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39_運命の導き
しおりを挟む――――それから数日後、私はエンリケの忠告に背き、スカーレットという女性に会いに行った。
まだ空に薄明の名残が残る時刻、私は信頼できる侍女だけを連れ、馬車に乗って城を出ていた。
その赤い煉瓦壁の建物は、ブランデの町の片隅に、ひっそりと佇んでいた。
私はその建物の前で、馬車を下りる。フードで顔を隠したまま、入口に近づいた。
建物を見上げると、そこには灰色の壁に似つかわしくない、スカーレットの館というけばけばしい看板が掲げられていた。
タイミングよく、建物の中から女性が出てくる。
――――燃えるような赤、という言葉がぴったりと当て嵌まりそうな、鮮やかな赤髪が、最初に目に入った。
しかも彼女は、平民とは思えない、光沢がある豪華な赤のドレスに身を包んでいる。
原色に近い赤が好みなのか、髪色も赤、ドレスも赤、靴まで赤だから、まるで全身が炎に包まれているように見えた。
(すごく派手なドレスだわ・・・・)
その赤いドレスは、平民の質素な服とは違うものの、貴族のご令嬢が纏う高価なドレスとも、一線を画している。
貴族階級の女性には慎ましさが求められるため、華美すぎるデザインは忌避される。だけどスカーレットのドレスは、目立ちたいという気持ちを隠す気配がなく、これでもかというほど宝石とフリルで彩られていた。
「あなたが、高名な占い師様なのね」
声をかけると、彼女は私を一瞥した。
「誰なの? 一見さんの相手はしないわよ」
声は刺々しかった。
「相手が貴族でも?」
「貴族でもよ。・・・・私にはもう、お金持ちの常連さんが何人もいるんだから、一見さんの相手をする必要はないわ」
「――――なら、王妃なら?」
私がそう言うと、彼女はさらに目を見開いた。
「王妃・・・・? あなたが?」
私はフードを脱ぎ、彼女に笑いかけた。
※ ※ ※
頭上で、星々のように輝くシャンデリアが揺れている。
テーブルには、銀食器に盛られた料理がずらりと並び、マッシュルームとソースのいい匂いが漂っていた。
――――トレース男爵が開いた、舞踏会。モーニングコートを着た男性達と、彩り豊かなドレスをまとった女性達が、お喋りに興じている。
社交界が苦手な私だったけれど、その日は無理をして、エセキアスと一緒に出席していた。参加者と一通り挨拶を交わしたあと、私はエセキアスからそっと離れ、壁際に立つ。
舞踏会には、エンリケも参加していた。軽く挨拶をかわしたけれど、すぐに彼からは離れた。王妃という立場上、義弟であるエンリケとあまり親しすぎるというのも、よくない噂の種になると思ったからだ。
そして参加者がお喋りに花を咲かせ、盛り上がりはじめた頃、一人の女性が颯爽と入場してきた。
その瞬間、いい意味でも悪い意味でも、その場にいた全員が彼女に目を引きつけられていた。
その女性は、光沢がある緑の布地で作られた、ワンショルダーの、スカートが花弁のように大きく広がったドレスを纏っていた。胸元では、宝石が散りばめられた薔薇が、星座のように輝いている。
派手なドレスを纏い、颯爽と会場に乗り込んできたのは、言うまでもなくスカーレットだった。
彼女は、その派手な装いに眉を顰める人々を尻目に、堂々と会場の真ん中を横切っていった。後ろ暗いことは何一つないと言わんばかりに、胸を張って。
実際に、後ろ暗いことは何もない。彼女は正式に招待された、招待客の一人だった。
エセキアスに引き合わせるために、私がトレース男爵に頼んで、スカーレットにも招待状を送ってもらったのだ。
スカーレットに会いに行ったその日に、私は彼女に相談相手になってもらった。そして彼女の前で、夫に愛してもらえず、嘆き悲しむ王妃を演じた。
途方に暮れて、占い師に縋りに来た――――そういう設定だった。
スカーレットは私が王妃と知るなり、手の平を返して低姿勢になった。それから相談が終わるまでずっと、よき相談相手を演じていたけれど、私がエセキアスと不仲だということを強調するたびに、彼女の目が輝いていることには気づいていた。
――――占うには、まず陛下を見る必要があるわ。陛下に会えるよう、あなたが手を回してくださらない?
私の予想通り、話を聞き終えるなり、スカーレットは開口一番にそう言った。
スカーレットなら、きっと私を利用しようと目論むだろうと、はじめからわかっていた。冷えきった夫婦関係、妻に不満を持つ夫と、夫に愛されないと嘆く妻――――スカーレットが私達の間に入り込む隙は、たくさんある。
――――だから私は、その願いを叶えることにした。
(地味なドレスを選んでって言ったのに・・・・)
あまり派手な色は、エセキアスの好みじゃないだろうと思ったから、地味なドレスを選んでほしいと頼んでいた。確かにドレスの色だけは、私の注意に従い、暗めの緑を選んだようだ。
でも、地味なのは色だけだった。スカーレットは、今夜の主役になるつもりだということを、ドレスのデザインだけで表明している。悔しいことに、そのドレスはスカーレットによく似合っていた。
参加者達の興味津々の視線すら、彼女は楽しんで浴びている。流し目で、パートナーがいる男性すら魅了し、だけど実際に男性に声をかけられると、素っ気なく断っていた。
エセキアスも一目で、彼女に魅了されたようだ。
(・・・・うまくいったみたい)
きっと今、エセキアスは、運命の出会いだと感じているはず。
エンリケを見る。エンリケの表情は険しくて、睨むようにスカーレットを見ていた。
――――スカーレットとの距離が縮まると、エセキアスは自分から彼女に近づいていった。まるで磁石が引き合うように。
それを見届けて、私は一人、ベランダに出る。夜風はひんやりしていて心地よく、緊張で火照った身体を涼やかにしてくれた。
「よし!」
思わず、ガッツポーズをしてしまう。
――――うまくいった。これで私は、エセキアスと離婚できる。
私は手摺りに寄りかかり、雲の輪の中に浮かぶ月を見上げる。
月は、魔王城の玉座から見上げた天窓に似ていた。
「・・・・妃殿下」
「ひっ!」
突然声をかけられて、私は跳び上がりそうになる。
「・・・・放っておいていいんですか?」
エンリケが私の隣に立ち、手摺りに腕を置く。
エンリケの視線の先には、かなり近い距離で話しているエセキアスとスカーレットがいた。
「二人を引き離すなら、協力します。彼女は厄介ですよ。今のうちに遠ざけておかないと、妃殿下を害する存在になるかもしれません」
「・・・・うん、いいの」
私は笑いかけたけれど、エンリケは納得いかないという顔をしている。
「・・・・私は、王妃の器じゃない」
「もしかして、離婚を望んでるんですか?」
誰が聞き耳を立てているか、わからない。明言を避けて、私はただ、笑うだけに留めておいた。
「・・・・だけど、離婚すれば、あなたは――――」
エンリケは言い淀む。
離婚すれば、私はおそらく修道院に送られることになるだろう。
しかも、元王妃には再婚は許されない。
明確に、元王妃の再婚を禁じる法律があるわけじゃないけれど、カーヌスにはそういった風潮があった。実際に、王妃の座から追い落された女性達は、その後、心を通わせる男性が現れても、再婚をまわりに反対され、涙をのんで諦めたと聞いている。
「・・・・いいの。全部受け入れてる」
「・・・・・・・・」
横顔にエンリケの視線を感じたけれど、私は嘘をついているという罪悪感があったから、彼と目を合わす勇気がなかった。
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決意は固く、揺らぐことはないけれど、胸の底流では寒々しい風が吹いていた。
――――今の気持ちを、ここにいる誰にも、打ち明けることができない。そのことに耐えがたい寂しさを覚えている。
「・・・・!」
肩に、何かがかかった。
「寒いでしょう。それを着ていてください」
エンリケが、私の肩に上着をかけてくれたのだ。
「・・・・ありがとう」
言葉が尽きても、エンリケは一緒にいてくれた。
その優しさが、心に染みる。
騒がしさが消えるまで、私達は二人で月を見上げていた。
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