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それから2
しおりを挟むガタガタ、ガタガタと馬車が揺れる。
いつもより振動の強い馬車しか用意できなかったのは、急いでいたから。
そして、周囲に何も言わずコッソリ出てきたからだ。
それでもマルクール領領主所有の馬車である。その辺の庶民が使うものよりは数段乗り心地が良いはずなのだが、エドナは気に入らない。
次に大きな街に入ったときには絶対に乗り換えてやる、と心に誓う。
「お嬢様……あのう、本当に良かったのでしょうか?」
揺れが落ち着いた間合いで、実家から付いてきていた側仕えの女性が呟く。
不安げな彼女に、エドナはふん、と鼻を鳴らした。
貴族女性にあるまじき態度だが、そんなものがうっかり出てしまう自分自身に腹が立つし、「食べ物がおいしかったのに…」などと主の前でうっかりこぼしてしまうこの側仕えにもイラッとくる。
まったくこれだから田舎はいけない。
半年ほどしか過ごしていないのに、自分も侍女も田舎のおおらかさにすっかり毒されてしまった気がする。
そう、それもこれも田舎が悪いのだ、全部。
彼女は忌々し気に言った。
「良いに決まってるでしょ。わたくしは騙されたのよ!」
田舎とはいえ、豊かな土地と豊かな財を持つマルクール。
その次期領主夫人の座を目指して、王都では他の令嬢たちを押しのけ、領内に集められた候補者たちも蹴落として婚約者に決まったというのに。
「話が違うわ。結婚しても王都に住んでいいって聞いていたのに」
彼女は、結婚してもマルクール領に住むつもりはなかった。領主子息のカドスもまた、彼女と一緒に王都に戻りたがっていた。
しかし、半年経ってもマルクール領から出して貰えない。
そのことをカドスに訴えても、決まりの悪そうな顔で「もう少し」「ちょっと待って」と繰り返すばかり。
最近では、文句を言われるのが嫌なのか単に忙しいのか、エドナに会いに来る回数もめっきりと減った。
―――彼は予想以上に役に立たなかった。
あれは、そう。
どこぞの遺跡で地面が崩れたと、カドスらが妙に深刻な顔つきをしていた頃か。
カドスの婚約者の最有力と言われていた庶民の娘が亡くなった、と聞かされたあたりからだったか。
マルクール領主を含めた、とくに上層部の数名の様子が、明らかにおかしくなった。
収穫時期に入り、例年よりも作物の収穫量が少なかった。
その数か月後。今度は、撒く予定の種の出来が例年よりよろしくない、苗の発育が例年より悪い、とマルクール領のあちこちで聞かれるようになった。
あくまで国の食糧庫たるマルクール領にしては、という程度だ。他の領と比べれば、さほど変わらない。
にも関わらず、上層部の取り乱しようは、傍目に滑稽なほどだった。
しかもだ。
「魔女様」
「どうかお願いいたします」
「魔女様―――」
なぜかエドナが魔女、魔女と呼ばれ縋られていた。
冗談ではない。魔女になった覚えはない。
エドナが“魔女の生まれ変わり”と名乗り出したのは、便宜上のことだ。
カドスが彼女を連れて来る前には有力候補だったという、予想以上に人気が出てしまった、魔女と同じ地属性の“魔力”を持った庶民の婚約者候補を牽制するため。
そもそもエドナの“魔力”は水属性だ。“大地の魔女”のように農地や農作物をどうにか出来るような力はない。
さすがに上層部が何かを言ってくることはないが、「何かできないか」と相談されることはある。
彼女は雨を降らせたり、逆に雨を止めたりすることはできるが、あくまで一時的、それもほんの一部の地域まで。
しかしそもそも、マルクール領は水に困っているわけではない。
領主や上層部の人々より先に、“魔女”に助けを求める人々。
領主たちの慌てぶり。
―――マルクール領は、おかしい。
いろいろと危機感を覚えたエドナは逃げることにした。
マルクール領の潤沢な財で気ままな贅沢暮らしをするのが目的だったのだから、出来ないのであれば仕方ない。
「“リードン”……食べられると思ったんだけどなあ」
いまだ食い意地のはった事を呟く側仕えに、エドナは「はあっ」とこれ見よがしにため息を吐く。
王室御用達の超高級果物“リードン”。
マルクールの、ごく一部の地域でしか栽培されず、その地域の名前を冠したという果物は、彼女も少し楽しみにはしていた。
が、今年はどうやら不作だったらしい。
……そういえば領主の館でも晩餐に一、二回出た程度で、本来なら収穫の最盛期であった頃には見かけなくなってしまった。
エドナは、別に絶対“リードン”が食べたかったわけではないが――。
ついてない。全くもってついてない。
幸先が悪いにも程がある。不作知らずのマルクール領で不作だなどと。
きっと自分とマルクール領は、相性が悪かったのだろう。
そうとなれば、さっさと帰って別の相手を探すに限る。
彼女は、マルクール領に見切りをつけることにしたのだ。
☆ ☆ ☆
「なんだと、エドナが居ない!?」
婚約者のエドナが領主の館を出て行ったらしい。
その報告を聞いたカドスは、思わず報告者を怒鳴りつけた。
「どうしてそうなった‼」
「こ、これがお部屋に……」
差し出された手紙は、明らかに彼女の筆跡。
そしてその内容は、実に素っ気ないものだった。
最後に「婚約を破棄いたします」という、一方的な文を添えて。
ここのところのゴタゴタで、あまり構ってやれなかったのは事実だ。
とくに最近は顔を合わせても愚痴や文句を聞かされるか、無理な注文や高価なおねだりをされるだけなので、積極的に会いたいとも思わなくなっていたが。
「なんて勝手な女だ! 婚約など、こちらから取り消してやる!」
鼻息荒く手紙を握りつぶした跡取り息子を冷ややかに横目で見ながら、マルクール領主がため息を吐く。
「時期が悪いですな」
苦々しく呟いたのは、領主の側近だ。
“大地の魔女”の生まれ変わりということになっているカドスの婚約者エドナ。
彼女が姿を消したとなれば、“魔女”かどうか疑いを持っていた者たちが「やはり偽物だったか」と勢い付く。そして“魔女”だと信じていた者たちは「魔女様に見捨てられた」と絶望することだろう。
農作物の生育や出来が悪くなっているという報告を受けていることもあり、いっそう領内が混乱するのは目に見えている。
しかし、“悪しきドラゴン”のことを知られてはまずいという意味では、他家の娘を嫁にもらわずに済んで良かったのかもしれない。
とりあえず、目先の不都合をどう取り繕うか。
そのことばかりを考えている彼らは、すでに坂を転がり始めていることに、気が付かない。
怠惰な平穏に慣れた彼らは、気付こうともしなかった。
さらに。
「なんだと、“リードン”が無い!?」
マルクール領の、さらに一部の地域でしか栽培されていない希少な高級果物“リードン”。
この国の王族に気に入られたのをきっかけに王室御用達の印を頂き、王族だけでなく貴族や富裕層、諸外国からも注文が殺到しているそれは、いまやマルクール領の外交にも少なからず影響を及ぼしている。
最初は順調に入って来ていた“リードン”は、ある日を境にぱたりと入って来なくなった。
ある日―――つまり、イオラ・リードンが姿を消した、その日である。
担当者が恐縮しながら説明したところによれば。
マルクール領の役人が「罪人が出た農場の作物など売れないから」と、通常の半値以下の価格で“リードン”を買い叩こうとしたらしい。
ちなみにこれは役人が勝手にやったことで、上の指示もなければ上に説明もなかった。余った買取金を自分たちの懐に入れようとしたようだ。
罪人といっても領主子息の婚約者に嫌がらせをした程度で、領の外には知られていない。詳細を探られても困るので、むしろ隠している。
つまり、イオラが関わっていたからといって“リードン”が大きく値下がりする、あるいはまったく売れないということは、ないのだ。
田舎の一地方の農民たちは短期間で売れるような伝手を独自に持っているわけではなく、農作物以外にお金を稼ぐ手段も無い。
彼らも生活がかかっているのだ。売れなければ困る。リードンの村の人々はあまりの安値に難色を示したらしいが、ほぼこちらの言い値で買い取れるだろうと役人はほくそ笑んでいた。
というわけで、数日後にまた役人が訪ねたところ。
―――件の果物は、ごっそりと消えていたのだという。
「ふらりと立ち寄られた方が、大金とともにお買い上げ下さいました」
ほくほくとした顔で、村の長が役人に言った。
まさか“悪しきドラゴン”の胃の中におさまっているとは知らない役人たちは、なんとか買い戻そうと“ふらりと立ち寄った金持ち”を探し回った。
が、もちろん見つかるはずもなく。どこかに出回った形跡もなく。
この年の“リードン”は“不作”ということになった。
この年だけならまだ良かった。
次の年も、さらにその次の年も、同じ事は続く。
マルクール領が買い付けることが出来たのは、二級品、三級品と呼ばれる、“王室御用達”の印をつけることができないモノばかりだった。
おかしい、理不尽だと怒鳴り込んだ上役たちが突きつけられたのは、マルクール領とリードンが“リードン”に関して取り決めた契約書だった。
内容は、領が毎年決められた一定の価格で一級品の“リードン”を買い取るので、他に流してはならない、というもの。
不作の時でも最低限農民たちにお金が渡るようにする、一見農民思いの仕組みだが、逆にどれだけ“リードン”の値段が高騰しても一定価格以上は支払われない。現在に限って言えば、マルクール領にとって非常においしい儲け話となっていた。
この契約書に基づけば、農民は“リードン”を他に売れない。
しかし、役人が規定の価格より低く買い叩こうとしたことで、契約はマルクール領側から破棄された形となった。
だからマルクール領以外に卸したことがなかった“王宮御用達”の最高級品も、彼らは他に売ることができたのだ。
ちゃんと証拠を残していたので、国に訴えれば勝つのはリードンの村の農民である。
そして、そもそもいろいろと国にばれてはまずい所があるマルクール領側は、法に訴えることも、実力行使に出ることもできなかった。
この契約の抜け道は、イオラが村の人々に教えたものだ。
ただ領都にいたわけではない。村のためにいろんな勉強をしていろんな人々に話を聞き、これに気付いたのだった。
とはいえ。
不作知らず、と言われるマルクール領の“不作”に、疑念を持たれるのは当たり前。
その後に出てきたのは、“リードン”を作った功労者の存在と、その女性が亡くなったらしいこと。
彼女の死にはマルクール領主家が関わっていること。
女性が地属性の“魔力”の持ち主であったことから、“リードン”は彼女なしには作れないのではないか、という憶測――こちらはあくまで憶測で、事実ではないのだが――が出来上がった。
マルクール領主が何を言おうとも、領への不信感を拭いきることはできなかった。
とくに、病弱で小食だったこの国の王女が“リードン”だけは好んで食していたことから、“リードン”が手に入らないことに国王夫妻をはじめとする王族から不興を買ってしまう。
果物だけではない。
これを境に、マルクール領の作物の収穫量は、少しずつ、確実に減っていく。
国内での立ち位置は微妙なものになり、ほかの領との交渉事においても、一転不利な立場におかれることとなる。
上位貴族を自負し驕りすら見えていたマルクール領主家は、その意識の切り替えもできず、長く苦労することになるのだった。
☆ ☆ ☆
「……よく飽きないですね」
「早々に飽きるようなものをお前は作っていたのか?」
「違いますけど」
「今年もうまいぞ」
超高価な最高級“リードン”を遠慮なくモリモリと口に入れながら、ドラゴン――いや、ドラゴンが化けた美丈夫がにやりと笑った。
ご丁寧にきれいに切り分けられたそれを差し出され、イオラもひとつつまんで口に入れる。
きれいな色合い。溢れる果汁と、後味がすっきりとした、けれどもじゅうぶんな甘さ。
今年も文句なし、“王室御用達”品質である。
問題は、その“王室御用達”が王室どころかどこにも出回っておらず、国から遠く離れた原っぱに山積みにされている、ということなのだが。
現在、イオラと“悪しきドラゴン”は国外逃亡中だ。
とはいえ追手は来ないし、万が一来たとしても簡単に逃げることが出来るので、国外旅行満喫中、というのが正しいかもしれない。
故郷からかなり離れているはずなのだが、この季節――つまり“リードン”の収穫時期になると、このドラゴンはそのあり余る“魔力”を活用し、いつの間にか出戻って“リードン”を大量に買い付けては、いつの間にかイオラのもとに帰って来ている。
この希少性の高い高級果物がとってもお気に召した、というのもあるのだろうが、それだけではないようだ。
“悪しきドラゴン”の異名に相応しく、実に悪どい笑顔を浮かべていたりするので。
「はい。あーん」
「………どこで覚えて来たんですかそれ」
きらきらした顔でイオラの口元に果物を近づけようとするドラゴン様。
彼は街を通るたびにいろんなヒトを観察、学習し、そしてたまにこうやって反応に困る行動に出る。
「親しい者や親しくなりたい者同士でやる行為ではないのか? 他の動物でもみられる餌付けだろう?」
「餌付け……」
……最近は、わざとイオラを困らせて楽しんでいるふしもある。
彼は不思議そうに、ことのほか楽しそうに、小首を傾げた。
「イオラ」
“リードン”の山を半分ほど自分の胃袋に片付けたところで、ドラゴンは言った。
「あの、遠くに山が見えるだろう?」
彼の指し示す先には、頂きがうっすらと白く染まる青い山の連なりがある。
イオラが頷くと、彼もまた満足げに頷いた。
「山をひとつふたつ越えたところに、開けた土地があるのだ。盆地、というのだったか。そこに行ってみないか?」
「また別の国ですか? 面白い都市があるとか」
「いや。何もない。遠い過去にはあったらしいが」
何もない?
そんな場所に行く理由がわからず、イオラは首をかしげる。
「それなりに広い平地がある。水源もある。緑……は多すぎて、少し切り拓く必要があるな」
「あの……」
「そこに、住んでみてはどうかと思うのだ」
「え?」
イオラは瞬きした。
ドラゴンは知っていた。
いつも熱心に見ているのは、珍しい草花や作物、その苗や種だということを。
楽しそうに、嬉しそうにあちこちを見て回ってはいても、ふとしたとき寂しげに表情が曇るのを。
ときどき、故郷の方角の空を眺めていることを。
「リードンの者たちも、イオラと彼らが望むなら、呼びよせてもいい」
「………」
「それで、皆でこの果物のような作物を作ろう」
「………」
「まだ、戻れぬしな」
あちらも少々きな臭くなってきたから、という言葉は飲み込んでおく。
黙り込んだイオラの肩を引き寄せて、彼は続けた。
「なに。地属性の“魔力”持ちであるそなたと、地の竜たる我がいるのだ。どこに行っても、どうとでもなる。 ―――まあ、ええと、そなたを養う甲斐性くらいはあるつもりだ」
またどこかで変な言葉を覚えて来たらしい。
イオラは思わずくすりと笑った。
「そなたであれば、この身の“魔力”、どれだけでも捧げるぞ。好きに使うと良い」
「………わたしは、“大地の魔女”じゃないんですよ」
小さく遠慮がちな、けれども拒絶ではない言葉に、ドラゴンはふんわりと微笑んだ。
それはそれは、嬉し気に。
「もちろんだ。イオラでなければ、我自らこんなことは言わぬよ」
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