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ファミリーヒストリアの仕事風景

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 無事にあの女性ー佐藤咲月さんは、母・佐藤杏月さんの自身の名前の由来と自身の両親、つまり咲月さんの祖父母がどうして出逢ったのか。
 それを訊けずに二人を天へと見送ったことを後悔していること、また彼女自身もなぜ咲月という名を五月産まれでもないのに名付けられたのか、契約書を読み家族会議を経て気になったらしい。

「どうやら母は、あづきという呼び方で子供の頃同級生に揶揄されてから、名付けた祖母と祖父と距離を取っていたようなんです」

 確かに、杏月さんの名前は読みは賛否あるか分からないが、字だけ見れば私は美しいと思う。けれど今よりも平凡で個性的な名前なんて求められていない時代にこの名だと、キラキラネームでなくても本人なりに嫌な思いはしたのだろう。
 それで、段々両親と疎遠とは行かずとも付かず離れずの距離になったのなら、二人が亡くなった後になぜ名前の由来を聞かなかったのか。二人がどんな思いで夫婦になったのか。そういったことを直接訊ける相手を喪ってから、本当は知りたかったのだと気付き、気にする人も意外と多い。
 この仕事を始めてから感じた、私の主観が多く入った感想だけれど。

「あづきが、小豆と音が同じだからとあんこ、などと和菓子のように呼ばれ、本人は嫌だったみたいです。しかもそう呼ぶ中に初恋の子が含まれていたのが、ショックだったんだ·····って」
「なるほど、子供はすぐにあだ名を連想ゲームで碌でもない呼び方にする傾向が昔あるからなぁ。私の名前の絃葉もいとはんとか言って、どこのお嬢やねん、とかバカにしてきたアホおったなぁ」

 大阪では、昔の商人のお嬢様とかを嬢はんいとはん嬢さんいとさんなどと呼ぶ言葉があったから、それに引っ掛けたアホの揶揄いは容赦なく、やり込めた。
 私は社会人になってからこの仕事に就くまでは、猫を被り、大層人見知り気味の大人しい性格のように振舞っていたが、元々の性質としてはやられたらやり返すそれも倍以上に精神ダメージを与える。くらいのモットーを持って生きている。
 だから、この仕事をしなければ近い未来、男性が多い職場で男どもを操るお局級のえげつなさを発揮してストレスの原因にやり返してたんちゃうんかな·····と、昔を知っている知り合いにはなぜか安堵するような雰囲気で語られた。あかん、余計なもんまで思い出した。

「よし、ともかく分かりました。じゃあ、その点も踏まえて最初はきっちりファミリーヒストリアを書ける材料、揃えさせてもらいます。その途中でご本人や咲月さん、他の家族の方にもインタビューもするつもりなので、その時は時間空けてください」
「はい。予定を空けて貰えるように家族には連絡させて貰います」

 それで、色々と細かな話や公的な書類入手などの手伝いをしてもらう弁護士の紹介などを経て、最初の段階の契約は終了。
 まあ、下調べがまあ今回は関東地方やったこともあって、何回も東行って西行ってはシンドかったなぁ。とか考えつつも何とかザックリと求められている範囲の材料は揃ったので、改めて咲月さんには本にするのに、おおよそ何百ページいるか。
 ファミリーヒストリアは基本的に一般に流通する本とは違い、自費出版や同人誌の形を取っているので、最低部数をどれくらい必要としているかによって、カバーをつけるのか。もしつけるならどんなタイプにするか。本の大きさは一般的な単行本サイズか、それとももう少し小さいサイズにするのか、絵本のような特殊サイズにするのか。
 中の紙も真っ白やクリーム色、特殊な用紙、文字を印字するインクも真っ黒がいいのか、書体フォントはこだわりがあるのか、小口染めや本文の周りを装飾する印字をするなど特殊な遊びをするのか。
 あとは、家族の写真などもカラーなどで印刷して含めるのか。それとも、挿絵のように、モノクロで該当の場面だけ写真を挿し込むのか。

「·····とまあ、こんだけの内容が、ゴールデンウィークにやっと決まったんや」
「お疲れ様やったな」
 労る様な眼差しをこちらに寄越すのは、私がファミリーヒストリアを始めてからの付き合いになる弁護士の天国楽哉あまくにもとや
 自分も関東まで何回も足運んでたのに、自分はクライアントが関東にもいるから気にするな。ナチュラルに人を気遣うジェントルメンってあんたさんでは?と何度本人に言おうかと思うくらい、いつも助けられている。
 彼と出逢ったのも、彼が名前でイジられることにウンザリし、元からの好奇心もあって先祖のことを知りたくなったという至極簡単な理由からファミリーヒストリアというけったいな仕事を始めたらしい女がいると訊いて依頼に来たことがきっかけだった。
 彼と出逢うまでは、弁護士法に抵触するような範囲の深掘りをしないように心がけていたので、依頼人によっては空白を無理やり私の創作で埋めていた点が不満という人もいたから、彼の方から仕事の傍ら手伝うという申し出はありがたかった。
 補足として、彼の名前イジリはそのまま姓をてんごく読み、天楽、らくかな、など元々の漢字がいい意味ばかりだったのでウンザリ程度で済んだと言っていた。

「まあ、楽哉さんもありがとうございました。これで何とか執筆に集中できそうです」
「それなら良かったわ。あ、先生、事務所戻る前に執筆する際のお紅茶淹れておきましょうか?」
 楽哉は、今回の件で必要な話を終えたあと悪戯好きのような笑みで、戯けてみせた。
「嫌やわ。弁護士先生から先生とか言われるん。それに毎度のことで残念ながら私は珈琲派やし、お茶は日本茶が好きやからお紅茶は、お気持ちだけ取っときますー」
「そら、残念。ま、またなんかあったら遠慮なく連絡ください」
 ちっとも残念そうでない楽哉は、イケメンとはいかずとも人好きのする好青年の笑みと雰囲気をそのままに自身の弁護士事務所へと戻って行った。
 今は確か、大学時代の先輩と共同経営の事務所だけど、いつかは自分だけの城を持ちたい。そんなことを言っていたのを、背中を見送ったあとにふと思い出した。

「さて、はじめますかー」
 森ノ宮に事務所を構える前は、緑橋の自宅の近くにある古民家を利用したブックカフェに行って、本を読みつつ文章を書いていた。たまに、長居しすぎて昼も晩も食べさせてもらっていたときもあった。
 その点、今は他者の視線や物音なども無い代わりに、珈琲も水も食べ物も自分で用意をしないと何も出ない。もっと稼げる仕事なら思い切って執事、まではいかなくても秘書·····。
「いや、今やったらフード運んでくれる人頼んだらええんか」
 しかし、よくよく考えるとこの事務所は駅に近い。駅の周りはコンビニも居酒屋もあるし、カフェまである。スーパーもドラッグストアもあるのにそれ以上望んでは、私の健康寿命が縮んでしまうじゃないか。
 改めて思い直し、ラップトップパソコンを立ち上げる。ラップトップは絃葉の意思を良く汲み取るように、サッとデスクトップ画面を立ち上げ、何を執筆するのかと大人しく待ち構えている。
 この相棒に出会う前に使用していたノートパソコンは、なかなか故障しないいいヤツではあったものの如何せん長く相棒にし過ぎた。バッテリーが寿命を迎え、何よりデータを起動する速度が遅い。いや、重いと表現しても差支えがないだろう。
 それほど動きが鈍くなっていたので、今の相棒に出会ったときは、こんなに動作が軽いのかと感動で泣き、軽く家電量販店の店員に引かれていた。

 その相棒と、楽哉に宣言した通り実は楽哉に出したときについでに用意していた自分用アイスコーヒーを、相棒にかけて汚さないように決めた定位置へとセットし、使い慣れたソフトを起動する。
 まずは、集めた資料を整理したものを読み込み、プロットと簡易年表、人物相関図もどきを自分なりに書き出していくことがこの執筆のスタート段階だ。
 ここから、絃葉の頭の中で組み立てられたストーリーと公的な書類や残された手紙、日記、そしてインタビューなどが齟齬を起こさないか照らし合わせ、問題がなければほとんど一気に初稿を書いていく。この部分で時間が取られるときもあれば、割とすんなりといく時もある。
 これは明白な事実があるから、だけでは無い何かによって左右されるのだろう。
 兎にも角にも、こうして和泉絃葉のファミリーヒストリアとしての執筆作業が今回も開始された。
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