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18_義弟
しおりを挟む森の中を、駆け抜ける。
必死に手足を動かせば動かすほど、重たい霧が、蜘蛛の巣のように手足にまとわりついた。
さらには、尖った枝先や木の葉まで、私の行く手を遮る。そのせいで手足はすぐに傷だらけになった。
高い湿度と濃霧のせいか、手足が重くなっていくように錯覚し、走っているというよりも、泳いでいるような感覚に陥っていた。呼吸がスムーズにできなくて、苦しい。
「どっちに行った!?」
「向こうを捜せ!」
――――でも、立ち止まるわけにはいかない。背後には、魔王軍の追手が迫っているのだ。
(とにかく、森の外に出ないと!)
魔王軍にも、国王軍にも捕まるわけにはいかない。とにかく今は、全力で逃げなければ。
どれぐらいの間、走っただろうか。直感を頼りに方向を決めていたけれど、どこまで逃げても森は同じ景色ばかり見せてくるから、本当に出口に近づいているのか、不安になってきた。
「止まってください!」
突然目の前に、人影が飛び出してきた。
「・・・・!」
全力で走っていたから、すぐには立ち止まれなかった。人影は両腕を大きく広げて、私を抱きとめる。そして腕は閉じ、私は腕の中に閉じこめられた。
「放して!」
必死に暴れるけれど、腕はびくともしない。身体を持ち上げられ、地面から足が離れた。
「ルーナティア妃殿下! 俺は味方です。だから、落ち着いてください」
ハッとして、身体から力が抜ける。
暴れるのを止めると、その人は私を地面に降ろしてくれた。
足裏に感じる地面の感触にほっとしながら、私はのけぞるようにして、彼の顔を見上げる。
「あなたは――――」
「結婚式の夜に会いましたよね?」
私の脱走を手伝ってくれた赤毛の男性が、そこにいた。
「どうしてここに?」
「ルーナティア妃殿下を見つけたのか!?」
彼の背後から、軍服を着た男性達が現れる。
あっという間に、私達は軍服の男性達に取り囲まれた。
「ああ、見つけた。この通り」
「・・・・本当に、白煙の樹海にいたのか・・・・」
「あなた達、スクトゥム騎士団? もしかして、私の捜索のためにここへ?」
「ええ、そうです。団長が、妃殿下がここにいることを突き止めたんですよ」
「ご、ごめんなさい、こんな場所まで・・・・」
スクトゥム騎士団はやはり、私を捜索するためにここへ来たようだ。申し訳なくて、彼らの目を直視できない。
でもすぐに、今はそんなことを気にしている場合じゃないと気づいた。
「スクトゥム騎士団の団長は、カルデロン卿よね? 彼はどこにいるの? カルデロン卿に、伝えなければならないことがあるの」
スクトゥム騎士団の団長は、エセキアスの弟、エンリケ・カルデロンが務めているはず。カルデロン卿に、オディウムがここに迫っていることを伝えなければならない。
長身の男性達を見比べながら、誰が団長なのだろうと、私は考えた。いかにも紳士といった雰囲気の、金髪の男性だろうか。それとも体格がいい人達の中でも、目立つほど長身で筋肉質の男性だろうか。
「何を言ってるんですか、妃殿下」
私の言葉を聞いて、金髪の男性が笑った。
「あなたの義弟なら、目の前にいるじゃないですか」
「えっ」
私は正面にいる、赤毛の男性を見上げる。
「あらためて、自己紹介をしたいと思います」
赤毛の男性はにこりと笑うと、私の前に恭しく跪いた。
「――――あなたの義弟の、エンリケ・カルデロンと言います。以後、お見知りおきを」
赤毛の男性は、微笑する。私の呼吸は、数秒間止まっていた。
「エンリケ――――あなたが、私の義弟!?」
「ええ、そうです」
――――信じられない偶然だ。夫から逃げるために寝室を抜け出して、そこで義弟に見つかっていたなんて。
「か、カルデロン卿。この前は本当に、申し訳ないことを・・・・」
「エンリケで結構です、義姉上」
エセキアスと結婚した私は、彼からすると、義理の姉ということになる。頭ではわかっているものの、実弟がいないせいか、自分よりもずっと背の高い男性から、姉と呼ばれることに違和感を覚えた。
「しかし、カルデロン卿―――――」
「私にたいして、敬称や敬語は必要ありません。私は、あなたの臣下ですから、平語で話してください」
「わ、わかったわ・・・・」
「お初にお目にかかります、ルーナティア妃殿下。私はエドアルド・アルフレドと申す者です」
エンリケに続き、金髪の男性も自己紹介してくれた。
「先ほどの、礼を欠いた言動をお許しください。しかしながら、火急の事態ゆえ、今はゆっくりと話をすることができません」
「いいのよ、普通に話して」
「感謝します。・・・・では妃殿下に、お尋ねしたいことがあります」
アルフレド卿の声が低くなった。私は緊張する。
「妃殿下はなぜ、白煙の樹海へ来たのですか?」
「そ、それは・・・・」
どろりと、凝結しようとしている血のような風を、背中に浴びて、うなじの毛が逆立つ。
――――オディウムと対峙した時に感じた、気配だった。
「逃げてっ!」
「えっ」
「オディウムが――――」
魔王が、追いかけてきている。
――――そう伝える暇もなく、森の奥から、巨大な物音が近づいていた。
それは、巨人の歩みを思わせる足音と振動だった。一歩一歩、巨大な足が低木を踏み荒らし、ぬかるんだ土に深く沈み込んでいることがわかる。
森の奥から響いてくる異様な足音は、エンリケ達を我に返らせるには十分だった。
「何かが来る! 構えろ!」
エンリケの指示で、三人の団員が、背負っていた大盾を下ろした。
巨大な盾は、壁のように真っ直ぐ、地面に突き立つ。
――――重歩兵による、魔法盾を用いた密集陣形。
カーヌス国王軍が得意とする、戦法だ。
魔法盾には特殊な防御魔法が組み込まれているため、あらゆる魔法攻撃を防ぐことができる。
本来は兵数を頼りに、隙間なく盾を並べることで効果を発揮する陣形だ。少数の兵員で、しかも足場が不安定なこの立地で、密集陣形を生かせるかどうかは、戦術に疎い私にはわからない。
木々の合間の青い闇に、小さな光が瞬く。
何だろうと目を凝らした瞬間、光は爆発的な勢いで拡大し、霧を散らす巨大な炎の塊になっていた。
「伏せてください!」
エンリケに押し倒され、私は盾の影に倒れる。
熱風が襲いかかってきて、瞼越しにも光の洪水がすべてを覆うのを感じた。
怖々と瞼を開けると、火の粉が粉雪のように舞っていた。
――――魔法盾は、土砂のような勢いで被さってきた炎の波を、なんとか堰き止めていた。堰き止められた炎は上に、横にと流れ、私達は炎の中に閉じ込められる。
数秒間、炎の猛攻に耐えてやり過ごすと、炎は散っていった。
「な、何だ、今の攻撃は・・・・!」
「まだ、防御は解くな。――――奥に、何かがいる」
エンリケの指示で、騎士達はもう一度身構えた。炎が消え、再び霧をまといはじめた森には、毒々しい気配が漂っている。
そして、足音が間近に迫った。低木をへし折り、大樹すら薙ぎ倒して森を切り開くと、太い胴体を引き摺るようにして、それが私達の前に姿を晒す。
――――それの体表を覆った緑色の鱗が、月の光を浴びて、水滴のようにきらきらと輝いた。
「嘘だろ・・・・」
巨大なトカゲのような生き物を目にして、誰もが凍りついていた。
「まさか、魔王オディウムなのか!?」
「なんでこんなところに、魔王がいるんだよ!?」
戦い慣れている騎士達も、さすがに動揺していた。
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