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33 夜会④

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 夜会会場の馬車まりには、主に遠方からの客や短時間で帰る客の乗って来た馬車が所狭しと停められている。

 各馬車の御者や付き人は近くに設けられた休憩場所にいるので、馬車に残っているのは馬たちばかりで人はあまり見かけない。

 そんな人気のない場所を私を抱えたジャスティンは走っていた。

 家格によってスペースが割り当てられているので、ある程度は場所の検討が付くものの、ハミルトン家の馬車を探すのは骨が折れる作業だ。



「ジャスティン、あれじゃない?」



 レティシアが指差すほうに見覚えある馬車が見えていた。

 見れば馬のほうが先に気が付いていたようで「ブルルッ!」と嬉しそうに呼んでいる。

 急いで馬車に近付くが、中に灯りは付いていない。

 本当にここにニコラスが居るのだろうかと不安になる。



「ニコラス?」



 ノックと同時に呼びかけたけれど返事はない。

 そのまま取っ手を引くと、鍵がかかっていて開かなかった。



「待って」



 ジャスティンが何か思い出したように御者台の下のほうを探り、真鍮の鍵を出してきた。



「そんなところに!?」



 驚く私を下がらせて、ジャスティンが鍵を開ける。

 扉を開いて見れば、ニコラスが座席の間に身を低くして座っていた。



「無事か?」

「ニコラス?」



 声をかけられたニコラスは緩慢な仕草でこちらを見た。

 どう見ても具合が悪そうで、眉根を寄せて腕を組み一言も発しない。



「ニコラス、どうしたの?」



 私は焦って乗り込み、彼の顔を覗き込んだ。



「レティシア、ジャスティン……やっと来ましたね。助かりました」

「大丈夫? すぐに帰ったほうが良いわ」



 薄っすら汗をかいているようなので、ハンカチで拭こうと手を伸ばしたら……やんわりと止められた。

 何だか様子が変なのは確かだけど、いったいどうしたんだろう?

 困惑する私と違って、ジャスティンはニコラスがこんなになってる原因に心当たりがあるのかも知れない。

 いつになく真剣な顔でニコラスを見ていた。



「ニック兄上、屋敷までは……耐えられそうか?」



 様子を窺っていたジャスティンが、ちょっと迷ったような声音で問いかけた。



「あぁ、何とかする。御者を早く……」

「分かった」



 ジャスティンは驚く速さで御者を連れて戻って来た。



「ニック兄上。ほんとうに大丈夫なんだよな?」

「……あぁ。ジャスティン、あとは頼む」

「……了解」



 ニコラスとジャスティンはその少ない言葉ですべて分かり合ったようで、私だけ蚊帳の外に置かれた気分だった。

 それでも今ここで説明を聞いてる場合じゃなさそうなのは理解できる。

 もう少しニコラスの様子が落ち着くか、屋敷について医者に見せてからか、とにかく後回しにしようと決めた。



「奥様、出口が混んでます。少し時間がかかるかもしれません」



 前の小窓から御者にそう言われてニコラスを振り返ると、辛そうな彼が大きくため息をく。

 コーネリア殿下がニコラスを探してるのとは無関係かもしれないけど、見つかって留め置かれるのではないかと不安は募る。



「もしかして、熱がある?」



 今はランプが点いているので馬車の中は明るく、何となくニコラスの顔が赤いような気がした。

 私は心配になって彼の額に手を当てた。

 でも熱があるって言うほどは熱くない。

 その見た目とのちぐはぐ具合に違和感があって、そのまま手を退かせずにいると……。



「熱はありません。……今は私に触らないでいてください」

「え?」



 思いもかけない言葉に驚く。

 軽くショックだった。

 私に触られるのは嫌だったの?



「あ……いや、そうではなくて……控えてほしいのです」

「ど、どうして……?」

「……薬を盛られたようで……」

「は? 薬?」

「飲食には気をつけていたのですが……お香は避けられませんでした」

「え? それって……」



 すごく嫌な予感がした。

 これが『ハニートラップ?』というものなの?



「だ、大丈夫……なの?」

「レティシアが、そこから動かないでいてくれれば……」



 その言葉で私は身動きできなくなった。



「……動くと……どうなるのかしら?」

「馬車の中でお相手してくれますか?」

「ここでお相手!? ……ダメに決まってますでしょ」

「では、寝室まで我慢できるように、協力してください」

「ななな何言って……」



 恥ずかしくて一気に頬が熱ってきた。

 やっぱり興奮剤のようなものが使われたのかもしれない。

 でも、この国ではそういう類いのものは全面的に禁止で、普通の人は手に入らない。

 というより、物語に出てくることしかないから、実際はどんなものなのかよく分からなかった。



「えーと、それは……媚薬なの?」

「……なお悪いかもしれません」

「どう言うこと?」

「……もしかすると、魔香まこうかもしれないですね」

魔香まこう?」



 それは最近海の向こうの大陸から入って来たものらしく、今まで出回っている媚薬などとは違って、伝説の惚れ薬にも匹敵するほど女性を求める効果が高いものだという。

 救いは特定の相手に執着するわけではないこと。

 でも有効時間が長く、平均十日はその欲求が消えないらしい。



「え? 十日? ずっと?」

「分かりません」



 それを聞いて血の気が引いた。

 だって、今のニコラスがそういう欲を発散するとしたら。

 その相手は……私?

 そしてニコラスはただでさえ『絶倫かも』と疑惑があるのに、魔香まこうの作用が加わったら……。

 私、体が持たないかも?



「今は? まだ我慢できるの……よね?」

「……たぶん」



 頼りない返事が怖い。

 もし我慢できなくなったら、どうなるんだろう?

 私が『困ったなぁ』と思っていたその時。



「奥様、出口で検問があるようです」

「え?」

「……まずいな……」

「それって、コーネリア殿下が?」

「きっとそうでしょう。表向きは魔香まこうの不法使用ですかね?」

「そんな……」



 まさかコーネリア殿下がそこまでするとは思わなかった。



「どうして……」

「既成事実を作るつもりだと思います」

「まさか、ニコラスと結婚するために?」



 ニコラスが力なく頷いた。

 コーネリア殿下は前からニコラスを狙っていたけど、嫡男ではないから降嫁先こうかさきに認められなかったのと、フライデン王国とどうしても縁戚関係を結びたかった関係で、当時はいくら既成事実ができたとしても握りつぶされるのが分かっていた。

 だからコーネリア殿下でも迂闊に動くわけにはいかなかったのだろう。

 下手に動いて結婚が早まったりしたら最悪だったから……。

 それなのに最近になってニコラスが公爵になり、フライデン王国の公爵令嬢と我が国の公爵令息が大恋愛の末、結婚が決まった。

 今ならコーネリア殿下が無理を通せば何とかなるという状況なのかもしれない。



「レティシア、大丈夫です」

「でも……」

「私を信じなさい」



 こんな状況でもそう言い切るニコラスは、冷気が漂う笑みを讃えている。



「……はい」



 私は何の根拠もなしに『ニコラスに任せれば大丈夫』と思ってしまって、そのことに自分で驚いていたのだった。

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