後宮の死体は語りかける

炭田おと

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44_理想の皇子様

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 夜風に吹かれながら、私と俊煕しゅんき殿下は並んで歩く。

 大勢の人が暮らしている場所なのに、夜になれば人の気配も消え失せて、まるで廃墟を歩いている気分だった。


「・・・・それで殿下、どこまで歩きましょうか?」

 しばらく歩いてから、私は立ち止まり、殿下に問いかける。

「夜の散歩ならば、御花園ぎょかえんまで歩いてみるのもいいかもしれませんね。御花園ぎょかえんに入れるかどうかは、わかりませんが」


「・・・・嶺依りょうい殿に、一つ、聞きたいことがあります」


 呟くように言って、俊煕しゅんき殿下は身を翻し、まっすぐ私を見た。真剣な表情に、私は少し緊張する。


「なんでしょう?」


「万が一――――父上が、あなたのことを側女として召し上げると言ったら、あなたはどうするつもりでしたか?」


 虚を突かれて、しばらく声が出なかった。


 酒席でのやりとりが頭に浮かぶ。陛下は冗談を言っただけだと思うけれど、言葉は受け取り方によって、大きく変わってしまうものだ。


「・・・・陛下は、そんなことは望まないでしょう。宴席でのあの言葉は、ただの冗談だと思います」

「確かにあの時の言葉は、冗談です。・・・・でも父上は気まぐれですから、本気になることもあります」


「・・・・万が一にも、そんなことはないと思いますが、もし陛下がそのつもりでおっしゃったのなら、私は謹んで、その役目を拝命するだけです」


 殿下は驚いたのか、瞠目して、固まってしまった。


「私の身分で、陛下の命を拒むことはできません。国中の女性が、陛下がお望みになるのなら、それに従うしかないでしょう。私の望みは関係ありません。おそらく私の身分では、側室にすらなれないでしょうが、命令とあれば、お仕えするだけです」

「・・・・・・・・」

「陛下は豪快な方ですが、一方で思慮深い面もお持ちです。ですから冗談で気に入ったとおっしゃっても、迂闊な命令は下さないかと。その点では、間違いは起こらないと私は思っています」

「そう・・・・ですか」

 殿下は俯いてしまった。

「・・・・あなたは型破りで自由な方ですから、違う答えかもしれないと思っていました」

「自由・・・・」


 私と俊煕しゅんき殿下は、まったく違う世界で生きている。

 土地によって、生き方も常識も違うというだけなのに、その違いが殿下の目には、自由に生きているように映ったのかもしれない。


(・・・・殿下は、自由になりたいのかな?)


 規則でがんじがらめの皇宮の中で、俊煕しゅんき殿下は理想の皇子であろうと心掛けているように見えた。真面目で、どんな時でも弱音は吐かずに、皇帝の息子らしくふるまっている。


 でもきっと、それは苦しいことだ。


 誰もが生まれながらに、まわりが望む理想の姿であれるわけじゃない。理想に近づこうと努力し続けてようやく、まわりは評価してくれる。

 俊煕しゅんき殿下は、そうなろうと励んでいるように見えた。


 だけど、自由気ままな同年代の青年達と比べると、その姿は少し苦しく見える。殿下は、本来の自分を殺し過ぎなのだ。


「・・・・殿下、お話したと思いますが、私の故郷は、一年の大半を雪に閉ざされています」

 話題が変わったことを不思議に感じたのか、殿下は目を瞬かせる。

「一面の銀世界が、月光に照らし出される様はとても幻想的ですが、暮らすには不向きな土地です。作物を育てるにも、家畜を育てるにも向いていないのです。・・・・生活は苦しいものです」

「なぜ、そのような土地に? 別の土地に移住するという方法もあります」

「他の土地はすでに、他の部族が所有しています。無理に移動しようとすれば、争いになるでしょう。暮らすには不向きだと知っていて、ジェマ族があの土地に家を持ったのは、他の部族との争いに負け、追いやられたからなんです」

 戦いに負け、住む土地を変えるしかなかった。ここ数十年、大きな戦は起こっていないけれど、辺境の部族の小競り合いは、今でも絶え間なく起こっているはずだ。

「寂しく、過酷でも、私はあの土地が好きです。だけどジェマ族のみなが、そう思っているわけじゃありません。獣害も多いですから、人々の心は荒んでいます。そのうえ、他の部族が奴隷を得る目的で私達の土地に踏み込み、女子供を連れ去っていきます」

 俊煕しゅんき殿下は、信じられないという顔をした。

「・・・・信じられません。許されぬことです」

「あの土地には、私達を守ってくれる法がない」


 殿下は、辺境の土地の事情を知らないのだろう。私達が住んでいる土地には、西京せいきょうのように悪行を防ぐ法も、法を取り締まる組織もない。


「・・・・私達は小部族、蹂躙されていることを知りながら、報復することも叶いません。だから私は陛下のお力を借りるために、都に来ました。そのためならば、なんでもいたしましょう」

 殿下はまた、目を伏せる。

「・・・・殿下の目に、私は自由に生きているように映ったのかもしれませんが、それは違います。私は強いわけじゃなく、どこにでもいるちっぽけな人間です。この世界に、本当の意味で自由な者など、一人もいないでしょう。誰もがなにかしら、縛られて生きています。殿下も、そうなのでしょう?」

「・・・・ええ、そうです。俺の考えは甘かったようだ」

 殿下は苦笑して、そう言った。


「でも、あらためてあなたの強さがわかりました」


「私は強いわけじゃありません。あの土地の生き方に、適応しただけです。つらい思いをしているのは、すべてのジェマ族がそうですから」


「でもあなたは、その苦しみを淡々と受け入れている。俺や誰かに、同情してほしいとは思っていない。――――それは強さだと思います」


「・・・・・・・・」

 その言葉を嬉しいと感じたものの、私の語彙力では、その気持ちをどうやって殿下に伝えればいいのか、わからなかった。



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