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67_絆
しおりを挟む「・・・・決めたのなら、さっさと消えろ」
ムスクルスは吐き捨てる。
「言われなくても、そうするわ。・・・・だけど一つ、こちらからも要求がある」
ムスクルスの顔に浮かんだ、警戒の濃度が濃くなる。
「――――私についてくるという人がいるのなら、私が連れていく。手出しはしないで」
その言葉を放つのに、大きな勇気を必要とした。
「いいだろう。・・・・脅されて簡単に城を明け渡すような軟弱野郎に、ついていく奴がいるとは思えねえがな」
「・・・・・・・・」
ムスクルスの表情から嘲笑の色を読み取り、胸がずきりと痛んだ。
ムスクルスは、城さえ奪えば、私には何も残らないと思っている。
そしてそれは事実だ。
私には、オディウムやムスクルスのような、岩を砕く腕力も、頑健な身体もないし、実家の後押しもない。その上、拠点まで失う。
――――こんな私に、ついてきてくれる人はいるだろうか。
「お前ら!」
ムスクルスが声を弾けさせて、一同に呼びかけた。
「今すぐ俺につくか、それともこの女につくのかを選べ! この女を選ぶなら、こいつと一緒に出ていけ!」
ムスクルスの声は衝撃波のようで、肌がひくついた。
誰も、何も言わなかった。困惑の眼差しが、交錯する。
みんなのそんな反応を見てから、ムスクルスは私に目を戻し、勝ち誇ったように笑う。
「さあ、行けよ」
「・・・・・・・・」
私は動き出す。
「――――」
後ろに、誰かがついてくる気配があった。
ハッとして、後ろを振り返る。
――――リュシアンやゴンサロ、テルセロや、その他大勢の亜人達が、私の後ろに続いてくれていた。
「リュシアン・・・・」
リュシアンと目が合うと、彼はにこりと笑う。
「俺がボスって決めたのはあんただから、一緒に行くよ。それによく考えたら、確かにボスの言う通り、俺達には城なんて必要ないよな」
その言葉に、私は泣きそうになっていた。
どの場所でも、幽霊のように存在感がない私が、ここでも居場所を失うかもしれないと、怯えていた。
だけどリュシアン達のおかげで、私は自信を取り戻す。私自身が、自分で示した道を信じなければ、とあらためて思わされた。
「俺も、城なんて必要ないと思う!」
そう言ったのは、テルセロだ。
「だってここ、めちゃくちゃ寒いんだよな。温かいところに行くなら、ボスについていくよ」
「そんな理由!?」
温かい場所に行きたい。そんな避寒地に行くような理由に、せっかくの感動が粉微塵になってしまった。
「お前、そんだけデブなのに、寒がりなのかよ! その太鼓腹についてる皮下脂肪は飾りなのか!?」
「うるせえ! デブがみんな暑がりとか思ってんじゃねえぞ!」
ゴンサロとテルセロは別の話題で口喧嘩をはじめてしまった。
二人のやりとりを聞いて、リュシアン達はお腹を抱えて笑う。
「てめえら・・・・」
一方ムスクルスは、リュシアン達の決断に、こぶしが震えるほど激怒していた。
「マジで信じらんねえ・・・・城も何も持っていない、ひ弱な女についていくつもりなのか!?」
魔王軍の城も兵も、すべて取り戻せるという打算が崩れて、ムスクルスの怒りは今、リュシアン達に向かっていた。
「さっきも言った通り、俺はボスを信じてるんだ。ここにいる連中は、みんなそうさ。行こう、ボス」
「うん!」
心が弾む。私はうながされるまま、羽のように軽くなった足を前に出そうとした。
――――だけど私達の進路は、再びムスクルスに塞がれる。
「止まれ」
ムスクルスの切れ長の両眼に見据えられ、私達は息を呑む。喜びは弾け散り、緊張が手足を痺れさせる。
「・・・・どういうつもり? 私についてくる人がいるなら好きにすればいいって、さっき許可したばかりじゃない!」
「気が変わった。――――リュシアン達は置いていけ」
ムスクルスの両肩には力がみなぎり、瞳は敵意を放っている。
「はああ? 何言ってやがるんだ? 俺達は自分の意思で――――」
「お前らは、オディウム様の所有物の駒だった。だったら俺が引き継ぐべきだ」
「所有物だと・・・・?」
リュシアン達のこめかみや額に、青筋が浮かび上がった。
「・・・・ふざけんなよ。呪いを解くという目的が一致してたから、オディウム様に従ったけど、物に成り下がったつもりはない。あくまでも、自分の意思で選んだんだ」
押し殺したリュシアンの低い声は、怒りで波打っている。リュシアンがこれほど怒っているところを見たのは、はじめてかもしれない。
「・・・・自分達の意思だと? 物は言いようだな。魔王軍以外に、てめえらを受け入れてくれる場所が、どこにある? その見た目で、人間達の群れに戻れるとでも?」
「・・・・・・・・」
反論できなかったのか、リュシアンは歯軋りの音が聞こえるほど、奥歯を強く噛みしめている。
確かにリュシアン達には、魔王軍以外に、居場所がなかったのかもしれない。――――でも彼らは、状況を打開しようと、立ち上がった。
なのに、そんな彼らを〝所有物〟と言い切るなんて。怒りで、こぶしが震えた。
「てめえらははじめから、オディウム様の駒だった。俺はそのやり方を踏襲するだけ、今さら、俺達にも意思があるとか、ほざくんじゃねえよ。てめえらは最初から、その程度の存在だったんだ」
「黙って」
聞くに堪えなくなって、私はムスクルスを睨む。
ムスクルスも不快そうに、私を睨み返してきた。
「黙るのはてめえだ、女」
「いや、黙るのはあんただ、ムスクルス」
リュシアンがもう一度、口を開く。
「・・・・確かにあんたの言う通りだ。俺達は他に行き場がなかったから、捨て駒として使われることを承知で、魔王軍に入った。呪いさえ解ければ、自由になれると思ってたから」
「・・・・・・・・」
「でも、オディウム様はエンリケ・カルデロンに負けた。そして、ルーナティアが俺達のボスになったんだ。ルーナティアは俺達を物扱いしないし、呪いを解くための道筋を、ちゃんと示してくれている。俺達のことを理解しようと努力してくれて、この冷たい場所を温かくしてくれた。俺達はもう、駒扱いはごめんだ。・・・・だから、ルーナティアについていく」
リュシアンの声からは、確かな覚悟が感じられた。
「――――邪魔するなら、容赦しない」
「・・・・へえ? どうするつもりだ?」
ムスクルスは嘲笑しながら、前に出てくる。その動きに合わせて、鳥が羽を広げるように、ムスクルスの部下達が彼の左右に広がった。
ゴンサロ達も私やリュシアンを中心に、横に並ぶ。
――――一触即発の空気に、時間が止まったような錯覚を覚えた。
どちらかが動けば、戦いがはじまる。そして戦えば、能力に大きな差がないのだから、互いに大きな被害を与えることになるだろう。
リュシアン達と、ムスクルスの手下が同時に動き出そうとする。
――――ぶつかり合ったら、双方、大打撃を受けることになるだろう。
頭の中で、光の明滅とともに、警鐘が打ち鳴らされた。
「やめて!」
自分の声とは思えない大きな声が、口から飛び出していた。
金縛りの魔法をかけられたように、集っていた全員が、ぴたりと動きを止める。
「私達の敵は、エセキアスなのよ! なのに仲間割れをして、内側から弱体化させるつもりなの!?」
「だったら、魔王軍の指揮権を俺に譲って、さっさと消えろ」
「それはできない。それにリュシアン達は道具じゃないわ! どこの組織に入るか、誰についていくのかを、自分で選ぶ権利がある!」
怒りで恐怖が吹き飛んで、私は一歩、前に出ていた。
「あなた達がリュシアン達を道具扱いして、意思を踏みにじるなら、私達も全力で戦うしかない。でも、私はこんな無駄な戦いで、リュシアン達を怪我させたくないの。あなただって、こんな戦いで戦力を消耗させたくないでしょ? 指揮官を名乗るのなら、指揮官らしい選択をして!」
一歩も引かないという気迫を込めて、私はムスクルスを睨みつけた。
リュシアン達を怪我させたくないという思いから、屈辱を呑み込んで、一度は引き下がろうとした。
――――でもそのリュシアン達を人としてではなく、駒のように扱うのなら、今度は退くわけにはいかない。
リュシアン達がもう一度、私の前に出て、それぞれ、武器を構える。
「――――」
ふう、とムスクルスは、岩のように重たい息を吐き出した。
「・・・・わかった、行けよ」
リュシアン達の顔が、ぱっと明るくなる。
「行きましょう」
ムスクルスの考えが変わらないうちに、と、私は急いで、動き出す。
一度交わした約束を、あっさり反故にするような人だ。横を抜けようとしたところで、また不意打ちを食らう可能性は否めなかったから、私達は警戒したまま、ムスクルス達の横を通り抜ける。
――――だけど、杞憂に終わった。ムスクルス達が、攻撃を仕掛けてくることはなかったのだ。
「急ぎましょう」
私達は駆け足で、暗い通路を駆け抜け、城の外に出る。
白煙の霧の中に身を投じてから、リュシアン達は一度、足を止め、湖の底に佇んでいる、魔王城のほうを振り返った。
どんな理由であれ、リュシアン達は一度、あの城が自分達の居場所だと決めた。自分達の意思で、去ることを決めたけれど、複雑な気持ちは変わらないのだろう。
「・・・・行こう」
「ああ」
私がうながすと、リュシアン達は魔王城から視線を引きはがす。
それからは一度も振り返らず、私達は走り続けた。
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