死者たちは祭壇でおどる

福留幸

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第1章 捧げ者

第2話 死者と生者の邂逅[其の弐]

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 表情の消えた青白い顔で。赤黒くぬかるんだ地の上で。秋乃はクラスメイトの少年を見上げていた。
 巨大な鉄球を操り、返り血を浴びながら、殺人鬼を殺した少年。堂本湊。彼はそこに立ち、全くいつもと変わらない無垢な瞳で秋乃を見下ろしている。
「こんなとこで会うなんて、奇遇だな!」
 曇りのない笑顔。それはこの惨状に致命的なちぐはぐと異常性を提供していた。
 異常で狂気に満ちたおぞましい空間。平静などたもっていられる筈がない。――まともな人間なら。こんな空間を作り出す一端を担い、罪悪感の一つも見せない湊は、もう狂っているとしか思えなかった。
 騒がしくて、空気が読めない男の子。その程度の認識だったクラスメイトが狂人だった。別に仲が良かった訳でもないのに、途方もない悲しみが秋乃の胸を苛んだ。
「なんで……なんで、あんたがこんなこと……」
 秋乃の問いとも呟きともつかない言葉を聞くと、湊は頭部のない死体を平然と指し示した。
「こいつが、生者を死者に変えたから!」
 と、そう言った。
 生者を死者に変えた。――生きた人間を死人に変えた。つまり、殺した。未だぼんやりとした頭で、秋乃はそう解釈を済ませた。
「……殺したってこと?」
「ま、そんなとこだな!」
「その犯人を、堂本君が殺した……?」
「生者目線だとそうなるかもな!」
 先ほどと同様、回りくどい表現ではあるが、湊はあっさりと殺人を認めた。
「人殺し……」
 腹の底から泡のように浮かぶ感情。浮かび上がって、溢れ出して、漏れた。感情を乗せた自分の細声が、恐ろしく震えているのが分かった。
「オレは悪い死者・・・・地獄・・に送っただけだぞ」
 突然発せられた宗教じみた単語が、理解する術を持たない秋乃の心を掻き乱した。もう限界だった。
「わけ分かんないこと言わないでよ!」
「分かんないって、そのままの意味――」
「来ないでっ!」
 こちらへ近付こうとした湊を、秋乃は悲鳴じみた声で制した。
 湊への蔑みとか、怒りとか、そんな思いからではない。秋乃はただ怖かった・・・・。人を殺しておいて平気な顔をしている湊のことが。そして、自分も口封じのために殺されてしまうかも知れないことが。
 湊は秋乃の言う通りにしたが、依然として緊張感はない。若干困っているように見えなくもない表情で、癖毛だらけの頭を掻いている。どうせ秋乃が叫んだ理由すら分かっていないのだろう。
 逃げ場はない。抵抗も出来ない。どうにもならない。秋乃は血色の失せた唇を力なく動かした。
「堂本君」
「ん? どしたー?」
「わたしも殺すの?」
「え」
 この時、秋乃は初めて湊の真顔を見た。
「なんで?」
「な、なんでって……」
 予想だにしない反応に、秋乃は酷く戸惑った。
 湊にその気がないことに戸惑う秋乃と、その気があると思われていたことで真顔にならざるを得なかった湊。地獄絵図としか言えない現場に、しばし異様な空気が漂う。
「んー……早瀬がなに考えてんのか知らねーけど」
 ひとしきり真顔で黙した湊が、ようやくいつもの調子に戻った。
「殺しなんかしねーって! そんなことしたら、オレまで地獄行きになっちまうからな!」
「え? それ、どういう……」
 秋乃の思考がここで一度止まる。
 こんな馬鹿な話がある訳ないと、秋乃の理性は言っている。しかし、もし本当だったら。想像もしたくない結論に辿り着く。
 湊は悪い死者を地獄に送ったと言った。更に、秋乃を殺せば自分も地獄行きになると言った。地獄に行くのは悪い死者。つまり湊は――。
「あ、言ってなかったけど、オレも死者だぞ!」
「嘘……」
「ほんと!」
 こんな時までにへら笑いをして、湊は続けた。
「ま、オレの話はどうでも良いとして……そろそろ時間が動き出す・・・・・・・から、この場をやり過ごす準備しとけよ!」
「時間……?」
 終わらない恐怖により、秋乃は言われて初めて気付いた。時間が止まっている・・・・・・・・・ことに。
 そこを歩く人も、風に揺れる草花や木の枝も。黄色に変わった信号も、停車に舵を切った乗用車も。全てがその状態で停止している。音もない。秋乃たちが立てるものを除いて。
「また学校でなー!」
 音のない世界に、湊の大声が響く。
 返り血を浴びたまま、重い筈の凶器を軽々と持ち上げて、湊は駆け出し、どこかへ消えてしまった。
 追うだけの気力は、今の秋乃にはなかった。

 * *

 二〇二四年六月十五日。その日は訪れた。
「秋乃っ!」
 雪乃の叫びと轟音が重なる。
 突き飛ばされた秋乃が顔を上げた時、既に雪乃は死んでいた。猛スピードで突っ込んで来た車から秋乃を庇い、はねられ、死んでいた。
 秋乃はゆっくりと立ち上がり、原型も残っていない雪乃の下へ歩いた。
「お姉ちゃん?」
 返事はない。
「起きてよ」
 返事はない。
「わたしの名前、呼んでよ。『秋乃』って呼んでよ」
 返事はない。
 秋乃は崩れ落ち、項垂れた。けれど、泣くことはない。心が死んでしまったから。
「姉を助けたいかね?」
 時が止まった・・・・・・空間で、秋乃は狐の面をした男と出会った。
「僕は鉄勇大くろがねゆうだい。どこにでもいるただの狐さ」
 秋乃に正体を問われると、男はそう答えた。真面目に答えるつもりはないらしい。
「用がないなら……どっか行って……」
 秋乃はようやっと拒絶の言葉を発したが、鉄は秋乃たちの傍らから動こうとしない。
「姉を助けたいかと尋ねただろう? あれが僕の『用』さ」
「っ、ふざけないで!」
 死んだ心に怒りの炎が灯った。爆発した怒りと、侮辱への憎しみの涙が溢れ出た。
「出来る訳がないと、そう言いたいのだね? しかし、周りを見れば分かるだろう? ここは生者――君たちの常識・・・・・・が通用する場ではないと」
「だったらやって見せてよ! お姉ちゃんを生き返らせてよっ!」
「構わないさ。ただし、二つほど条件がある」
 穏やかな笑みを口元に浮かべ、穏やかな声色で鉄はそれを口にした。
「一つ。早瀬雪乃に君自身の魂を差し出す。噛み砕いて言うと、彼女の代わりに君が死ぬ」
 言葉を失う秋乃に構わず、鉄は続ける。
「二つ。死後、死者として我々の下僕しもべとなる。具体的には、悪さをした死者どうほうを処理する」
 この瞬間、秋乃の中であらゆるものが繋がった・・・・。欠けていた全てのピースが一斉に嵌まって、秋乃は完全に理解した・・・・
 あれほど荒れていた心は、今や嵐が去ったように静かだった。そこにはもう、怒りも憎しみも、恐怖も絶望もない。あるのは、ほんの少しの寂しさと諦め。せいぜいそれくらいだ。
「……堂本君がしてることを、わたしにもやれって言いたいんですね」
「おや、彼と知り合いかい? なら話は早い」
 鉄は僅かに声を立てて笑った。
「早瀬秋乃。君の答えは?」
やります・・・・
 秋乃は静かに即答した。ためらいはなかった。
「契約完了」
 鉄の言葉と共に、秋乃の意識は暗転した。


【To be continued】
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