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61_油断してると火の玉を食らう
しおりを挟む「・・・・聞いたぞ、エンリケ」
エレアノールとの婚約を解消してから数日後、スクトゥム騎士団の兵舎に入るなり、エドアルドが話しかけてきた。
話しかけられて、気づく。
今日は兵舎がやけに静かだと思っていたら、なぜか離れた場所にいるベルナルド達が、心配そうな眼差しをこちらに向けていた。エドアルドですら、気遣わしそうに俺を見ている。
「どうしたんだ?」
問い返すと、エドアルドは呆れたような溜息を零して、俺の向かいに座る。
「・・・・婚約が破談になったんだろう?」
「ああ、その件か」
なぜ、エドアルド達が俺を心配しているのか、その理由がわかった。
エレアノールとの婚約が破談になったという話を耳にして、エドアルドは俺が気落ちしていると思い、心配してくれたようだ。
笑うことで、その懸念が杞憂であることを伝える。エドアルドには伝わったようだ。
「・・・・あまり気落ちしてないようだな」
「エレアノールとの結婚は望んでないって、話したじゃないか。エレアノールも理解してくれたから、円満に終わった」
「確かに言ってたが、破談は破談だ。きっと妙な噂を流される。悪く言われるのはお前のほうだぞ。リーベラ家のお嬢さんには悪い噂は一つもないが、お前にはすでに、散々な悪名が付きまとっているからな」
「気にしないさ。・・・・実際、俺が悪いんだ。むしろエレアノールについて悪い噂が流れないなら、満足だよ」
すでに破談の原因は、俺にあると知れ渡っているようだ。実際に破談の原因は俺にあるし、悪評がエレアノールのほうに向かわないのなら、何を言われても構わないと思っていた。
「エレアノールには、エセルスタンがいるから大丈夫だ。近いうちに、二人がブランデ中が羨ましがるような結婚式を挙げるだろう。そうすれば、エレアノールの悪い噂は払拭されるはず」
「・・・・その分、悪い風評がますますお前に向かうぞ。破談の原因はやっぱり、誠実さに欠ける国王の弟にあったんだ、ってな」
「構わないって言っただろ? それよりも、お前に相談したいことがあるんだ」
「相談?」
俺が兵舎の隅にあるテーブルに腰かけると、エドアルドは向かいに座った。
「実は、好きな人がいるんだ」
俺がそう言うと、エドアルドは目を瞬かせる。
「破談になったばかりだろう? ・・・・もしかして、今さら婚約を取り消したのは、その人のせいなのか?」
「・・・・それも理由の一つだ」
ルーナティア妃殿下と親しくならなければ、俺はエレアノールとの結婚を、王族の運命だと思い、受け入れていただろう。抵抗する気持ちが芽生えたきっかけは、確かに自分の想いに気づいたからだ。
「・・・・まったく、お前は・・・・」
エドアルドは呆れたらしく、大きな溜息を吐き出す。
だがあらためて俺の顔を見て、何か思うところがあったのか、不思議そうに眉を顰める。
「・・・・だが、お前にしては珍しい」
「何がだ?」
「好きな人ができたからといって、子供の頃から決められていた結婚に、抵抗するとは思わなかった。お前は遊び人の振りをしてるくせに、そういった大事な取り決めには、まわりの意見に従っていたからな」
「別に遊び人のふりをしてるわけじゃないぞ」
波風が立たない生き方を選んできたことは、事実だ。それが俺の処世術で、身を守る唯一の方法だった。
王族の男子ということで、不自由を強いられることに反発心がないわけじゃなかったが、大事な案件以外は、比較的自由にさせてもらえた。今までは、それで満足だった。
今回のことも、ルーナティア妃殿下のことがなければ、俺はまわりが望む選択をしたはず。
(・・・・だが、どうすべきか)
ルーナティア妃殿下は、今まで交流があった女性達とは、かなりタイプが違う。
今までは、向こうからアプローチされることが多かった。
だがルーナティア妃殿下は、俺のことを義弟で、スクトゥム騎士団の団長としか見ていないから、異性だと意識したこともないはずだ。
――――だから、彼女の答えが予想できない。
「破談にするのは大変だっただろう? そこまでするほどのことだったのか?」
「・・・・俺には、大事なことだったんだ」
今回の選択だけは、譲れなかった。
自分のためだけの選択だったが、エレアノールの吹っ切れた笑顔を見て、この選択が間違いじゃなかったと確信できた。
あのまま結婚していたら、夫婦になった後、俺はエレアノールを悩ませる伴侶になっていただろう。エレアノールを一心に思っているエセルスタンのほうが、愛し合える夫婦という、彼女の願いを叶えてやれるはずだ。
「まあ、いい。当人同士が納得していることが一番だ」
そう言って、エドアルドは身を乗り出す。
「それで、誰なんだ?」
「詳しいことは聞かないでくれ。ちょっと打ち明けにくい相手なんだ」
相手がルーナティア様だと、とても打ち明けられない。反対されることは目に見えている。
するとエドアルドの目が、疑うような色合いを帯びる。
「・・・・まさか、人妻じゃないだろうな?」
「もう違う」
まだ正式には、ルーナティア妃殿下とエセキアスの離婚は成立していないが、離婚することはもう確定事項なので、そう言っておいた。
「もう? 前は、誰かの奥さんだったってことか?」
「・・・・まあ、そんなところだ」
「おいおい・・・・」
エドアルドは前髪を掻き上げる。
「詳しいことは聞くなと言われた時から、薄々察していたが・・・・」
「頭を抱えるほどのことか? 今はもう、独り身なんだ」
「お前は自覚がないかもしれないが、一応国王の弟なんだぞ? それだけの大物だと、相手の経歴は重要になる。離婚か死別か知らないが、夫がいた女性が相手だと誰も納得しない」
「まわりの意見なんて関係ない」
「自分の立場を考えろ。・・・・しかし、女に慣れてるお前をたらし込むなんて、そうとうな手練れだな」
「そんなんじゃない。鈍感な人で、俺の気持ちになんてまったく気づいてないと思う」
そこでエドアルドは不思議そうに、目を瞬かせた。
「関係ないと思ってるなら、どうして強行しないんだ?」
「それがな・・・・」
エレアノールから聞いた話を思い出すと、頭痛を覚えた。
「どうも俺は、好きな相手に男が好きだと思われているようなんだ・・・・」
「――――」
幼馴染であるエドアルドとの友人関係は、もう二十年になる。
なのに今はじめて、エドアルドが絶句する瞬間を目撃した。
「な、なぜそんなことに・・・・」
「俺がお前とつるんでばかりだから、妙な噂が立ってるんだ」
「しかも噂の相手は、俺なのか!?」
エドアルドの声が裏返った。
エドアルドの態度から察するに、今までは対岸の火事を眺めているような感覚で、話を聞いていたようだ。だが思わぬ方向から、火の粉が飛んできて、動揺している。
「冗談じゃない、俺は女性が好きなんだ!」
「知ってるよ。俺だってそうだ」
「誰がそんな噂を流してるんだ!? 答えろ、エンリケ!」
エドアルドに胸倉をつかまれて、俺はがくがくと揺さぶられた。
遠巻きに俺達の様子を眺めていたベルナルド達は、俺達が喧嘩をはじめたと思ったのか、あたふたしている。
「落ち着け、俺は犯人は知らない」
「何てことだ・・・・」
よっぽどショックだったのか、エドアルドは深く俯くと、しばらく項垂れたままだった。
「・・・・お、おい。大丈夫か?」
「・・・・今すぐ、その噂を打ち消す方法を考えなければ」
暗い声で呟いて、エドアルドは顔を上げる。
「エンリケ、俺達の変な噂を掻き消すための方法を、何か考えろ」
「ちょっと待て。今は俺がお前に相談してたところだろ?」
「状況が変わったんだ。他人事だと思って微笑ましく聞いていたら、こっちに火の粉どころか、火の玉が飛んできたんだぞ! 重大な事実が発覚したのに、こんな時に人の恋愛相談なんて、悠長に聞いていられない!」
エドアルドが振り上げたこぶしを、テーブルに叩きつける。またベルナルド達が驚いて、目を白黒させていた。
「お、落ちつけ!」
それからしばらくの間、俺はエドアルドを宥めることに時間を費やすことになった。
「・・・・まったく」
数十分後、ようやく落ち着いたエドアルドは、苛立ちを感じる仕草で、前髪を掻き上げた。
「俺とお前に関する根も葉もない噂に比べれば、お前の悩みを解消する方法は単純明快だ。単刀直入に、異性が好きだと伝えればいい」
「・・・・それとなく伝えてみたが、反応を見るかぎり、嘘だと思ってるんだろう。俺が世間体を気にして、隠してると本気で信じ込んでいるんだ」
「そ、そうか・・・・」
簡単に否定するぐらいで間違いを認識してくれる人なら、俺もこんなに苦労していない。
「そ、それじゃ――――彼女の前で、好みの女性について、長々と語ってみたらどうだ? 話が長いと鬱陶しいと思われるかもしれないが、女性にたいする熱意は伝わるだろう」
「あの人なら、その話も偽装だと思うだろう」
「・・・・ずいぶんと思い込みが激しい人のようだな・・・・」
エドアルドは途方に暮れたのか、遠くを見る。
「だったら・・・・あまり推奨しないやり方だが、部屋に成人向けの本を隠して、それをわざと相手に発見させたらどうだ? 人間としての評価は間違いなく地に落ちるが、もう誰もお前を男好きだとは思わなくなるはず」
「いやそれも・・・・あの人ほど思い込みが強くなると、偽装のために勉強しているとしか思わなさそうだ」
「おい! そこまで思い込みが激しいと、もはや手の打ちようがないぞ!」
ついにはエドアルドも、匙を投げてしまった。
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