鬼の花嫁

炭田おと

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44_慇懃無礼な人には気を付けましょう_後半

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「刑門部卿」

 すっと、千代が部屋に入ってきた。


「武官の方々から、言伝を預かりました。至急、お伝えしたいことがあるそうです」

「わかりました」

 諒影は立ち上がる。

「穏葉様。最後にもう一度、言っておきます。くれぐれも――――」

「わかってる。・・・・今は、大人しくしている」

 私の答えを聞いて、諒影の顔は優しくなった。

「この件に決着がついたら、また来ます。その時に、菓子の感想でも、聞かせてください」


 窓から、去っていく諒影の背中を見つめていると、門のところで待機していた部下達が、諒影を取り囲むのが見えた。

 そして彼らの影は一塊になって、門の外に消えてしまう。


「刑門部卿も、お忙しいようですね」

「・・・・閻魔堂が襲撃されたんだもの。今は、目が回る忙しさのはず」

「諒影様って、すごくいい方ですよね!」

 諒影が持ってきたお饅頭を口に運びながら、愛弥は目を輝かせていた。

「他の誰も、穏葉様のこと気遣ってくれないのに、諒影様だけはちゃんとこうして、様子を見に来てくれるうえに、差し入れまで持ってきてくれたんですから!」

「こら、愛弥!」

 さらにもう一つ、お饅頭を取ろうとしていた愛弥の手を、千代がぴしゃりと打った。

「それは穏葉様のお菓子よ!」

「えー・・・・いいじゃないですか、もう一つぐらい・・・・」

「食べていいよ」

「ありがとうございます、穏葉様!」

 愛弥は幸せそうに、お饅頭をほおばる。

「ですが、刑門部卿のおかげで助かっていることは事実です。去年なんて、木蔦の宮の予算がさらに削られてしまって、生活がいっそう苦しくなりましたが、刑門部卿が戸門部省に掛け合ってくれたおかげで、なんとか予算を元通りにすることができたんですから」

「・・・・・・・・」

 複雑な気持ちになりながら、私はお饅頭を一口齧る。

「穏葉様、私、お二人の様子を見ながら、ずっと考えてたんですけど・・・・」

 饅頭を頬の袋に入れたまま、愛弥は口を開いた。


「こうなったら、穏葉様は媚薬でも使って、諒影様を篭絡するしかないんじゃないですかね?」


「ぶっ・・・・!」

 口に含んでいたお饅頭の欠片を、吹き出してしまう。しかも一部は逆流して、喉のどこかに詰まったようで、咳が止まらなくなってしまった。

「愛弥ぁっ!」

 次の瞬間、愛弥の頭に、千代の手刀が振り下ろされていた。愛弥の口からも、お饅頭の残骸が出てきてしまう。

「いったぁっ! ちょっと千代様、何をするんですか!?」

「何てことを言うの! 冗談でも、言っていいことと、悪いことがあると、何度教えたら、あなたは学ぶの!?」

「冗談で言ったんじゃありませんよ! ちゃんと真剣に考えましたぁ!」

 愛弥は勢いよく立ち上がった。

「今、穏葉様は縁談がまとまらなくて、かなり追い詰められてるじゃないですか! そんな穏葉様が接触できる殿方の中で、諒影様は飛び抜けていい物件なんです!」

「当たり前でしょう! 鬼廻一族の鬼で、刑門部卿に任じられるほど、優秀なお方なのよ! 穏葉様が接触できる殿方に限らなくても、北鬼で数えるほどしかいない階級にいる方です! まだ奥様がいないことが不思議なぐらいなんですから!」

「だったらなおさら、手段を選んではいられないじゃないですか! このさい、穏葉様も、恥も外聞もかなぐり捨てて、勝負してみるしかないんですよ! 鬼って、血の味で相性を判断するそうだから、まずは血を飲んでもらえばいいんじゃないですかね?」

「相手は、鬼廻一族の殿方なのよ! ご本人の意志だけでは、結婚相手を決められるわけないでしょう! だからそんなことをしても、結婚には結びつかないのよ!」

「き、既成事実さえ作ってしまえば・・・・諒影様は、その点では、とても真面目そうだし・・・・」

「・・・・・・・・」

「さ、さてと、私も仕事に戻ろうかなー」

 千代の睨みで、本気の怒りを察知したらしく、愛弥はそそくさと逃げる準備をはじめる。

「待ちなさい、愛弥・・・・!」

 愛弥は持ち前の逃げ足の早さで、あっという間に姿を消してしまった。

「まったく・・・・」

「ごほっ、ごほっ・・・・」

「穏葉様、大丈夫ですか?」

「う、うん、大丈夫・・・・」

 胸を叩いて、咳を止めようとする。咳は止まったけれど、まだ、動機が静まらない。

「愛弥もとんでもないこと言うわね・・・・」

「そうですね。・・・・教育が行き届かず、申し訳ありません」

 さすがに今回は、擁護できない。

「まったく・・・・。安易に、鬼に血を飲んでもらおうなんて・・・・簡単に言ってはいけないことなのに・・・・」

「・・・・・・・・」

 鬼には、特殊な価値観があるらしい。一度牙を突き立てた女は、自分のものと見なす傾向があるのだ。

 だから女達は幼いころから、伴侶となる鬼以外には血を与えてはならないと教えられるし、軽い気持ちで鬼に血を与えた女は軽蔑される。


 ――――だから、鬼に気まぐれに噛み痕を残された私は、゛傷物゛だった。


「・・・・・・・・」


 首に残された、噛み痕が痛んだ気がして、私は首を押さえる。

 古い傷で、もう今さら痛むはずがないのに、なぜか時々、痛みを覚えることがあった。


「穏葉様、今回は、刑門部卿の言う通りに、木蔦の宮で大人しくしているべきだと思います」

「・・・・・・・・」

「御政堂が襲われるなんて、前代未聞のことですから。穏葉様が納得していただけるなら、私が女中取締に話をしておきます。だからしばらくの間はここで、様子を見ませんか?」

「・・・・わかった」

 諒影に釘を刺されたばかりだ。今は大人しくしておいた方がいい。諒影と話をして、私はそう思うようになっていた。

 私の答えに、千代は胸を撫で下ろしたようだった。

「それでは、女中取締に会ってきます」

 千代は部屋から出ていく。

 私は複雑な気持ちで、窓の外を見つめていた。

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