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62_冷えきった父娘
しおりを挟む「――――お前と陛下の離婚が、正式に決まったぞ」
ある日の早朝、城の私の部屋を訪ねるなり、私の父、レイモンド・リーベラは挨拶もそこそこに、そう言った。
「・・・・そうですか」
窓辺の日差しの揺らめきを見つめながら、私はそう呟く。
窓の外には、目が痛くなるような青空が広がっている。それに比べて、室内の、黒雲のような、この鬱々とした空気はどうだろう。
こんな快晴の日に、憂鬱な一報を聞かなければならないなんて、と、私は天気すら恨めしくなる心地だった。
「・・・・お前がリーベラ家の娘として、務めをまっとうできなかったことを、残念に思う」
「・・・・・・・・」
打ちのめされている娘にたいして、その言い草はひどすぎる。表情や声が怒りではなく、失望で湿っているから余計に、そう感じられた。
(・・・・こういう時、思い知るわね)
――――私達の間に、もう親子の絆は存在しないことを、思い知る。
昔からお父様は、お母様と私には冷たかった。
結婚前から、お父様には恋人がいた。けれど相手の女性は、リーベラ家の当主になる人と娶せるには、身分が低かったらしい。二人は結婚を諦め、お父様は政略婚でお母様と結ばれることになる。
けれど恋人だった女性は、愛人という地位に収まり関係が続いたため、結局お父様の心がお母様に傾くことはなかった。
そして病気でお母様が倒れ、亡くなると、待っていたとばかりに、愛人だった女性と結婚した。――――それが、エレアノールの母親だ。
お母様の存命中は、エレアノールの母親との関係を巡り、二人はずいぶんと揉めたようだ。修復しようがないほどこじれたため、お母様が亡くなる数年前に、お父様は家を出ていった。
――――お前は、あの女に似てるな。
一度お父様から、そう言われたことがある。
お父様はいつからか、お母様のことを名前で呼ばず、あの女と呼ぶようになった。そしてお母様を疎んでいたように、母の面影が残る私のことも、疎むようになっていた。
エセキアスの気性と、彼がエレアノールを望んでいることを知りながら、結婚相手にエレアノールではなく、私を選んだのも、私がその程度の存在でしかなかったからだ。
「・・・・お前はここを出ることになるが、町は国王夫妻の離婚の噂でもちきりだ、実家に戻ることは避けたほうがいいだろう」
お父様は投げやりな口調で、そう言った。
もともとお父様は私に関心が薄かったけれど、離婚という結末を迎えたことで、残りわずかな関心すら失せてしまったようだ。離婚を告げるというこの役割も、面倒に思っていることを隠そうともしていない。
「お前が隠遁できる修道院は、もう探してある。しばらくは、そこに隠れていなさい」
「・・・・はい」
だけどお父様にたいして関心がないというのは、私も同じだ。
愛されたいと願っていた時期もあるけれど、お父様の氷のような心に触れるたびに、望みは儚く消えていって、今はどんな期待も残っていない。目の前にいる人を、他人よりも遠い存在だと感じている。
――――だから、用件が終わった今、私もこの無為な会話を、一刻も早く終わらせたいと思っていた。
「妃殿下、お客人が面会を求めています」
その時、侍女の声が扉越しに聞こえた。
「入って」
許可を得て、部屋に入ってきた侍女は私と父に向かって深く頭を下げた。
「誰かしら?」
「カルデロン卿です」
「殿下が?」
気怠そうだったお父様の顔が、さっと引きしまった。
「殿下を待たせるわけにはいかない。お通ししろ」
「かしこまりました」
侍女は下がり、エンリケを連れて戻ってきた。
「おはようございます、妃殿下」
「エンリケ・・・・」
お父様と二人きりで息苦しかったから、エンリケの顔を見られて、私は安堵する。
「お久しぶりです、殿下」
お父様は満面の笑顔で、エンリケに向かって、恭しく一礼した。
(私にたいする態度とは、全然違うのね・・・・)
投げやりな態度はどこへやら、無表情だった顔に、今は完璧な笑顔が浮かんでいた。
昔から、裏表がある人だった。夫婦仲が悪くても、人前では愛妻家のように振舞い、私のことも可愛がっている振りをしていた。貴族らしいと言えばそうなるのかもしれないけれど、私はこの豹変ぶりが好きじゃない。
「・・・・ええ、お久しぶりです、リーベラ卿」
エンリケの声の低さに、ぎょっとした。
私に挨拶してくれた時の優しい声とは、明らかに声音が違う。
実際に観察してみると、二人の間には確かに、緊迫した空気が流れている。その静電気のような空気に触れ、私まで緊張してしまった。
(エンリケとお父様の関係は、よかったはずなのに・・・・)
お父様はエセキアスを補佐する一方、エンリケとも親交を深めてきたと聞いている。もともとエンリケの母親とエレアノールの母親が親しかったこともあり、親族のような付き合いをしていると聞いていた。
――――なのに、この空気はなぜなのだろう。
(・・・・もしかして、婚約が駄目になりそうだから、気まずいのかしら?)
エンリケは、エレアノールとの結婚を回避しようとしていた。その後の進捗は聞いていないけれど、お父様がその気配を感じて、二人の関係がこじれた可能性はある。
(お父様からすれば、自慢の愛娘の求婚を断るなんて、失礼なことだものね。エンリケに怒っている可能性もあるけど・・・・)
だけど、不思議だ。たとえ婚約破棄の件で怒っているのだとしても、打算で動くお父様が国王の弟にたいして、怒りの感情を見せるだろうか。
「リーベラ卿が妃殿下を訪ねていらっしゃるのは、珍しいですね。妃殿下を訪ねている姿を見かけなかったので、お忙しいと思っていました」
「ええ、公務で忙しかったので・・・・」
「付き合いも多く、大変でしょう。アルセニオ卿とよく歓楽街に赴いているようですが、その時間をご家族のために使うことをお勧めします」
「で、殿下・・・・」
お父様は動揺し、肩を震わせている。
(・・・・違う。お父様が怒ってるんじゃない。エンリケがお父様に怒ってるんだ)
この空気の悪さは、婚約破棄のせいだと思っていたけれど、違うようだ。
明らかに、言葉に針を含んでいるのはエンリケのほうで、お父様はエンリケの態度に動揺している。最初は普段通りだったのに、今、お父様が狼狽えているということは、エンリケが怒っている理由に心当たりがないのだろう。
(どうしちゃったの? 今まで誰にも、こんな態度を取ったことはないのに・・・・)
エンリケは嫌いな相手、自分にたいして攻撃的な相手にすら、笑顔でそつなく対応し、決して自分の感情を見せなかった。階級が下でも、目上の人にたいして、こんなに失礼な物言いをしたことはない。
「もっとご家族を大切にすべきですよ。・・・・特に妃殿下は、王妃という大役を担っておいでです。ご家族の支えが必要でしょう」
「いえ、娘は王妃の務めを果たせず、陛下を失望させ、このたび見放されることになりました。私の教育不足でしょう。まことに、恥ずかしいかぎりです」
「・・・・・・・・」
――――もう何を言われても、傷つかない自信があった。
でもその言葉だけは、心を檻で囲っていても、防ぐことができなかった。私は歪んだ顔を隠すため、深く俯く。
「・・・・リーベラ卿」
エンリケの声が、今まで聞いたこともないほど冷たくなった。
ハッとして、エンリケの横顔を見上げる。
エンリケの鋭くなった目の中に、凍えるような色が見えた。
「・・・・なぜそんな物言いをするんですか?」
「・・・・で、殿下?」
「ここにいるのは私達だけですから、本音で語りましょう。・・・・リーベラ卿は今回の離婚の責任が誰にあるのか、本当はわかっているはずです」
エンリケの言葉に、ハッとした。お父様の動揺も強くなる。
「で、殿下・・・・それを言葉にすることは、許されません」
「陛下にたいする疑義を口にすることが許されないからといって、今回の件に置いて非がない妃殿下に責任をなすりつけるのですか?」
その言葉で、エンリケが私のことで怒ってくれているのだとわかった。
「る、ルーナティアは初夜の日に脱走するなど、問題を起こしました。それが陛下の心を離れさせる原因になったのでしょう」
「なぜ逃げ出さなければならなかったのか、陛下の粗暴さを知っているあなたなら、察しがついているはずですが」
「・・・・・・・・」
お父様は閉口し、項垂れてしまう。
「え、エンリケ!」
私は慌てて、エンリケの腕に手を置く。
「私なら大丈夫よ」
エンリケは私を見つめ、それから長い息を吐き出した。
エンリケの肩を支配していた怒気が消えて、お父様もようやく緊張を解くことができたようだった。
「申し訳ありません。・・・・妃殿下に気まずい思いをさせるつもりはなかった」
「気にしないで」
エンリケがいつもの彼に戻ってくれたことに、安堵する。
「それよりも、私に何か用があったんでしょう?」
「式典の警備について、二、三、話し合いたいことがあります」
「大事な話し合いのようですな。私はこれで、失礼します」
不機嫌なエンリケから逃げたかったのか、話題が変わった隙に、お父様がそそくさと退室しようとする。
「・・・・お待ちください、リーベラ卿」
だけどエンリケは、お父様を逃がそうとしなかった。わずかに怯えを見せるお父様に、にっこりと笑いかける。
「入口までお見送りします」
「いえ、殿下を煩わせたくありません。それよりも、式典の警備について話し合うほうが重要でしょう」
「今すぐ決めなければならない案件ではないので、後日また、妃殿下を訪ねようと思います。妃殿下、後日、時間をいただけるでしょうか」
「え、ええ、もちろん・・・・」
「ありがとうございます。――――では行きましょう、リーベラ卿」
私に話しかける時とは、まるで違うトーンでお父様に声をかけてから、エンリケは先に部屋を出ていった。
お父様は戸惑いながら、エンリケの後を追いかけていった。
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