月が隠れるとき

いちい千冬

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月を覆う雲

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「お集まりの皆様に、わたくしジェンティアンからお話ししたき事がございます!」

 台本を読み上げる役者のごとく声を張り上げた自国ヒュイスの王太子。
 そしてその傍らに寄り添う令嬢を見て、ある者はため息をつき、ある者は期待に胸を膨らませた。

「皆様を証人とし、いまこの時をもって、わたくしはフロスティ・レイズンとの婚約を破棄し、このローズ・マルベリー嬢との婚約を新たに宣言いたします」

 会場がざわりと揺れた。
 その驚き具合が悦に入ったのか、笑みすら浮かべて彼は朗々と続ける。

「突然のことに驚かれたと思うが、もちろんこれを行う理由はある」

 ジェンティアンは、壇上から自国の宰相を見下ろした。
 フロスティ・レイズンの父親である彼は驚くでもなく焦るでもない。
もと商人であった彼に珍しく、まったくの無表情であった。
 さすがにいつもより温度が低いように感じる眼差しに無意識で怯みながらも、王太子は振り払うように声高に叫ぶ。

「かねてより宰相オーキッド・レイズンの専横ぶりは周知のこと! わが父である国王陛下の威光をかさに着て、政を私物化するその強欲ぶり。その上歴史ある貴族家や陛下すら軽んじる態度。許されるものではない!」

 ごく一部から、おお、と同意を示す声があがった。
 ほとんどの人々は静観し、あるいはただ呆れて、次になにを言い出すのかと見守っている。
 いや王太子よりもむしろ、名前の挙がった宰相にこそ注目が集まっているようだった。
 支持者たちの歓声に押されるようにして、王太子は語り出す。
 自国の宰相が、どれほどの害悪であるかを。



 オーキッド・レイズンは心の中で「ふん」と鼻を鳴らした。
 実際にやらなかったのは、相手の思い通りの悪役っぽく見えて嫌だなと思ったからだ。
 常日頃からよく睨みつけられてはいたが、逆に言えばそれだけの青二才が珍しく何か言ってきたと思ったら。

 人を無実の罪で陥れたいなら、もうちょっと巧妙な証拠をでっち上げたらどうだ。

 台本を読むように朗々と語られる宰相オーキッド・レイズンの悪事に、オーキッド本人はこっそりとため息を吐く。
 反宰相派、あるいは王太子派と呼ばれる陣営の者たちによる、明らかに王太子派よりの証言。調べればすぐに偽造とわかる陳腐な文書。
 それらを捏造した過程も、本日の夜会で断罪劇が繰り広げられることさえ、彼には筒抜けであった。
 広間の奥の玉座をちらりと見れば、ヒュイス国王ヒューリッジはがっくりと項垂れ額を押さえていた。
 もちろん、王太子派の一連の動きは報告済みである。
 
 そもそも、オーキッドがあれこれ手と口を挟んだのは、国王がそれを良しとしたからだ。
 必要と判断し少々強引に改革を進めたこともあったが、王子の周囲に侍る貴族たちのように自分の為に好き勝手に権力を行使したり、不当に私服を肥やしたり、国庫に私的な理由で手をつけたりはしていない。

 だが、ここまではまだオーキッド・レイズンも我慢できた。
 糾弾がこの場にいない――いなくても良いと退席を促した彼の娘フロスティ・レイズンに及ぶまでは。

 婚約者の交代劇を正当化したいのだろう。本人がいないのを都合よく解釈し、いかに彼女が王太子妃に相応しくない悪女であったかを披露する。
 しかしこれには、フロスティ嬢に近かった者たち、いや大して近くない者たちも、あまりに突飛な罪状に唖然とした。
 あの、彼女が? 父宰相の権力をかさに? 夜遊びを繰り返し、いかがわしい場所に出入りを?
 ……それは、王太子の背後でふんぞり返る貴族たちの話ではないのか、と。

「わたしだけならまだしも、娘への侮辱は到底許せるものではないな」

 たとえ、その悉くを予想していたとしても。
 ひっそりと呟いたオーキッド・レイズンが顔を上げた時。
 誰もが広間の空気がぐんと冷えたような、そんな錯覚を起こした。
 ああ切れたな、と呟いたのは王太子派いわく“宰相にいいように操られる”国王ヒューリッジである。
 彼は宰相の堪忍袋の緒がぶちぶちっと盛大に切れる音を、確かに聞いたと思った。

 フロスティはなぜか王太子と王太子妃地位の両方に執着していたことになっていた。
 冗談ではない。
 婚約の打診は、国王側からあったものである。最初から苦労するのが分かりきっているこんな縁談、国王に頼み込まれなければ、オーキッドは絶対に断わっていた。
 百歩、いや万歩譲ってフロスティがジェンティアンを好いていたとしても、あれだけひどい態度をとられ続ければ百年の恋も冷めるというのに。
 父親としても、理由はどうであれ娘と婚約しておきながら他の女を侍らせるような男など、こちらから願い下げである。

 オーキッドは、突きつけられた罪状全てをきっちり確固たる証拠つきで否定した。
 とくに娘のそれに関しては、完膚なきまでに叩き潰す。
 王太子派の謀略などとっくに全部お見通しだと思い知らせるのにも、十二分なやり返しであった。

 王太子は怒りと羞恥で顔を真っ赤にし、その取り巻きの貴族たちは宰相への恐怖で顔が真っ青であった。
 彼らを前に、しかしオーキッド・レイズンは神妙な顔つきで言った。

「この混乱は、宰相であるわたしが招いたことには違いない。よってその責を負い、引退いたしたく陛下に申し上げる」

 彼が恭しく頭を垂れた先は、国王陛下その人である。
 勢いで大声を張り上げる相手に対して決して声を荒げることなく。不気味なほどに淡々と疑惑を晴らして背筋を伸ばす宰相の姿に、その場の雰囲気にのまれていた人々も次第に冷静さを取り戻していく。
 そして冷ややかに見つめる先は、ヒュイス国王ヒューリッジの主催する夜会を荒らした王太子たちだ。
 いったい、国王を蔑ろにしているのはどちらだと。

 王は苦い顔をして、それでも諦めたようにこの申し出を受け入れた。
 この宰相閣下が、実はさっさと宰相位など返上して一介の商人に戻りたがっていること、それを王がなんとか引き留めている状態だったことは、彼らに近しい者たちの間では周知の事実であった。
 いっそ清々しく広間を出て行く宰相、いや元宰相オーキッド・レイズン。
 王太子らは唖然として、その背中を見つめることしかできなかった。




「何の面白味もない茶番だったな」

 地方回りの旅芸人のほうが、まだ良い芝居をするだろう。
 大国クロムの第三王子が、ジェンティアン王子らに冷ややかな一瞥を投げつけて退出したのを皮切りに、国外の賓客を中心に広間からひとり、またひとりと減っていく。

 そしてそれは夜会に限ったことではなかった。
 遊学に訪れていた国外の有力貴族や王族たちがヒュイス王国から出ていく。そもそも彼らはオーキッド・レイズンの政策を学びにきていたのだ。
 まるで泥船から逃げだそうとするかのような速やかさだったという。



 この日、最後に予定されていた花火は上がらなかった。
 夜空に雲が広がり天候を危ぶんだため、というのが表向きの理由だったが、雲は星々を隠すまでは至らず、空の端で密やかに輝いていた月を覆い隠したのみ。
 実際は、妙に白けた空気の漂う閑散とした広間の様子を見て、国王フォーリッジが止めさせたのだった。

 もはや、遅い。
 そう呟いて。

  





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