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「運命のイタズラ」

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「運命のイタズラ」



2018年4月
想司の息子が小学校に入学した頃、職場に新人社員が入社し、そこで想司は璃々さんと出会った。
璃々さんは当時21歳になる年。
小柄で、髪はショート、笑った時の笑顔がとても良く似合う女の子だった。
しかしこの時、好印象ではあった、可愛いとさえ思えた、いや、好意を感じていたがしかし、それまでだった。
想司の心はまだ絶望の底にいた為、朝起きてから夜寝るまでまだ全てが灰色に感じ、何も埋まらない心に虚脱感が身に染み、どこか空元気で、当たり前を装い、普通を演じ、悲壮感を隠し、日々自分を騙し、周りを騙し、そんな毎日を繰り返し一日を終える。
自分に幸せなどない、縁などはない、自分の人生に関わりなどない人だと、そんな虚無感が想司の心を冷めさせていた。

だが日々の激務、自分を犠牲にする想司の働き方に対して新人の中でも璃々さんだけが気づき、懸命に想司のサポートをする。
会話も少しずつ増え、璃々さんの仕事の才能と優しさに好印象が上がる。
次第に想司自身も璃々さんへの優しさが増え、熱意が増え、思いが増えていく。
僕もこの時はよく覚えている。


「今年の新人は続そうなの?」


退職者が多い為、僕は何気なくそう聞いた。


「うん……頑張ってもらいたいなって子はいるんだよね」

「お気に入りってこと?」

「その言い方はやめて。璃々さんに失礼だから」


多分、想司はお気に入りだったのだと思う。
しかし、その奥にある確信を遠ざけているように僕は見えた。


「じゃぁ……推し?」

「あ! そう! そんな感じ! めちゃめちゃいい子なんだ!」

「ふーん……なに? 好きなの?」

「は? 俺が? 璃々さんを? んなわけないない」

「本当に?」

「考えてもみろよ? 10歳も年下の女子と俺が交際なんてできるか? 子持ちの32歳が恋愛できるか? 俺にだって不可能な事ぐらいわかってるわ。そもそも、向こうが俺に恋愛感情なんて、ましてや対象になるはずが無い」

「ふーん」

「でも、ずっといい子でいてもらいたいって、あの笑顔を絶やしたく無いって、何かで協力や、支えや、助けになりたいって、なんか護ってあげたいって思う。そんな子なんだ」

「それって……まぁいいや! ちなみに聞くけど……もし想司の人生が今と違うなら?」

「……ん……いやいや……そんなあり得もしない話してもしょうがないだろ」


僕には明白だった。
想司は璃々さんに一目惚れをしていたのだ。
しかしきっと、好きになる事を恐れ、好きと気づく事に恐怖を抱き、気づかないふりをし、自分の気持ちからも逃げていた。
だが、それは想司が自分の身を守る為の手段だったのかもしれない。
ただでさえ、今までの心の傷は癒える事はない中で、これ以上もう何も傷つきたくなく、何も事は起こしたくない、そんな感情は辛いだけとわかっていたから想司はその気持ちにそっと蓋をしていたのだろう。


月日は流れ1年が経った2019年4月の頃、想司の大殺界は年を越えた事で終わりを迎え、辛い日々を耐え抜いた。
しかし、それは終わっただけで何か特別に楽しいことや、状況が改善するなどはなく、変わらない日々を過ごし、心を安定させる日々に勤めていた。
そしてこの年から、璃々さん以外の新人が全員退職し、同時に璃々さんが大殺界に入った。
本人は気にしてないようだったが、想司は自分の壮絶な大殺界の懸念もあり、1人になってしまった璃々さんが心配で気にかけ、無意識に会話が増えて行く。
少しでも、璃々さんの幸せに関われれば、少しでも緩和できれば、少しでも楽しいって思ってくれるそんな年に想司自身が出来たらと積極的に関わった。
すると、まるで今まで話していなかったと思うほど、お互いの共通点、共感、同じ趣味が次々と発覚する。
毎日話は弾み、次第に想司は璃々さんにずっといい子で居てもらいたい、護ってあげたい、支えてあげたい、助けになりたいと、璃々さんへの気持ちがどんどん大きくなって行く。



そしてこの時、僕は運命とは残酷なのだと今では思い知る。


想司は多分、璃々さんだったから1番に気にかけ、1番に心配をし、お互いの休日に璃々さんを誘ってしまったのだ。
この日、7月21日が想司にとって間違いだったのか、または運命のイタズラだったのではないだろうか。


「想司さん! 見てください! 私、髪伸びたと思いませんか?」


そう言われて想司は改めて璃々さんを見て可愛いと思ってしまう。
入社した当初はショートだった髪がもう一年と言う月日を得てロングになっていた。


「うん……凄く可愛いと思うよ!」 

しかし、想司の中では璃々さんの今の姿は可愛さを超え、素敵や綺麗と言った言葉が当てはまる気がした。


「でもどうして髪を伸ばしたの?」

「想司さんが私に伸ばしてみたらっていってくれたからです」

「……あ……そうなんだね」

璃々さんの言葉は想司の琴線(きんせん)に触れ、心に衝撃を与え、動揺を隠す為に微妙な反応をしてしまう。
そんな何気ない1日を過ごして終わりが近づいてきた時に璃々さんは想司に言ってはいけない言葉を口してしまう。



「実は……私……想司さんの事ずっと、推しだったんです」

「……え……」


璃々さんはどこか顔を熱らせ、目を逸らし、恥ずかしそうにそう言った。
想司は嫌われてはいないとは思ってはいたが、まさか自分が想定していた評価以上だった事に驚いた。
想司はこの時、驚きと同時に嬉しさも込み上げ、そして考える。
自分はどうだったのか、自分はどんな感情を璃々さんに抱き、自分自身がどう璃々さんを感じ、思っていたか。
考えた事で想司は初めて璃々さんに出会った時の感情を思い出してしまった。


「……まじ?」

「はい」

「え!? いや、待って……え?」


そして、一年前の過去を振り返り、自分の璃々さんの前で取ってきた、選択してきた行動、思い、感情、を思い出してしまった。


「……ちょっ……ちょっと待って……」


繋がってしまった感情に自分でも整理がつかなくなっていた。
今この思いを、感情を、言葉を、伝えるべきか、伝えないべきか、想司は躊躇った。
しかし、今までの過酷な過去から、苦しかった今までの現状で人生にほんの少しでも、喜びが欲しかった。
少しでも幸せと思える、そのほんの少しだけでも手を伸ばしてみたかった。
そして、想司はついに口にしてしまう。


「じ、実は……お、俺も……璃々さんの事、ずっとそう思ってたんだよね……」


その言葉を言ったことで想司は確信に気づいてしまった。
いや、璃々さんによって気づかされてしまった。
初めて会った瞬間から実は好意を抱き、好感を持ち、それが一目惚れだった事に気づいてしまった。
一年間ずっと蓋をし、隠し、その真実に逃げてきた想司の思いの枷(かせ)が全て解き放たれてしまった。
璃々さんを護りたい、助けたい、支えになりたい、そう願っていた心が全て好きという感情から溢れ出ていた事に結びついてしまった。
隠していた、ずっと気づかないふりをしていた、そんなことはあり得ないと遠ざけていた。
しかし、璃々さんのその一言が想司の思いの殻を破ってしまったのだ。



「え? そんなの絶対嘘ですよ!」

疑う璃々さんに想司は真面目な顔で言い直す。

「ごめん……多分……俺……璃々さんが好き……」

「え? 好きって……」


好きと言う言葉に抵抗はないはずだった。
しかし、人生の中で好きと言ってきたどの言葉よりも想司は緊張していた。


「あ! ご、ごめん! まじで本当にごめん! やっぱり気にしないで! 本当にごめん!」

「じ、実は……最近……私も想司さんに思いがあるんです」

「……え? それって……」


想司はその確信に迫る事を躊躇した。
しかし、どうしても聞きたかった。
璃々さんのその口からどうしてもその言葉を聞きたかった。


「……す、好きってこと……?」

「そう……なりますね……」


璃々さんは顔を熱らせ、恥ずかしながらそう言葉を言い直す。


「……好きになってしまいましたね……」


衝撃の一言だった。
想司は久しく忘れていた、この溢れるほどの喜びを、嬉しさで零れる笑みを。
そう想司はずっと忘れていた。
こんなにも恋とは色鮮やかだったことを。
気づけば、璃々さんと出会った事で想司の毎日が灰色じゃなくなっていた。
だからこそ想司は我に返って言う。


「あ、ありがとう……ほ、本当にありがとう。すっごく嬉しい。もしかしたら俺たちは付き合うことが出来るのかもしれない……けど、俺はそれを選択しないよ」


想司は一つ呼吸を置いてゆっくり話す。


「正直、付き合いたいって気持ちはある。きっと幸せで凄く毎日が楽しくなるんだろうなって絶対にわかってる。けど……俺はそれを我慢してでも、璃々さんの幸せを一番に願うし、願いたい。1番に願ってるからこそ俺では璃々さんを幸せにしてあげられないって分かってる……だから……この気持ちは伝えるだけ……その一線は超えられないって俺は思う」


想司はちゃんと理解していた。
元奥さんと同居の状態に、息子と言う存在、更に父親であること、そして、どう見積もっても想司には彼氏としての条件や、璃々さんにさいてあげられる時間、お金、幸せをあげることできなかった。
璃々さんを好きだからこそ、璃々さんを思うからこそ、璃々さんの幸せを願うからこそ想司は身を引く事を選択する。


「はい……私もわかってます。でも想司さんに奥さんがいようが、離婚してようが、お子さんがいようが、それは一旦置いといて、私は想司さんの事を好きになっちゃってます。これがただの現状です。でもだからこの気持ちを伝えられただけでも、とても幸せと思わなければいけないんだと思ってます」

「本当にありがとう。こんな気持ちになれたのは璃々さんのおかげだ……自分でもすごい残念だと思ってる。多分、璃々さんを好きな自分の気持ちだけを考えればこの選択は間違いなんだと思う……けど、俺は璃々さんの今後の幸せを願いたい。だからこのままを俺は選ぶ」


「はい……想司さんがそう思うなら私もこの気持ちは留めておきます。でもまさか想司さんが同じ思いを抱いていたことにはとてもびっくりしました……凄く嬉しいです。えへへ」

「俺もびっくりした……でも……凄く嬉しい。こんな感情に出会ったのは学生の時以来だな。こんな年齢になってもこんな気持ちってまだ味わえるんだな」

「あ!  わかります!」

「でも、本当にこの思いを伝えられて、この感情を抱いた先が璃々さんで良かったって本当に思う。教えてくれてありがとうね」

「いえ、私の方こそありがとうございます……今は酔ってて平気ですが、明日職場で顔合わせた時がとても恥ずかしいです」

「それは俺も同じだと思う」


その日はそれだけで終わった。
しかし、心は満たされ、緊張と興奮と共に鼓動は脈を打ち、それが2人に充実感を与えていた。


「楽しかったのかい?」

智理は想司が心配だった為にそう聞く。


「うん……めっちゃくちゃ楽しかった」

「でもよくちゃんとした決断が出来たな」

「さすがに俺でもわかる。俺じゃ璃々さんには申し訳ない……でもだからこそ、とても寂しいし、悲しいんだ。もっと人生が違ってたならって……智理に言われた言葉を思い出したよ」

「だと思ってたよ。だって想司嘘つくの下手だもん」

「そうかな?」

「そうだよ。でも想司の事だから本当に心配してたんだ。思いの大きさに負けて付き合っちゃうんじゃないかって」

「うん……正直、危なかった」

「だろうな。でも絶対だめだからな? 本当に璃々さんの事を思ってるなら想司は付き合っちゃいけない。璃々さんを不幸にしたくないだろ?」

「うん……したくない。だから俺も我慢してる」

「想司のその選択は100%正解だったと思う。一瞬でもすごく幸せだったんじゃないか?」

「本当に幸せな時間だった。今でも心の中が弾んでる。そして、明日からも……会える事がとても楽しみなんだ」

「良かったな。でもそれで我慢しとけ。それ以上進んだら最初は楽しくても後が本当に辛いぞ」

「わかってる」


次の日、職場に出勤して顔を合わせた瞬間、2人とも赤面し、目を逸らす。


「お、おはよう……」

「お、おはようございます……」


想司も璃々さんもお互いがよそよそしく、普通ではいられなかった。


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