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60_決着をつける
しおりを挟む翌日、俺はリーベラ家の屋敷の客間で、エレアノールと向かい合っていた。
時刻は昼、町が賑わう時間帯なのに、なぜか今日だけは外は静かだった。二人きりになると、なぜ今日に限って、気まずい沈黙を埋めてくれる喧騒がないのかと、神様を恨みたくなる。
「・・・・それで、今日はどんなご用かしら、カルデロン卿」
テーブルを挟んで向かいにいるエレアノールの態度は、冷ややかだった。俺のことを見ようともせずに、視線を手元のカップに落としている。
「エレアノール、今日は俺と会ってくれて、感謝している」
「ようやくあなたが、逃げまわらずに来てくれたんだもの。会わないわけにはいかないじゃない」
言葉の棘が突き刺さってきて、俺は苦笑いするしかなかった。
――――エレアノールは相当怒っている様子だ。
だがそれも、俺が煮え切らない態度を続けた報いだ。もっと早くに、正面から、この問題に向き合っておくべきだった。
「それで――――」
カップをソーサーに戻してから、エレアノールはようやく、俺に目を向けた。
「ようやく、心が決まったのね?」
「ああ」
俺は姿勢を正した。
「――――エレアノール。俺は、君とは結婚できない」
ふう、とエレアノールは重たい息を吐き出す。
「・・・・わかってたわ。あなた、婚約が決まりそうだった時も、全然喜んでいなかったし、お父様が本格的に婚約の話を進めようとするたびに、話を逸らしていたもの」
「・・・・・・・・」
「・・・・お父様には、もう伝えたの?」
「ああ」
エレアノールと会う前に、彼女の父親の、レイモンド・リーベラに会い、結婚の意思がないことを伝えてきた。レイモンドは落胆していたものの、俺の考えが揺らがないと感じたのか、俺の決断を受け入れてくれた。
「・・・・理由を聞いていい?」
背筋を伸ばして、エレアノールは問いかけてくる。
「君は俺にとって、妹同然の存在だ。恋愛対象として見ることはできない」
「知ってるわ。でも、私達は貴族階級に生まれたのよ? 結婚を決めるのに、相手が好きかどうかなんて、二の次でしょう? あなたもそれが自分の運命だと受け入れていたから、まわりが私との婚約を勧めても、積極的に抵抗しなかったんじゃないの?」
さすが付き合いが長いだけあって、エレアノールは俺の本心をよく見抜いている。
俺とエレアノールの婚約は、今は亡き俺の父と、レイモンドの間で進められていた。父が死んだ後もその話は続いたが、貴族階級の結婚は家同士で決めるものだという諦めがあったから、俺ははっきりとは断らなかった。
「私は別に・・・・それでもいいと思ってたのよ。私のことを女性として見ていなくても、あなたは結婚すれば優しい夫になってくれただろうし、夫婦関係がよくなるために、努力してくれたと思う。それに・・・・」
エレアノールは言い淀む。
エレアノールは、俺が結婚を望んでいないことも、自分が恋愛対象として見られていないことも受け入れた上で、俺と結婚してくれるつもりだったようだ。――――結婚後に俺達の関係が、兄妹から夫婦に変わるかもしれないという、期待を込めて。
「――――何にしても、あなたが今さら話し合いに来たのは、気持ちに変化があったからでしょう?」
「・・・・・・・・」
ルーナティア妃殿下のことが好きだと気づかなければ、俺は予定通り、エレアノールと結婚していたかもしれない。――――それが自分の運命だと、疑うこともなく。
「・・・・好きな相手とは、うまくいかないものね」
またカップを持ち上げて、エレアノールはその表面に微苦笑を落とす。
「ずっと想い続けても、相手の心が手に入るとは限らないんだもの。好きな人に限って、想いが通い合わない。・・・・でも、いいわ。もうずっと前に、覚悟してたことだから」
「・・・・納得してくれるのか?」
この前、破談を持ち出した時は、エレアノールは俺の答えを拒絶した。今回も拒絶されると、覚悟してきたから、すんなりと受け入れられたことに少し拍子抜けしている。
「受け入れるしかないでしょう? ・・・・建国記念日に、別の女性を熱烈に見つめている姿を見せつけられたら、そりゃあね。あなたがあんな風に誰かを見つめるところ、はじめて見たわ」
「・・・・・・・・」
エレアノールはすでに、俺の〝想い人〟が誰なのか、気づいているようだ。建国記念日の俺の態度で、悟られてしまったようだ。
「私が抵抗してたのは、破談にはっきりとした理由がなかったからよ。でも今のあなたには、破談にする明確な理由がある。・・・・だけど本当に、うまくいかないものね」
エレアノールはカップにミルクを少し注ぎ、スプーンで乱暴に掻き混ぜる。俺は紅茶が波立つのを見て、カップの縁から零れるのでは、と心配になった。
「小さい頃からずっと振り向いてもらおうと努力してたのに、努力が実らなかったばかりか、ある日あなたはあっさり、出会ったばかりの人に心を奪われてるんだもの。しかもあなたの立場では、一番結ばれにくい人にね」
エレアノールの気持ちに気づきながら、気づいていないふりをしてきた俺には、耳が痛い話だった。
「・・・・妹のように思ってしまったんだ」
「あなたは繰り返しそう言うけれど、私達に本当に結ばれる可能性があったなら、もっと前に恋人同士になってたと思うわ。そうならなかったってことは、運命の相手じゃなかったってことよね。・・・・実際あなたは、出会ったばかりの、好きになっちゃいけない相手を好きになったんだから」
「・・・・・・・・」
ほろ苦い感情を微笑に変えて、エレアノールは一息つく。
「少なくとも、心が定まらずにふらふらしていた時よりは、ずっと気が楽になった。選択肢は少なくなったけれど、残りの道から自分が進みたいと思う道を選ぶことができるもの。――――でも、エンリケ」
カップを置いて、エレアノールは意地悪く笑う。
「諦めた私とは違って、まだ諦めていないあなたは、その想いの成就を望むなら、私以上に苦労しそうね」
「・・・・・・・・」
「きっとあなたの〝想い人〟は、あなたが別の人を好きだと思い込んでいるはずよ。だから、アプローチしても気づかないと忠告しておくわ」
「俺が、君を好きだって思い込んでるってことか?」
それなら問題ないと、俺は余裕の態度でカップを持ち上げる。妃殿下には、婚約を取り消したいという相談を持ちかけているから、誤解は解けているはず。
「いいえ、きっとあなたが、アルフレド卿を好きだと思ってる」
「はあぁ!?」
声が裏返り、思わずカップを落としそうになってしまった。エレアノールはおかしそうに、くすくす笑う。
「あなたがアルフレド卿とつるんでばかりいるから、二人が恋人同士だっていう噂が広まってるのよ。この前、あなたの〝想い人〟と話をしたの。はっきりとは言わなかったけど、その噂をすっかり信じてるみたいだった」
「いやいやいや、待ってくれ!」
テーブルに手を突いて、前に身を乗り出した。
「一体、どこからそんな噂が出てきたんだ? 俺があいつとイチャついたことなんて、一度もないぞ」
「それが真実かどうかなんて、関係ない。人は信じたいことを信じるものよ」
「どの層が信じたがってるんだ!?」
――――意味がわからない。俺とエドアルドがそういう関係だったとして、誰が喜ぶのだろうか。
(もしかしてエレアノールとの婚約の話で相談を持ちかけた時、妃殿下がやたら男同士のキスを進めてきたのは、それが原因か?)
あの時の妃殿下の謎の話題誘導が、その根も葉もない噂が原因なら、噂を立てた人物を呪いたい気持ちになってくる。
「ふふ・・・・」
百面相のようになっていた俺の顔がおかしかったのか、エレアノールは笑った。
「まずは誤解を解くことね。そうでなくても、姉さんはかなり鈍いほうだったから、あなたが今まで相手にしてきたような女性達よりも、ずっと厄介よ。その上、あなた達の間には、障害が多くあるんだし」
ふう、とエレアノールは物憂げな溜息を吐き出す。
「・・・・あなたは姉さんが離婚すれば、自由の身になれると考えているかもしれないけど、そう簡単な話じゃないわ。元王妃なのよ。王妃じゃなくなっても、その称号は死ぬまで付きまとう」
「わかってる。・・・・そう単純ではないことは」
「元王妃に自由な恋愛ができないとは言えないけど、結婚は難しいと聞いてるわ。相手が平民でも、貴族でも関係ない。ましてあなたは、カルデロン家の家長よ。結婚相手は、経歴に傷がない女性じゃなきゃ、まわりが認めない。元王妃なんて――――猛反発されるわ」
「・・・・だろうな」
もし想いが成就しても、まわりが反対することは目に見えていた。元王妃で、おまけに俺の〝元義姉〟だ。まわりは複雑な関係を、これ以上複雑にすることを拒むだろう。
「まったく理不尽よね。妻に誠実じゃなかった陛下は、きっと離婚後、すぐに新しい妻を迎えることになるのに、苦労させられてきた姉さんのほうが、離婚後も自由に結婚できないなんて・・・・本当に理不尽よ!」
エレアノールは怒りをぶつけるように、カップの中を乱暴に掻き回した。俺はまた、紅茶が零れることを心配する。
「・・・・でも、あなたは諦めるつもりはないんでしょう?」
「ああ、諦めるつもりはない」
エレアノールの問いかけに、自然と答えが口から出ていた。
エレアノールはにこりと笑う。
「なら、よかったわ」
すっきりとした笑顔を見て、俺は安堵した。
「・・・・エレアノール。本当に――――」
「もう謝らないでよ」
エレアノールは笑顔を消して、眦を吊り上げる。
「私は前に進めてよかったと思ってる。だからあなたも、前に進んで」
「わかった・・・・ありがとう、エレアノール」
目を見て、俺達は笑いあった。
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