魔王になったけど、夫(国王)と義弟(騎士団長)が倒せない!

炭田おと

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59_制御できない感情

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「陛下!」


 ここでも、スカーレット・メルトネンシスが出張ってきた。エセキアスは妃殿下から離れ、スカーレットのもとへ歩き去る。



 一人残された妃殿下は、小さく息を吐く。唇の前で白く膨らんだ呼吸の形が、大気に溶けていった。


 その溜息は、エセキアスから離れられた安堵感から生じたものだろうか、それとも寂しさから生じたものだろうか。


 妃殿下の心がどこにあるのかが、なぜかとても気になった。



「妃殿下」

「エンリケ」


 俺が近づくと、妃殿下は笑顔になる。


「あなたも参加してたのね。とっくに帰っちゃったのかと思ってた」

「帰れませんよ。一応、警護を担当してますから」

「それもそうね。あなた、意外に真面目だもの」

「意外は余計です」


 妃殿下の横に並んで、エセキアスを見る。


 エセキアスはスカーレットとともに、台座の裏側に入り込んでいた。台座のおかげで民衆の目から隠れることができたエセキアスは、さっそくスカーレットの肩を抱いている。


「・・・・放っておいていいんですか?」

「・・・・・・・・」

「王妃はあなたです」

「今はまだ、ね」

「国王と言えども、公的な場で王妃の名誉を傷つけるようなことはするべきじゃない」

「いいのよ。むしろ、白々しい演技から解放されるのなら、それが一番よ」


 妃殿下の目の奥に、欠片も嫉妬が浮かんでいないことに、俺はなぜか安堵していた。


 寒いのに、妃殿下は毛皮のコートを脱ぎ捨ててしまう。


「着ていたほうがいいです。まだ寒いですよ」

「着ていたくないの」


 エセキアスから与えられたものなど、身に付けていたくないのだろうか。


 だが毛皮を脱ぐと、妃殿下の華奢な肩は寒さで震えていた。


 それを見て、自然と身体が動く。


「これを着てください」


 上着を脱いで、妃殿下の肩にかける。


「気にしないで。あなたが寒いでしょう?」

「さっき走りまわったので、身体が温まってます。むしろ、暑いぐらいですよ」

「・・・・ありがとう」


 妃殿下が上着の襟を寄せると、肩章と飾緒が揺れる。


 妃殿下のコートなら、侍女が持っているはず。


 だが、取りに行かなかったのは、彼女に俺のものだとわかるものを身に付けてもらいたかったからだ。なぜかわからないが、そんな衝動に駆られていた。


(・・・・いや、理由はわかってる)



 ――――俺は、ルーナティア様が好きなようだ。



 認めたくなかったが、こうなるともう、認めざるを得ない。自分の上着を着てほしいと思ったのも、くだらない独占欲が芽生えた結果だった。


 この感情は、厄介なものになる。――――わかっているのに、自分では止められない。


 エドアルドは俺のことを、自分の分がわかっていて、厄介なことは避けると評価した。俺自身も、自分のことをそう見ていた。


 なのに今は、たった一つの感情に振り回されて、自分の領分を越えようとしている。



(・・・・俺は何をやってるんだ・・・・)


 口からは自然と、長い息が零れた。



「どうしたの? エンリケ」


 俺の顔が暗いことに気づいたのか、妃殿下は不思議そうに見上げてくる。


「・・・・何でもありません。もう城に戻りましょう。風が冷えてきたので、身体に障ります」

「・・・・ええ、そうね」


 暗い表情だった妃殿下が、笑ってくれた。その笑顔を見ると、小さな幸福感を感じる。


 高いヒールを履いている妃殿下が転ばないよう、彼女の手を支えて、階段を下りた。


「きっと側近達が、文句を言っているでしょうね」


 階段を下りながら、ルーナティア様が自嘲的に呟く。


「彼らは、スカーレットが嫌いみたいだから。陛下の関心が彼女に向くことを、ひどく恐れてるみたい」

「虚言癖がある上に、詐欺で、大勢の人から金を巻き上げてきた女性です。警戒するのは当然でしょう」

「そうね。・・・・そんな人に、王妃の位を奪われそうになっているなんて、きっと不甲斐ないと噂されているわ。また、お小言を言われそうね」


 妃殿下の声は、さらに深く沈んでしまう。


 ――――夫婦仲がよくないことを、妃殿下のせいにする風潮は、前々からあった。


 脱走の件はともかくとして、それ以外に妃殿下に落ち度はない。むしろ離婚の原因の大半は、エセキアスにある。


 閣僚達にもそのことはわかっているはずだが、メルトネンシスという厄介な女性に、ずかずかと政治にまで介入されることに苛立ち、誰かに責任をなすりつけたいのだろう。


「・・・・ごめんなさい、愚痴っぽくなってたわ」


 申し訳ないと思ったのか、妃殿下は無理やり笑顔を浮かべた。


「今のは忘れて。あなたにまで嫌な思いを――――」


「妃殿下」


 遮って、妃殿下の目を真っ直ぐ見上げた。


「メルトネンシスの件で、誰かに何かを言われましたか?」

「え? えっと・・・・」


 妃殿下は素直な性格だから、とっさに嘘が出てこなかったようだ。


「もし今度、誰かに何かを言われたのなら、俺に教えてください」

「どうして?」

「俺が話をつけましょう。妃殿下にたいして、失礼な発言は看過できません」


 妃殿下は目を丸くする。


「そ、そこまでしなくていいのよ! それにあなたに、そんなことはさせられないわ」

「俺がそうしたいんです」


 強く言い切ると、妃殿下は何も言えなくなったのか、口を閉じる。


「・・・・誰が何と言おうと、俺があなたを守ります」


 声に出してみると、その言葉がすんなりと胸に染み込んだ。


 色々な役職を与えられながらも、自分が望んで得たものは一つもない。


 ずっと明確な目的もなく進んできた。――――でも今は、自分で選んだ目標がある。


「・・・・エンリケ」

「行きましょうか」


 止まっていた歩みを再開するため、妃殿下をうながした。妃殿下は戸惑いを残しつつ、階段を降りきる。



 馬車に乗り込む直前、背中に視線を感じて、振り返った。


 群衆の中にいたエレアノールと、目が合う。



 エレアノールはエセルスタンと一緒にいた。俺と目が合うと、問いかけるような眼差しを送ってくる。



(・・・・エレアノールに伝えないと)


 小細工をして、エレアノールやリーベラ家が結婚を断るように仕向けようとしたが、それこそエレアノールにたいする侮辱だと気づいた。


 ――――そんな小細工はせずに、俺自身の考えをきちんとエレアノールに伝えるべきだったのだ。


 その瞬間に、心が決まった。
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