堅いから、口止めなんて無用だったわね。・・・・とにかく、ルーナティア様をお出迎えしたら、粗相をしないように気を付けてね」
「はい」
私は表情を引きしめる。
そんな私を見て、修道長様は柔らかな微笑を浮かべた。
「気を付けてとは言ったけれど、そこまで気負う必要はないわよ。おそらくルーナティア様がここに留まるのは、少しの間だけでしょう。ほとぼりが冷めたら、リーベラ家に戻るはず」
ここに送られたからといって、誰もが修道女になるわけじゃない。ほとんどの人はほとぼりが冷めるまでの間、ここに身を寄せるだけだ。
だから国王夫妻の離婚にまつわる噂が、人々の口の端に上らなくなり、新たな王妃が城に馴染んだあたりで、ルーナティア様も実家に帰るはず。
「最近出没している魔物や、野菜泥棒の件もあるわ。ルーナティア様には、夜に出歩かないように、注意しておかないとね」
――――最近、この付近では魔物の目撃情報が相次いでいる。以前は狼すら出没しない平和な土地だったのに、魔王オディウムが討伐された影響なのか、どこかから魔物が流れてきたようだ。
それだけでも頭が痛い問題なのに、同時進行で私達は、裏手の畑を勝手に掘り起こされるという被害にも遭っている。
犯人は深夜、盗みを働いているようだ。見回りもしているのに、それでも被害を食い止められないことから、かなり逃げ足の速い人物の犯行だろうと考えられている。
獣の仕業だと考えたがる修道女もいたけれど、畑には明らかに、人の手によって掘り起こされた痕跡が残っていた。
ただ、魔物はともかくとして、野菜泥棒は奇妙だった。この辺りには村も人家すらないから、犯人は遠くからやってきたと考えるのが妥当だけれど、わざわざ野菜だけを盗むために、こんな辺境までやってくるだろうか。
そもそもこの場所に修道院があることすら、知らない人がほとんどなのに、すべてが奇妙だった。
「魔物だけでも頭が痛いのに、野菜泥棒なんて・・・・まったく不届きな」
煩悶を表すように、修道長様の眉間には、深い皺が刻まれていた。
「出没している魔物が、野菜を盗んでいったという説もありますが・・・・」
「そんなわけないでしょう。健康を気にして野菜を食べる魔物なんて、聞いたことがないわ」
「ですよね」
健康に気を使って野菜を食べる魔物どころか、健康に気を使う魔物自体が想像できない。
「魔物には、どのように対処しましょう」
「ブランデに人を送って、魔物を討伐してほしいという嘆願書を届けてもらったわ。近いうちに、派兵してくださるでしょう」
「そうですか、よかった・・・・」
「粗暴な方じゃなければいいわね。前回、獣の討伐に着てくださった方は、銀食器を持ち去ってしまったから」
国軍の兵士と言えども素行が悪い人は混じっているらしく、前回、獣の討伐のためにやってきた人は、謝礼金を名目に、強引に銀食器を持ち去るという、窃盗まがいのことを仕出かした。
以来、私達は国軍の兵士と言えども、信用しないことにしている。
「まあ、そこまで不安に思わなくても、大丈夫よ。この修道院には結界が張られてるから、魔物も中までは入ってこられないわ」
建設当時に、この修道院の土台には、魔物除けの結界が編み込まれた。
だから魔物に接近されても、建物の中に逃げ込みさえすれば、追跡を振り切ることができるはず――――だけれど、なにぶん古い建物だ。今でも結界が作動するかどうか、保証はない。
「・・・・とはいえ、古い結界です」
「ええ、確かにそうね。早く魔物を討伐してもらうに越したことはないわ。用心しながら、助けを待ちましょう」
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