魔王になったけど、夫(国王)と義弟(騎士団長)が倒せない!

炭田おと

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30_英雄の悩み

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 薄明はくめいの時刻は過ぎ、空に満ちていく光が木漏れ日を生んで、その水溜り模様が下草の上で揺れていた。


「カルデロン卿! どこにいらっしゃるんですか?」


 女性達の声から逃げるため、俺は裏庭に入り、柱の陰に隠れる。


「ここにもいらっしゃらないようね・・・・」

「おかしいわね。お姿を見たと思ったのに・・・・」


 怪訝そうに首を傾げながら、ご令嬢達は去っていった。


 ご令嬢達の声が聞こえなくなると、裏庭は急に静かになる。



 口元から、吐息が零れ落ちた。


 偶然にも魔王討伐という大役を成し遂げてから、今日にいたるまで、まるで暴れ馬の背中にしがみ付いているような日々が続いた。

 顔も名前も知らなかった人達に頻繁に話しかけられるようになり、町に出れば、町人に取り囲まれ、武勇伝をねだられる。それまで俺の悪い噂を信じ、顔を突き合わせるたびに嫌味を言ってきた連中まで、あっさりと手の平を返したようだ。

 以前は、公的な行事に欠席することを見逃されていたのに、最近はしつこく出席を求められるようになった。


 最初は嬉しかったものの、時間が経つにつれて、煩わしさのほうが先に立つようになっていた。エドアルド達も同じ気持ちだったのか、近頃は逃げ回っているようだ。


 今も、話を聞きたがるご令嬢達から逃げてきたばかりだ。最近は色々な人から逃げ回ることに腐心し、気づけば人気がない場所で、一人で過ごすことが多くなっていた。


 俺を憂鬱にさせているのは、まわりの騒がしさだけじゃない。


(俺にばかり注目が集まるせいで、エセキアスはずっと不機嫌だしな・・・・)


 エセキアスは昔から、自分が主役じゃないと不機嫌になった。嫉妬心を向けられると厄介なことになるから、道化師のように振舞ってきたのに、英雄扱いされたことですっかり目の敵にされてしまったようだ。



 ――――それに。


(・・・・そろそろ、エレアノールとの婚約の話が、本格的に進められるだろうな)


 エレアノールとの婚約の話は、今までは正式なものではなく、両家の間でなんとなく話し合われた、仮婚約のようなものだった。


 だが、兄貴――――国王の結婚式が終わったのだ。

 重臣達は、次はカルデロン家の次男に身を固めさせようとして、エレアノールとの結婚の話を、本格的に進めるだろう。俺の父はもう故人だから、この婚約の話には、エレアノールの父の、レイモンド・リーベラ卿の意向が強く働いているようだ。


(・・・・気が進まない)


 幼い頃に一緒に過ごす時間が長かったせいか、今ではエレアノールは妹同然の存在で、結婚は考えられない相手になっていた。子供の頃にお友達感覚で手を握ったことはあったが、成人してからは手を握ったことすらない。


 だが、貴族階級の結婚は、家同士の意向で決まるという、お決まりの台詞を言われれば、黙るしかなかった。

 それとなく、結婚を望んでいないことを、リーベラ卿とエレアノールに伝えたこともある。エレアノールはサバサバした性格だから、俺の悪評を聞いて駄目だと感じたら、すぐにこの結婚を諦めると思っていた。



 ――――だが予想に反してエレアノールは、明確な理由がない破談を嫌がった。



「・・・・!」


 刃音が聞こえて、ぼんやりしていた意識が、一瞬で覚醒した。


 耳を澄ます。


(誰かが、素振りでもしてるのか?)


 音を聞くかぎり、誰かが素振りをしているように聞こえた。


 オレウム城の敷地内では抜刀が禁止されているため、剣の使用が許可されているのは、兵士の訓練場である広場と中庭だけだ。だから兵士が、裏庭で素振りをするはずがない。


「・・・・・・・・」


 俺は音の根元に、足を向ける。



「はっ! やっ!」


 裏庭の一角で、長い髪を結い上げた誰かが、素振りをしていた。


(危ないな・・・・)


 一目見て、俺は心配になる。


 剣を持つ手や足さばきが、いかにも素人だ。なのにその人物が持っているのは、素人向きじゃない、重そうな両手剣だ。しかも素振りにするには、この場所は狭すぎる。剣先が壁や木に引っかかったら、事故に繋がりかねなかった。


(なんでこんなところで剣を? 訓練場以外で剣を抜くことが禁止されてるって、知らないのか?)


 素人のような動きや、禁止事項を知らないところから察するに、その人物は正式な兵士ではないのだろう。


 その人物は華奢で、後ろ姿だけを見ると、女性に見えた。


(・・・・いや、女なのか?)


 長髪の男だと決めつけていたが、よく観察して、男装した女性なのだと気づく。


(ルーナティア妃殿下?)


 真剣な表情で素振りをしていたのは、ルーナティア妃殿下だった。


(どうして剣術の訓練をしている?)


 俺が知るかぎり、ルーナティア妃殿下は剣術や武術とは無縁の生活を送ってきたはずだ。なのになぜ唐突に、剣の訓練をはじめようと思ったのか。


 不思議に思ったが、妃殿下の真剣な横顔を見ているうちに、そんなことはどうでもよくなった。


「はっ!」


 腕力をつけるためなのか、妃殿下は手首に鉄の腕輪を嵌めている。そのことからも、彼女の覚悟が伝わってきた。どれぐらいの間、素振りを続けていたのかわからないが、横顔は汗に濡れている。



 ――――その横顔に、見入ってしまっていた。



「あっ・・・・!」


 だけどしばらくすると、俺の懸念が現実になる。


 妃殿下が剣を横に振るうと、剣刃が木の幹に突き刺さってしまったのだ。そして、抜けなくなったらしい。


「うう・・・・!」


 妃殿下は剣を引き抜こうと、柄を必死に引っ張った。だが剣刃がよほど深く食い込んでいるのか、なかなか抜けない。

 焦れたのか、妃殿下は木の幹に足をかけ、剣の柄に全体重をかける。


「危ない!」


 声をかけたが、もう遅かった。


「あっ・・・・!」


 剣刃を引き抜くことはできたものの、柄に全体重をかけたせいで、妃殿下は体勢を崩してしまう。そして、背中から倒れていった。


 俺は腕を伸ばし、妃殿下の身体を抱きとめた。その勢いで、片膝をつく。


「あ、危なかった・・・・」

 妃殿下の無事を確かめて、俺は一息ついた。


 妃殿下は腕の中で、目を丸くして固まっている。


「え、エンリケ! いつからここに・・・・!」

「少し前からです。立てますか?」

「え、ええ・・・・」


 俺の手を借りて立ち上がった後も、妃殿下はぼんやりしていた。


「あ、あの・・・・ありがとう」

「怪我がないようで、何よりです。だけど、危ないですよ。ここは素振りをするには、狭すぎます」


 妃殿下は青ざめ、俯いてしまった。

 俺は、妃殿下が落とした剣を拾う。


 鉄製の剣には、それなりの重さがある。俺はこの重さに慣れているから、腕の延長のように扱うことができるが、今までろくに剣を握ってこなかった人には、この重さはつらいだろう。


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