月が隠れるとき

いちい千冬

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月と歩けば

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 誰かが、入っていったような気がした。
 だからフロスティは、その誰かを追いかけた。
 そっちじゃないよと、教えてあげようとして。






     ☆   ☆   ☆






 ヒーザー・クロムは男ばかり三人兄弟の末っ子として、クロム王家に生まれた。

 上のふたりはすこぶる健康で優秀で、跡取りには問題ない。次は可愛い女の子がいいなと両親や周囲から密かな期待を寄せられつつの、男児であった。
 子供は天からの授かりもの。人の思惑でどうこうできるものではない。
 家族がヒーザーに対してそれを言うことはなかったし、男児であってもクロム王家直系の子供の誕生はそれなりに喜ばれた。むしろ末っ子として、余計に甘やかされている気さえする。

 しかし、物心がつくに従って察することもあった。
 王位に就く可能性が限りなく低い、三番目の王子。不要の王子。
 兄王子たちと明らかに態度を変える者もいた。子供だから分からないと思っているのか、ご丁寧にも面と向かって嘲る者だっている。

 気にならないと言えば、嘘になる。
 が、ヒーザーはそれで怒ることも、落ち込むこともなかった。
 兄たちよりも遅く生まれて遅く勉強を始めたヒーザーが、優秀な彼らに敵わないのは当たり前だろう。
 父のことはすごいなと思うが、王様になりたいとは思わない。
 女児であれば使い道があったものを、と別に使われる予定のない赤の他人に言われても、首を傾げるだけである。今さら女になれるはずもないのに。

 そんな不毛な中傷を耳にするや否や、本人よりよほど怒ってくれる両親や兄たちも彼には居た。
 ちょっと口を滑らせただけでヒーザーを含めた国王一家に今後一切近づくなと厳命するのはどうかと思うが、彼が卑屈にならずに済んだのは、間違いなく家族と自分に近しい者たちのおかげなのだろう。

 それでも。
 どうしようもなく、気持ちが不安定で落ち着かないときがある。
 大国の王子という生まれに、無性に不自由を感じるときがある。

 護衛の隙をついて下町の路地に紛れ込んだのも、ひどく窮屈な気分だったからだ。
 窮屈な気分だったのに、市がたつ大通りではなくより狭い路地に入り込むとは、我ながら意味不明である。
 そこへ自分を探す護衛たちの慌てたような声が聞こえてきたものだから、彼はたまたま開いていた建物の中にするりと身を隠した。
 港が近いこの辺りは、船の積み荷を保管する倉庫も多く立ち並んでいる。ヒーザーが潜り込んだのもそんな倉庫のひとつのようで、荷物の出し入れのために開けられていたらしかった。

 狭い路地を通って、さらに狭い積み荷の間に身体を潜ませて。
 何がしたかったんだったかな、とヒーザーは考える。
 が、どうにも億劫で、もう何もしたくなくて、彼はうす暗くひんやりと冷えたその場所にうずくまった。


 それから。
 すぐ後のことだったのか、しばらく時間が経っていたのか。


「おにいさん、そこにいるの?」

 小さなあどけない声が、聞こえた。
 末っ子のヒーザーには「兄」と呼んでくれる弟妹などいない。それでも彼を呼んでいたものだと分かったのは、声の主である少女が的確に彼の居場所をつきとめて、近づいてきたからだ。

「おにいさん、本当にいた!」

 薄明かりの中でもきらきらと輝く銀色の髪。
 少しばかり不安げに細められる大きな薄青の瞳。
 いくらか年下と思われる、小さな少女だ。

「おまえは……」

 小ぎれいな身なりからして、商人の娘だ。この倉庫の持ち主の家族だろうか。
 大人を呼ばれると厄介だな。そう思っていると、少女はそろそろと彼の足元にしゃがみこんだ。

 彼の靴をつんとつつく。
 唖然としていると、今度はズボンの裾を少し、引っ張られた。

「……なに、やってるんだ?」
「ほんものだった」

 少女はほっと息を吐きだして、言った。

「ゆうれいだったら、どうしようかと思って」
「はあ?」
「船で海を渡るとね、ときどき海で死んだ人が陸に帰りたくて付いて来ちゃうんだって。陸に着いても満足できなくて街をさまようのもいて、そんなゆうれいは生きている人に迷惑をかけるんだって。おにいさん、船から下ろした荷物と一緒になってるから、ちょっとこわかった」
「……ぼくは生きてる」
「うん。よかった」

 少女はにっこりと微笑んで、立ち上がった。
 そしてヒーザーに向かって手を伸ばす。

「なに」
「おにいさんがゆうれいじゃないなら、ここから出ないとダメだよ。ここ、鍵を閉めて真っ暗にするの」
「………」

 別に幽霊が怖かったわけではないが、つい何となく薄暗がりの倉庫をそろそろと見回す。
 ヒーザーが座っていたこの辺りの木箱の中身は、どうやら酒のようだ。

「お酒は暗くて涼しいところに置かないと、まずくなるんだって。わたしは飲めないけど、ジュースならあっちにあるよ。それからごはんも。買ってきたチーズの味見をするんだって」

 ぐう。
 まるで返事をするようにお腹が鳴って、ヒーザーは慌てて自分の腹を押さえた。
 先ほどはお腹が空いた、何か食べたいといって護衛たちの気を逸らせた彼だが、その時点で確かに空腹ではあったのだ。もうそろそろ昼時のはずだった。
 やがて外から、大人の声が聞こえてくる。

 ―――フロルー? どこに行ったんだい?

「あ。お父さんだ」
「……おまえが、“フロル”?」

 少女は「うん」と大きく頷いた。
 それから少し考える素振りを見せて、ちょこんとスカートの端をつまんで軽く腰を折る。

「フロスティ・レイズンともうします」

 大きな商家の娘なら、礼儀作法でも習っているのかもしれない。彼女の年頃にしてはなかなかの所作だった。
 しかし淑女のふりは長く続かない。
 そわ、と視線を泳がせただけでまったく動こうとしないヒーザーに焦れたのか、少女――フロスティは、彼の腕をつかんで引っ張った。

「ねえおにいさん、一緒に行こう? 勝手に入ってたらちょっと怒られるかもしれないけど、だいじょうぶだよ?」
「………」

 そうだった。自分は無断侵入なのだ。
 幽霊疑惑があったものの、あんまりフロスティが人懐こいものだから忘れていた。
 それまでに護衛をまいている事と言い、ちょっとどころでなく怒られるに違いない。
 少女の手を振り払って逃げたほうがいいかもしれない。
 ちらりと、そんな考えが頭に浮かぶ。
 しかし彼はそうしなかった。
 彼は、この小さな手を振り払いたくなかった。
 自分より弱く頼りない子供を乱暴に扱うのは怒られるよりも情けない気がする。
 それに、にこにこと屈託なく笑う少女の顔が自分のせいで曇ってしまうのは、ひどく残念だと思ったのだ。
 無欲といえば聞こえはいいが、欲しがるどころか周囲にほとんど無関心なヒーザーが何かを惜しむのは、とても珍しいことだった。

 自分自身に戸惑うヒーザーを、フロスティが不思議そうに眺めている。
 目の前にこの国の王子がいるなどと、まるで思っていないだろう。物怖じしない薄青の瞳を、眩しい物を見るように目を細めて見上げる。
 彼女の小さな手を取ってゆらりと腰を上げれば、彼女は嬉しそうに笑った。





 結果として、彼は倉庫の主には怒られなかった。

、お名前は?」

 ここクロムにも大きな店を構える商人には、彼の正体などお見通しだったらしい。
 娘が見知らぬ少年の手を引いてきた様子に少し驚いた表情を見せたものの、冷ややかに、それはもう冷ややかにオーキッド・レイズンは問うてくる。
 これなら怒られた方がマシだったかもしれない、と思ったほどだ。


 ヒーザーは一瞬ぐっと奥歯を噛みしめた。
 ちらりと彼の娘を見てから、そろりと言う。

「ひ、ヒー、……………ス」
「ヒース?」

 本名を伏せる理由はないはずなのに、なぜかヒーザーの口から出たのはそれだった。
 おにいさんの名前はヒースね、とフロスティ。

「ヒース君か。ふうん、ヒース君ね」

 ものすごく居心地の悪い視線を寄越しつつ、オーキッドが嫌味のように繰り返す。
 実は正体が分かっていないのだろうか、それくらいに慇懃無礼な態度であった。

「……まあ、そのほうが都合はいいのかな」

 そんな呟きをこぼしながら、オーキッドは娘と一緒に彼を店へと案内した。

 やがて。
 何も言っていないのに、同じように第三王子の護衛たちが真っ青な顔で案内されて来た。
 ヒーザーが完全に油断して、商会の大人たちや近所の子供に混ざって、異国で作られたというチーズを堪能していたときであった。

 とろとろのクリーム状になった熱いチーズが入った鍋の中に、串に刺したひと口サイズのパンや肉や魚介類、ゆで野菜などを付けて食べるその料理は、王子である彼も初めて味わうものだった。とても美味しく面白く、こってりしているのにいくらでも食べられる。

 このチーズ。
 後に、国王一家のお気に入りとして大変な評判となり、貴族だけでなく庶民にも広まりクロム国内で盛んに作られることになる。






 しかし。
 クロム国王夫妻が驚いたのは、むしろ風変わりなチーズ料理にではなく。



「守ってやりたい娘がいるんだけど、どうしたらいいと思いますか?」


 末っ子王子が、いきなりそんなことを言い出したからだった。

 いままで同様に勉学や武芸に真面目に取り組むものの、何をやっても嫌だとも好きだとも言わず、あくまで王家の一員の義務として淡々をこなすだけだったヒーザーが、急に意欲を見せた。
 しかも「守ってやりたい娘がいる」ときた。
 寝耳に水のこの発言に、王はがくっと顎を落とし、王妃はきらきらと目を輝かせた。

 報告だけは、聞いていた。
 たまに何かから逃げるように、あるいは何かを探すようにふらっと行方不明になる第三王子が、城を無断で抜け出さなくなったこと。
 外出は頻繁にするものの、ちゃんと行き先を告げて護衛もまかなくなったこと。
 行き先が、とある大きな商会ばかりであること。

 その商会――オーキッド・レイズン率いるレイズン商会が信用できる店であること。
 オーキッドが王子であろうと何だろうと叱るところはちゃんと叱ってくれる肝の据わった人物であること、ヒーザーも彼の言葉を素直に聞く姿勢をみせていること。
 勉強や約束事をサボらなくなったのも、どうやらこれが原因らしいこと。
 そして、そこの商会に可愛らしい娘さんがいることなどなど。
 だから王子の言う“娘”が誰かは、ほとんど見当がついているのだが。

「どうしてそう思ったの?」

 いやだがしかし年齢が身分が、とぶつぶつ呟く国王の横で、王妃がうきうきと聞いてくる。
 ヒーザーは考えるように、首をひねった。

「あいつ、危なっかしいんだ」
「あぶなっかしい?」
「誰にだってにこにこ笑いかけて、話しかけようとするんだ」

 それってもしかして嫉妬では。
 側付きの侍女ともども、いっそう浮き立った王妃だが、息子は淡々と続ける。

「自分のところの倉庫に無断で潜り込んだ素性の怪しいヤツにも、にっこり笑って手を繋ごうとするんだ。あいつ、裕福な大商人の娘っていう自覚が足りないんじゃないか」

 ため息混じりにこんなことをぼやく。
 その顔は、城を無断で抜け出す末っ子に対して「王子としての自覚が足りないんじゃないか」とぼやいていた父王そっくりであった。

「そ、そう。それは心配ね。人さらいとか」

 誰かさんと一緒で。
 王妃がそう言いかけたところで、ヒーザーはさらりと爆弾を投下した。

「この前、襲われた」
「えっ!?」

 国王夫妻が部屋の隅に待機している護衛たちをばばっと凝視する。
 と、彼らは血の気が引いた顔で重々しく頷いた。

「おれが口止めしたんだ。標的はおれじゃなかったし、それに」

 下手に騒ぐと、もう行けなくなる。
 口には出さずとも、寂しげな顔と口調からヒーザーの気持ちが痛いほどに伝わって来た。
 いくら行き先を告げても、どれだけ屈強な護衛をつけても、危険と判断された場所に王子が行くことは許されないだろう。

「人数が多かったけど、おれが近くにいたし、護衛もいたし」

 何かに執着したことがない、あるいは全てを諦めたような生き方をしていた末の王子の変わりようを、無謀と怒るべきか成長したとを喜ぶべきか。
 両親が迷っている間に、ヒーザーが呟く。

「守れると思ったんだ」
「……誰か怪我でもしたの?」
「あいつ、笛を吹いた」
「はあ? ふえ?」

 意味不明である。
 両親は揃って首を傾げたが、ヒーザーだってそのときは何が何だかわからなかった。

 たぶん、そうしろと言われていたのだろう。
 フロスティはいそいそとスカートのポケットから笛を取り出し、「ぴぃーっ」と鳴らしたのだった。
 ちなみに、そんなに大きな音でもなかった。
 音量だけなら、叫んだほうがまだ大人たちに気付いてもらえそうだ。

「そ、それでどうなったのだ」
「あいつの家にいる、大きな鷹が来た」
「鳥を呼べるのか!」

 内陸部の険しい山中に住むとある部族が、狩りの手伝いをさせたり他の部族と連絡を取ったりするために、鷹を飼いならすことがあるらしい。
 その山岳民族に倣って雛から育て人に慣れさせたのが、レイズン家の鷹だった。
 この鷹、基本的に大人しいのだが、レイズン親子以外にはほとんど懐かない。エサだって、同じものでもヒーザーの手では絶対に食べないのだ。

 笛に呼ばれた鷹は、皆が笛の音にあっけにとられている間にさっそくやって来た。
 驚くならず者たちを威嚇し、周辺を飛び回って散々翻弄する。
 そうして鷹に気を取られている間に、彼らは異変に気付いた商会の護衛たちに周りを固められ、あっさりと捕縛されていたのだった。

「むう」

 国王が唸った。
 城にも、大きな鳥はいる。しかしそれは美しい羽根や鳴き声を楽しむ観賞用だ。
 そして王国軍も鳥を飼ってはいるが、簡単な手紙を運べる程度の小鳥ばかりである。
 商人オーキッド・レイズンにぜひとも鷹の話を聞いてみたい。
 そう考える王の横で、王妃が息子に微笑んだ。

「あなたは何が自分に足りないと思いますか?」

 母の問いに、ヒーザーは自分の顎に指を添えた。
 やがて、悔し気に呟く。

「……何もかも、足りなく感じます」


 剣の腕は師に褒められる程になったが、彼はまだ片手剣と弓くらいしか扱えず、また危険がないようにと見守られた一対一の対戦しかしたことがない。実践を経験する軍の精鋭たちやレイズン家お抱えの護衛たちにも敵わないだろう。
 過去の戦の詳細や有効な戦略、兵法を学んではいても、今回のような暴漢を撃退するための役には立たなかった。
 鷹のことといい、優秀な教師を付けられ分厚い書物を何冊も読まされている彼が知らないような知識を、自分より年下のフロスティが知っていることだってある。

「あなたが守りたいと言ったお嬢さんは、あなたに守って欲しいと言ったの?」
「いいえ」
「そのお嬢さんは、真綿にくるんで風にも当てず大切にしまい込まねば生きていけない程に弱いの?」
「………いいえ」
「そう」

 王妃が微笑む。
 少々、意地悪に。

「ではそれは、あなたの傲慢というものね」
「………っ」
「お嬢さんのことは、お父上と商会の者が守るでしょう。あなたより、よほど上手く」
「………」

 ヒーザーの顔が歪む。
 国王が気の毒そうに息子を見、そして傍らの妻を見た。

「こら王妃。息子をいじめるものではないよ」
「あら王。本当の事でしょう?」
「言い方があるだろう、まったく。ヒーザー。あまり王妃の言葉を気に病まないようにな」

 国王がため息をつく。
 そして王子に向けて言った。

「だが、王妃の言葉を気に留めておく必要はある。お前だけではない。我らは恵まれた環境にあるぶん、傲慢にもなりやすいのだ」

 自分の無力さを自分で気が付いただけ、この王子は賢い。
 口に出せばはかなりの親馬鹿としか思われないことを、国王はあくまで冷静に考える。

 とはいえ、息子は王子という身分からしても成人前の年齢からしても、本来ならば守られる側である。
 にも関わらず、ヒーザーは自分が守りたかったという。
 日頃の行いからしても、どうも自分の立場をちゃんと理解していないふしが、この三男坊にはあった。

「お前の言う少女は、非力ながらもちゃんと身を守る術を与えられていたし、それを使えてもいる。誰も傷つくことなく、暴漢を撃退できたのだろう。大したものだ。しかし、おまえがその少女と同じことを学ぶ必要はないだろう?」

 レイズンは大のつく商人だ。それなりに敵はいるだろうし、娘にも身を守る術は必要なのだろう。
 王族も同じではあるが、しかし王子に鷹を飼いならす知識と術が必要かといえば、答えは否だ。
 まあ、気にはなるが。

「知識ひとつとっても、一生で得られるものなどたかが知れている。足りなくて当たり前だ」

 ふと、ヒーザーが顔を上げて父王を見た。
 やるからには完璧を求められることが多い王子教育では聞き慣れない言葉だったのだろう。きょとんとしている。

「それなら、自分の得意な知識や他人に知られていない知識を深めるのはどうだ。国王なんぞやっているわたしだって、たったひとりでこんな大国を維持することなど無理だからな。必要なのは、自分に何が足りないのかを知ること。そして仲間を得て、互いに補い合うことだ」

 足りないものを補い合う。
 出来ることなら、兄弟三人でそんな関係を築いて欲しい。
 そんな思いも込めた上での言葉だったが、果たして少々ひねくれたところのある三男に届いたのかどうか。

 ヒーザー・クロムは神妙な顔つきで頷き、部屋を出て行った。




「どう思う?」
「初恋なのではないですか? なんて微笑ましい」

 難しい顔つきの国王に対し、その妃の表情はとても楽し気だった。
 息子ながらなかなかに賢く、なかなかに整った容姿に育ってくれた王族の直系である。王位継承順位が低いこともあり、上のふたりと違って気楽に寄ってくる令嬢も多かったのだが。
 その中に、あそこまで息子が気に掛ける者は誰もいなかった。

「恋というより、あれは妹のように扱っているのではないか?」
「それはまあ末っ子ですし、うちには姫もいませんからね。ああ、わたくしもその子に会いたいわ。とても可愛らしい子のようですもの」

 何もかもそれなりにそつなくこなす末息子は、少し前までは全てを悟ったような、あるいは全てを諦めたような冷めた顔つきをしていた。
 兄王子たちと比べられても卑屈にならないほどのふてぶてしさは良しとしても、年不相応の落ち着き具合が、それはもう可愛くなかった。
 そんなわが子が苦悩する姿は見ていてほんとうに楽し……いや、微笑ましい。

「しかし商人の娘か」

 うきうきと今にも部屋を飛び出して街に下りそうな王妃にため息をつきながら、王は呟く。
 クロムに大店を構えてはいるが、レイズンは他国の出身だ。
 遊び相手ならまだしも、縁戚を結ぶとなれば少々ややこしいことになる。

「あら。良いではありませんか。身分違いの恋は、最近の流行はやりですのよ」
「王妃……」
「いざとなれば、信頼の置ける貴族の養子にでも入れば解決します」
「気が早いだろう」
「そうですわね。でも根回しくらいの下準備はしておきたいですわ」

 クロム王国では、王族から平民まで、正式な婚約や婚姻は当人同士が成人してからと決められている。王族といえど、そこはのんびりしたものである。
 内々に決まっている場合はあるが、それにしても公にするのは成人を待ってからだ。
 ヒーザーにも、あと数年の猶予があった。

「すべては、ヒーザー次第だがな」
「それはもちろんです」

 そこは王妃もきっぱりと同意する。

「好いた女性ひとり守れないようでは、男として失格ですわ。腹を痛めたわが子と言えど、お嬢さんのために断固反対いたします」
「そこまで厳しい意味はなかったのだが……まあ、そうだな」

 ヒーザーは将来、誰を伴侶に選ぶのか。
 それはまだ分からないが、もしそれが王族や貴族の娘ではなかった場合、お互い余計に苦労するのは目に見えている。
 流行っているかどうかはともかく、ひと昔前に比べれば社会は身分違いの恋にも寛容になってきた。
 しかし価値観の違いから上手くいかない場合も多い。すべてが「めでたしめでたし」で終わる物語ではないのだ。

 しばらくは様子見。静かに見守ろう。

 口ではそう言いながらも気になって気になって仕方がない王夫妻は、それぞれに水面下でいろいろと探りを入れ、こそこそと根回しまで始めていた。

 そしてそんな不穏な周辺状況にオーキッド・レイズンが気付かないはずはなく。
 数年後には店をそのままに、本拠地を隣国ヒュイスに移したのだった。

 王夫妻がその報告を受けたのは、レイズン親子がとっくに国境を越えた後のことだ。
 その潔さと速やかさは、さすがやり手の商人と彼らを唸らせたという。






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