死者たちは祭壇でおどる

福留幸

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第1章 捧げ者

第5話 藪から棒に[其の弐]

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「お前を地獄へ送りに来た」
 桜庭要と名乗った黒服の少年は、湊に向かって確かにそう言った。湊を見る冷え冷えとした目。剥き出しの敵意。冗談を言っているようには見えない。
 おかしい。地獄へ行くのは道を踏み外した『悪い死者』の筈だ。湊はこれに該当しない。誤解だ。
 だが――秋乃は密かに焦っていた・・・・・。自分はまだ、堂本湊という人物を知らな過ぎると。
 出会ってたった二ヶ月。そして今日、死者として初めて行動を共にした。そんな間柄。湊の無実を訴えようにも、今の秋乃の知識だけでは、誤解を解くには至らないだろう。
「なに言ってんだよ! 送る相手間違えてるぞ!」
 一方、当の湊はというと、露ほどの緊張感もない無垢な笑顔で会話に応じていた。
「とぼけるな。既に上司うえから話は聞いている」
「とぼけてねーよ! オレはいつでも大真面だ!」
「……話にならんな」
 不快げに鼻を鳴らし、湊との会話を早々と打ち切った要は、指輪・・を嵌めている右手を自身の顔辺りまで持ち上げた。
 要の一例の動作を疑問視する暇さえ、秋乃達には与えられなかった。ドクロを象ったその指輪は、瞬きの間に手錠・・へと変化し、まるで意思があるように自ら動いて、湊の左手首を拘束した。
「へ?――どわああああっ!」
 湊が腑抜けた顔をしている内に、手錠のリングとリングを繋ぐ鎖がとてつもない速さで伸び、湊の体を天井目掛けて引っ張り上げた。
「湊!?」
 想定しようのない事態に、意識の外で叫ぶ秋乃。
 背中から天井に叩き付けられようとしていた湊はしかし、宙に浮いた状態のまま上半身を前に反らすと、足に全体重を掛け、天井を思い切り蹴った。
「不意打ちなんて卑怯だぞー!」
 などと呑気に言いながら、鉄球の柄を握り締めた湊は、どうやら反撃のため要の懐に入ろうとしているようだ。ところが、事態は秋乃の思っていた通りにはいかなかった。
 要は顔色一つ変えず、自身が持っている方のリングを、湊もろとも右側へ引き寄せた。これにより、湊は要の真横を勢いよくすり抜けてしまう。
「おまっ、嘘だろおおおお!」
 湊は哀愁を帯びた叫びを上げると同時に、剥き出しのコンクリート壁に正面から突っ込んでゆく。
 湊は咄嗟に体を捻り、背を丸めることで頭部を守ったが、さすがに無傷という訳にはいかず、今度こそ背中からコンクリート壁に衝突した。
「がっ!」
 衝突の際の衝撃で為す術なく尻餅を突き、咳き込む湊を前にして、秋乃は絶望的な気持ちになった。
 湊が窮地に追いやられているのに、自分のすべきことが分からない。このペンダントを武器に変化させれば、少しは戦力になれるのかも知れないが、秋乃はその方法さえ知らないのだ。
「いてて……」
「お前に勝ち目はない。さっさと諦めろ」
 硬い靴音を響かせ、要が湊へ近付いて行く。
 遅緩に顔を上げた湊は、子供みたいに口を尖らせて遺憾を述べた。
「まだ分かんねーだろ」
「どこまでも馬鹿らしいな」
 要の口元に微かな冷笑が浮かぶ。瞬間、青紫の閃光が辺り一面に走った。バチン! と鼓膜を裂くようなノイズとともに、湊の体が大きく痙攣・・した。
「――ああああっ!」
 目の前の光景と、湊の口から迸った悲鳴に、頭が真っ白になる。秋乃が半狂乱に陥りながらようやく理解したのは、先述のノイズと、この青紫の眩く歪な光の正体が、湊を拘束する手錠に宿った電流・・・・・・・・であるということだ。
 鎖を伝って与えられる電撃にもがく湊の四肢が、乾いた空気を掻き乱す。しかし、どんなに足掻こうとも、逃れる術がある訳でもなく、湊の体は急激に力を失っていく。
「……やべ……」
 叫ぶ切れ間に零した声に、いつもの呑気さと余裕はない。
「や、やめて!」
 平然と攻撃を加え続ける要に、秋乃は無二無三に駆け寄った。
 聞き入れて貰えるとは思わないが、理屈ではなかった。苦しんでいる友達・・を放っておくなど、とても考えられなかった。
 この時、要が初めてまともに秋乃を見た。
「お前に何が出来る?」
 底冷えする。言われた言葉に、心が引きちぎられるようだった。
「出来ないだろうな。出来るなら、とうにやっている筈だ」
 淡々と事実を突き付けられて、瞳の奥が熱を帯びた。
 言い返せなかった。無力感。喪失感。絶望感。ぽろぽろと伝い落ちる雫がとめどない。
「やられっ放しで……終われるかよ……!」
 絶え絶えの呻き声を聞いて、弾かれたようにそちらを見下ろす。そこには、もがくのをやめた・・・・・・・・湊がいた。
 湊は激しい苦痛に顔を歪めて、それでもなお、指先が肉に食い込むほど強く、鉄球の柄を握り締めていた・・・・・・・・・・・・
「な……」
 要が顔色を変える。さすがにうろたえた様子で身を引くも、避け切れなかった。
 電撃のノイズに紛れ、何かが砕ける生々しい音が上がると、要の左腕が不自然な方向に曲がった。
「ぐっ!」
 がくんと体をくの字に折る要。維持出来なくなった電撃が霧散し、ボロボロになった湊を解放した。
「み、湊……」
 もつれた声で湊を呼ぶ。が、湊はなんの反応を示さず、壁にもたれ掛かったままうなだれている。湊も要も痛みに喘ぐように息をしているが、湊のそれは恐ろしく弱い。
 要がおもむろに顔を上げた。湊を見るその瞳は、底冷えするほどの冷たさと、激しい怒りに満ちていた・・・・・・・・・・・
 今から起こることが、嫌でも分かってしまった。秋乃の頭の中に、けたたましい警鐘が鳴り響く。
「やめてっ! お願いっ!」
 発したのが懇願か悲鳴か、既に自分でも分からなかった。
 要は止まらなかった。
「小賢しい真似を!」
「ああああっ!」
 再開された攻撃に、枯渇寸前の声で絶叫する湊。しかし、もうそれすらも長くは続かなかった。苦痛の叫びは間もなく途絶えて、ずるりと傾いた湊の体は、戦いで亀裂の走った床に横たわった。
 一瞬で足の力が抜けて、秋乃は座り込んだ。心臓が激しく波打っているのに、心はただ悪夢から目を逸らすだけの役立たずと化していた。
 湊の手首から外れた手錠が、要の手中へ戻って行く。鼓膜を裂くような音も、悲鳴も、何もかもが消えて、駅内が静寂で満たされた。
「悪く思うな」
 吐き捨てて、要は身を翻した。すすり泣く秋乃には目もくれない。
 全てが終わった。そう思われた時だった。
「……う……」
 そよ風にすら掻き消されそうな、微かな声が聞こえた。秋乃は信じられない気持ちでを見詰めて、要は舌打ちしながら振り向いた。
 湊は依然として瞼を落としているが、まだ辛うじて息をしていた。生きているのだ。
「しぶとい奴だ」
 忌々しげな表情で再度手錠を構える要。そんな彼に、秋乃は脇目も振らず飛び掛かった。
「駄目っ!」
 要から手錠を奪うため、手を伸ばした。それで起こり得るリスクなど、もはやどうでも良かった。
「っ、どけ!」
「きゃっ!」
 呆気なく押し負けて、突き飛ばされる。しかし、秋乃が倒れるが早いか、場の空気が一変した。

「ほぼ一般人への暴力とは感心しないね」

 酷く穏やかなのに、酷く威厳のある声色。入口の方からだ。
「鉄さん……?」
 そこに立っていた狐の面の男を目にすると、要は戸惑い、呟くようにそう口にした。
 鉄がこちらへ悠然と歩いて来る。半ばほどまで近付いた頃、彼は要に向けて言った。
「要君。君に業務命令がある」
「……なんでしょうか」
「この場から速やかに撤退するように」
 秋乃と要が同時に息を呑んだ。
 要は動揺も露に、鉄に異議を唱えた。
「な、何故です! こいつはまだ……!」
「おや? 聞こえなかったかい?」
「……っ」
 鉄の有無を言わせぬ口調に、要が怯んだのが分かった。要が時間を掛けてこくりと頷いたのを確認すると、鉄はゆっくりと秋乃に背を向けた。
 堂々と、或いは俯き気味に立ち去る鉄と要。状況が理解出来ないまま身を起こした秋乃と、横たわったまま微動だにしない湊だけが、静まり返った無人駅に取り残された。


【To be continued】
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