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40_トリエル村
しおりを挟む藁ぶき屋根の粗末な家が並ぶ一角から、羊毛を仕上げる時に口ずさむ、仕事歌が流れてくる。
仕事歌を歌っているのは、野外にあるテーブルで作業している女性達だ。
「楽しそうな歌ね」
「村の女性達が、染色しているようです」
思わず呟くと、近くにいたエンリケが教えてくれた。
「染めているのは、麻かな? それとも、綿?」
「綿でしょう。少し前までは、麻などの目の粗い織物が一般的だったんですが、今は綿などの平織りが主流になっているそうですから。人々の服も、質が向上しているそうです」
「そうなの。知らなかったわ」
エンリケと話ながら、私は広大なロタリンギアの、美しい景色を眺めた。
地代の徴収と視察を兼ねて、エセキアスは近衛騎兵第三連隊を伴ない、ロタリンギア地方にあるトリエル村を訪れていた。
私もその旅に同行し、今、トリエル村の粗末な門の前に立っている。
地代とは、地主に支払う借地料のことだ。カーヌス神聖王国の土地の大半は王領なので、借地料はすべて、王族の財産となる。
地代は貨幣で支払われる場合もあれば、穀物や野菜で収められる場合もあるらしい。生きた鶏や山羊を貨幣の代わりとして連れてくる人も、少なくないそうだ。
地主側が徴収しに行く場合が一般的だけれど、土地によっては、住民が自ら地代を収めに来るところもあるらしい。
ここまでは、地代の徴収は問題なく進んでいた。
「・・・・そういえば、知ってますか、妃殿下。染色には、人間の尿も用いているそうですよ」
「え? ・・・・じゃ、この臭いは・・・・」
「尿の臭いですね」
「・・・・・・・・」
村内には、色々な異臭が漂っている。家畜の臭いだと思っていたけれど、それだけじゃないようだ。
「教えてくれて、ありがとう。・・・・いらない知識だけど」
「いえいえ」
「・・・・それで、あなたは私にその知識を教えて、どうしたかったの? もしかして女性にたいして、尿と言いたいだけの変態?」
「妃殿下。言いがかりをつけるのはやめてください。俺はたまたま知った雑学を、ドヤ顔で披露したかっただけです」
エンリケはそう言って、吐息を零す。
「・・・・まあ、人間の半分は変態だと言いますから、変態だと言われても、別に構いませんが」
「そう。なら、あなたが変態であるという事実は、私がみなに周知させておくわ」
「いや、それはやめてください」
焦るエンリケを置いて、私はトリエル村の門をくぐった。
「・・・・・・・・」
村人達が出迎えてくれたものの、彼らの顔に笑顔はなく、異様な空気が漂っていた。
(視線で殺されそう・・・・)
不信感、敵意、警戒心、嫌悪感――――村人達はありとあらゆる負の感情を、表情と視線だけで私達にぶつけてくる。
ここに来るまで、いくつもの村を巡ったけれど、どの村でも村人達は友好的に振舞ってくれた。もちろん、それは国王の使者にたいして不満を見せるわけにはいかないという裏事情があるからで、彼らの本心からは程遠い。
だけどそれが、貴族階級に対する平民の一般的な態度だ。国王の使者相手に、素直な感情をぶつけるほうが珍しい。
でも、トリエル村の村人達は違う。彼らははじめから、敵意を剥き出しにしていた。
村人達から睨まれて、私はいたたまれない気持ちだったけれど、近衛兵は近衛兵で、村人達の様子が気に入らないという態度を見せていた。
地代の回収のために設置した机に、帳簿係が腰かける。
「それでは、地代の徴収をはじめる。お前達、並べ!」
村人達は机の前に並んだ。
「・・・・収める地代は、穀物一袋と3ソリドゥス」
「たったそれだけか?」
「仕方ないだろ。今年は日照り続きで、不作だったんだ」
「・・・・まったく」
今年、この地域では雨があまり振らず、田畑は不作で、家畜を失った人達も多いと聞いている。実際ここに来るまでに、干上がり、荒れ果てた田畑を目撃した。
なのに彼らは例年と同じ額の、地代を求められている。他の国では平民の暮らしと天候を鑑みて、地代を免除することもあるそうだけれど、カーヌスでは王権が強すぎるため、国民にたいする配慮が一切ない。
止めたいけれど、私には発言権がない。苦しそうな人々を、見ていることしかできなかった。
「次の者!」
「収めるのは、豚と山羊が一匹づつだ」
淡々と地代が収められていく。
「なぜ、この村はこんなに汚いのだ?」
エセキアスは苛立ちを隠そうともしなかった。綺麗好きの彼には、この村のすべてが耐えられないらしい。
国王がここにいるのに、村人達は無反応だった。彼らは、エセキアスが国王だとは気づいていないのだ。
それも当然だろう、エセキアスがこの地方に来たのは、今日がはじめてなのだから。
(・・・・そんなに苛々するなら、ついてこなければよかったのに)
貧乏ゆすりをやめないエセキアスを見て、そんな風に思ってしまう。
エセキアスは今まで一度も、地代の徴収に参加したことはないらしい。地代の回収は末端の仕事なので、代々の国王達も一度も、徴収の旅には参加したことがないと聞いている。
今回だけ、エセキアスが徴収に同行したことには理由があった。
昔、トリエル村があるこのロタリンギア地方は、ロタリンギアという独立国家の土地だった。この地を収める国王がいたのに、カーヌスが軍事力で無理やり併呑したのだ。
そのため今でも、この地域では反体制思想が強く、ドラゴンレーベンの恐ろしさもあまり知れ渡っていないようで、カルデロンの支配に抵抗しようとする動きが活発だ。
つい最近も、エセキアスを中傷するビラが配られたそうだ。
それを見たエセキアスが激怒して、自分の威厳を見せつけると言い放ち、わざわざここまで足を運んだのだ。
(そして、この後悲劇が起こってしまう・・・・)
前世では、エセキアスは戴冠してから数年間は、大人しく良き国王を演じていたものの、徐々に狂暴な本性を見せるようになる。
そして私と結婚してから数か月後、彼は、決定的な事件を起こしてしまう。――――トリエルの嘆きと呼ばれる、最初の惨劇を引き起こすのだ。
何が惨劇の原因となったのか、詳しい経緯は知らないけれど、エセキアスはトリエル村の人々に向かって、ドラゴンレーベンの力を使ってしまうのだ。
そして雲を掻きわけて現れたドラゴンが、家屋ごと村人達をすべて、焼き殺してしまう。老若男女、区別なく、殺されたのだ。
――――それが、エセキアスが最初に行う、〝虐殺〟だった。
前世では、私は塔に閉じ籠っていたため、その惨劇の場に居合わせなかった。――――後日人伝に、トリエルの嘆きを聞くことになる。
(――――何としてでも、止めないと)
険悪な近衛兵と村人達の様子を見ながら、私は数日前の亜人達とのやりとりを思い出していた。
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